メディア掲載  外交・安全保障  2015.06.15

「ネットアセスメント」に注目せよ

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2015年6月11日)に掲載

 終戦から70年。日本は幸い平和に恵まれたが、世界では民族主義の大波が再びうねり始めた。日本はいかに生き延びるのか。これを考える手法がネットアセスメント(総合戦略評価)だ。戦前の日本に真の戦略家はいなかった。理由は国家間の戦略的対立・競争の長期的趨勢(すうせい)を、軍事以外の人口・統計・経済学なども踏まえて総合評価するシステムが欠落していたからだ。

 米国防総省にネットアセスメント室(ONA)という部局がある。最近まで室長は今年94歳になる米国随一の戦略思考家、アンディ・マーシャルだった。マーシャルは1973年以来四十数年、ソ連や中国との競争の趨勢につき、軍事に限らず、より総合的な視点から正確な分析・評価を国防長官に提供してきた。ONAを世に知らしめたのは冷戦時代のソ連経済に関する評価だ。当時CIAは一貫してソ連の経済力を過大評価していた。マーシャルは早くから統計経済学などを駆使してソ連経済の脆弱(ぜいじゃく)性を主張し続けた。彼の分析の正確さは90年代のソ連崩壊が証明した。ソ連はONAに敗れたといっても過言ではない。

 冷戦終了後マーシャルの関心は中国に移った。90年代末までにONAは「中国が中長期的に強大化し、米国にとって脅威となり得る」と評価した。マーシャルは人民解放軍の軍事評価だけでなく、孫子の兵法から中国経済、社会、人口動向にまで調査対象を広げた。ソ連の例と同様、彼の中国に関する分析は極めて正確だ。こうした総合戦略評価は今後数十年間日本が直面する大国間の戦略的対立・競争の趨勢を事前に把握し、大国間の衝突を生き延びる知恵を出す上で有用と信ずる。それでは何をすればよいのか。筆者が理解するネットアセスメントの特徴を列挙しよう。

 ●対象は自国と潜在的敵対国との軍事的対立・競争の本質とその長期的趨勢である

 ●目的は敵との対立・競争の長期的趨勢を敵よりも早く特定することにより、相手の長所を避け、短所を攻める準備時間を極大化することだ

 ●形式は一回限りの評価報告ではなく、常に更新される複合的分析・評価である

 ●軍事専門家に加え、政治経済、歴史文化など異なる分野の専門家の参画が不可欠だ

 ネットアセスメントを継続的に実施するには膨大な人的・財政的資源を長期間投入する必要がある。マーシャルは「正しい評価には正しい質問が必要」と説いた。ここでは対中総合戦略評価に必要と思われる「正しい質問」を列挙する。

 (1)中国政府・中国共産党の長期的目標は何か
 今中国はアヘン戦争の恨みを晴らしたいだけか、それとも全ての外国軍隊の中華圏からの放逐まで含むのか。

 (2)中国経済は人民解放軍の軍拡を支えられるのか
 敵に耐え難いコストを課す米国の戦略によりソ連は崩壊したが、中国にも同じ手法を応用すべきか。

 (3)人民解放軍の情報化戦遂行能力は米軍をしのぐのか
 中国が長距離精密攻撃能力の面で米国に追い付けば、米国の情報戦の優位は短期間で消滅するのか。

 (4)解放軍は本当に強いのか
 中国は地域覇権を「戦わず」に獲得したいのか。戦争が不可避なら、サイバーと宇宙の情報化戦で敵の急所をたたき、戦闘前に勝利することを考えているのだろうか。

 米国でもマーシャルほどの戦略思考家は数えるほどしかいない。さればマーシャルとその弟子たちが編み出した総合戦略評価を日本が簡単にまねできるとは思わない。しかし、われわれに時間はない。今から中国・日米の戦略的対立・競争の趨勢につき軍事、政治、経済、歴史を包含するネットアセスメントを始めておかないと手遅れになるかもしれない。戦略評価に失敗すれば日本はサバイバルにも失敗しかねない。それだけは避けるべきである。