酪農政策の基本となっているのは、バターや脱脂粉乳向けの加工原料乳に対して、農家への保証乳価と乳業メーカーが支払う乳価との差を補てんする不足払い制度である。この対象となるのは、主として北海道で生産される生乳である。
この制度は、北海道以外の他の都府県の酪農が縮小し、北海道が都府県に代わって飲用牛乳(市乳)供給地帯となるまでの暫定的な措置として、1965年に導入されたものだ。
飲用牛乳向けと異なり、バターや脱脂粉乳向けの加工原料乳に乳業メーカーが支払える乳価は少ないので、規模の大きい北海道の生産者でも、その価格では再生産できない。
このため、乳業メーカーが支払える乳価に、政府が不足払いを加算することによって、農家に一定の価格を保証し、北海道の酪農が再生産できるようにしたのである。
価格関係は、
飲用向け乳価>不足払いを含めた農家への保証乳価>乳業メーカーが支払える乳価
である。
この制度がなければ、安いコストの北海道の生乳が大量に都府県へ流れ、飲用向け乳価が低落し、都府県の生産者が急速に苦境に追い込まれる。
他方、北海道から都府県へ生乳を移送しようとすると、輸送コストがかかる。したがって、加工原料乳の保証乳価が飲用向け乳価よりも多少低くても、保証乳価を北海道の生産者に払えば、生乳が飲用向けとして、都府県へ大量に移送されるようなことを防ぐことができ、飲用向け乳価が低下することはないだろうと考えられた。
つまり、この制度は、間接的に飲用向け乳価を保証し、都府県の酪農が安定的に縮小することを目指したものだった。加工原料乳の乳価を保証することで、飲用向けも含めた全国の乳価を保証することができた。
北海道が市乳(飲用乳)供給地帯となるまでの暫定的な措置なので、いずれこの制度は廃止することが予定されていた。しかし、飲用向け乳価が間接的にも保証されたことにより、都府県の酪農は政策当事者が想定した以上に延命し、5~10年で終了するはずの制度が、半世紀たった今でも続いてしまうことになった。
全国の生乳生産量は、1966年の343万トンから順調に拡大し、1995年に866万トンのピークに達したのち、2014年は733万トンとなっている。北海道の生産は、1966年には71万トンに過ぎなかったが、飛躍的に拡大し、2009年に393万トンに達したのちほぼ横ばいで推移し、2014年は382万トンとなっている。
これに対して、都府県の生産は、1966年の272万トンから1990年に512万トンのピークに達したのち、大きく減少し、2014年は351万トンとなっている。
バターが不足しているということは、北海道が加工原料乳地域ではなく、市乳(飲用乳)供給地域になりつつあることを意味している。
現実にも、北海道釧路港と茨城県日立港とを20時間で結ぶ高速大型船によって、毎日、北海道の生乳が関東・中京圏に移送されている。過去最大だった2003年で生乳53万トンである(2013年は33万トン)。
これ以外に、北海道でパッキングした飲用乳が都府県に移出されている。こちらは、2013年で過去最大規模の33万トンである。
バターの不足は悪いことではなく、現在の不足払い制度が目標とした事態が達成されつつあることを意味している。北海道の加工原料乳生産が減少していけば、不足払い額が減少するだけでなく、バターなどの乳製品に対する高関税も必要なくなるほか、独立行政法人農畜産業振興機構による乳製品の独占的な一元輸入制度も不要となる。
バター不足が国民生活に悪い影響を与えているのは、このような輸入制度によって、国内で不足しているのに、機動的に輸入できなくしているためである。
バター不足は、酪農政策の抜本的な見直しとその大幅な縮小を要求している。