メディア掲載  外交・安全保障  2015.04.15

中東「核拡散」の序曲

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2015年4月9日)に掲載

 2日、欧米など主要6カ国がイランと核開発に関する「枠組み」に合意した。6月末の最終合意に向け交渉は続くが、要するに今後10年以上核兵器製造が不可能なレベルまでイランのウラン濃縮能力を制限する内容だという。本当なのか。中東に長く住んだ筆者にはどうもピンとこない。中東で核兵器拡散が始まる序曲ではないのか。そう考える理由をご説明する。

 案の定、合意発表直後のテヘランはお祭り騒ぎだった。経済制裁解除への期待は想像以上に高い。一方、ワシントンではオバマ政権が「歴史的」成果を誇示する中、議会共和党は批判を強めている。何が問題なのか。まずは合意内容を、あえてイランの立場から、検証してみよう。

 ●イランの核開発活動を最長25年間制約し、最初の10年間は特に厳しい制限を課す。

 【(イランの底意、以下同じ)制裁が続けばイランは潰れる。喫緊の課題は制裁解除であり、核開発は今後適当な時期に再開すればよい】

 ●米国・欧州連合(EU)は国際原子力機関(IAEA)がイランの義務順守を確認することを条件に制裁を緩和する。

 【IAEA査察をごまかすのは比較的容易だ。数年後、ほとぼりが冷めた頃に秘密施設で作業を再開すればよい】

 ●イランは遠心分離機数を6,104基に削減する。稼働数も最初の10年間は約5千基に制限する。

 【稼働数が現在の4分の1になるのは痛いが5千基あれば核兵器開発は可能だ】

 ●イランは濃縮度3.67%以上のウランを15年間製造しない。低濃縮ウラン貯蔵量も15年間、現在の1万キロから300キロに制限される。

 【低濃度でも濃縮ウランを保持できることは朗報だ】

 ●イランは今後核濃縮をナタンツ核施設のみで行う。重水炉は兵器級プルトニウムが製造できないよう改造する。フォルドウ地下施設は核研究所に転換する。

 【現有核施設を解体せずに済むことも朗報だ。10年もすれば民主主義の欧米諸国は忘れる。時はイランに有利だ】

 筆者がこの合意ではイランの核開発を阻止できないと考える理由は以上の通りだ。もちろん、「枠組み」合意の意義は否定しない。しかし、イランの核開発の目的はただ一つ、イスラム共和制の生き残りである。このことを忘れてはならない。今も未解決の問題は多く、今後協議が決裂する可能性もある。しかし、決裂するにせよ、このままイランに有利な最終合意が結ばれるにせよ、イランの核開発意欲は変わらないだろう。

 筆者が今回の合意を手放しに祝福できない理由は他にもある。それは交渉によって中東における米国の影響力低下が露呈するだけでなく、サウジアラビアなどの核兵器保有意欲を促進すると思うからだ。最後に、筆者がそう考える理由を記しておこう。

 ●第1は、やはり「枠組み」合意の内容が曖昧過ぎることだ。コップの水は「半分満ちているか、半分空か」という英語の表現に似ている。今回イランはある程度譲歩しつつも、濃縮ウランと遠心分離機の保有は放棄しなかったからだ。しかし、本質はコップの水ではなく、むしろ浴槽の湯だろう。風呂底の栓を握るイランはいつでも浴槽の半分の湯を空にできるからだ。

 ●第2は、この深刻な事態をイスラエルやサウジアラビアが看過するはずがないことだ。今回の合意で明らかになったことはイランが核開発を完全には断念しないこと、またそれを米国が事実上黙認しかねないことだ。こうなった以上、イスラエルだけでなくサウジも今後核兵器開発を本気で進めるだろう。サウジは自ら開発せずともパキスタンなどから既製品を購入できる。残念ながらついに中東湾岸地域で核兵器の拡散が現実味を帯び始めた、というのが筆者の直観だ。これが誤りであることを信じたい。