メディア掲載  外交・安全保障  2015.01.30

それでも重要な「インドネシア」

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2015年1月29日)に掲載

 今回の原稿は早朝のジャカルタのホテルで書いている。先週以降日本は「イスラム国」人質事件で揺れに揺れたが、同じイスラムでも、ここインドネシアの状況は大いに異なる。今回は改めてこの世界最大のイスラム人口国家の地政学的重要性を再確認させられた。筆者がそう考える理由は次のとおりだ。

 ●定着する民主主義
 第1はインドネシアがイスラム圏で数少ない民主国家の一つであることだ。昨年の大統領選挙でインドネシアは2004年の初の直接選挙以来、初めて民主的な政権交代を実現した。この10年間に大統領直接選挙は定着し、巨大イスラム人口国家でも民主主義が可能であることを証明した。この間中東で、チュニジアを除き、いわゆる「アラブの春」が相次いで頓挫したことを思えば、インドネシアの民主主義がいかに貴重なものか理解できるだろう。

 ●ASEAN随一の海洋大国
 第2に日本から中東湾岸地域までのシーレーンは海洋国家インドネシアにとって死活的に重要であることだ。1国だけでASEAN(東南アジア諸国連合)諸国全体の半分近い2億5千万人を占め、海洋重視政策を進めるインドネシアは将来日本にとって最も重要なASEAN加盟国の一つとなることは間違いない。

●自信を深める経済運営
 第3は近年インドネシアは自国の経済にも自信を深めていることだ。1997年のアジア通貨危機後、インドネシアはIMFとの合意に基づき経済構造改革を断行した。その結果、過去10年の経済成長率は6%前後となっている。ウィドド新政権は開発計画や投資認可の「中央集権化」、鉱物資源単体の輸出を禁止する「経済・資源民族主義」を打ち出した。こうした動きには既に欧米諸国が反発を強めているが、中国などはこの機に乗じてインドネシア取り込みを図っている。

 ●頭をもたげる大国意識
 一方、問題がないわけではない。最近インドネシアは就労ビザ取得に短大卒以上の学歴とインドネシア語試験を義務付けたという。補助金よりも開発投資、外国政府借款よりも進出外国企業の資金負担を重視する新政権の姿勢は一種の「大国意識」とみられなくもない。中国をも恐れぬ同国の「イスラム大国意識」は結構だが、経済・インフラ開発の面ではこれがマイナス要因ともなりかねない。日本の対インドネシア経済協力は現在大きな岐路に立っているといえるだろう。

 以上のとおり、インドネシアは近年の堅実な経済成長を背景に自信を深めつつある。特に、ウィドド新大統領の下では外交安保政策よりも国内建設を重視するなど内向き姿勢が垣間見える。一部には「日本に対し冷たくなり始めた」とか「新政権の態度に苦慮する日本」といった指摘もあるようだ。確かに、今のインドネシア側の態度はやや自信過剰気味で、同国を取り巻く国際安全保障環境に対する理解も不足しているように思える。だが、こうした認識はインドネシアの地政学的重要性を過小評価することにもなりかねない。

 皆さんは五輪真弓さんが歌った「心の友」という曲をご存じか。この美しいが、日本ではあまり知られていない歌は30年前インドネシアで大ヒットした。それどころか、今やこの国では「心の友」を知らない人はなく、現在も幼稚園や学校などで日本語のまま歌われているという。ASEAN加盟国の中でこれほど親日的な国民は他にいないだろう。日本がこんな資産を無にするのはあまりに惜しい。民主化が進めば政治指導者の関心も外交・安保から国内経済重視に移行する。岸信介内閣以後の日本もそうだったではないか。

 今後も2億5千万のインドネシア人に「心の友」を歌い続けてもらうには、新政権とのハイレベルの要人往来が必要のようである。