メディア掲載 グローバルエコノミー 2014.10.30
通商交渉を左右する農業
いつも農業が日本の通商交渉の障害となってきた。
1993年に妥結したウルグァイ・ラウンド交渉では、輸入数量制限を関税に置き換えるという関税化に日本は反対し、低関税の輸入枠を大きく設定するという犠牲を払って、米の例外を獲得した。関税撤廃が要求される自由貿易協定交渉でも、日本が農産物関税を維持しようとするため、相手国も工業製品の関税を削減・撤廃しようとしない。ベトナムとの交渉でも、同国の80%近い自動車の関税に手をつけられなかった。
TPPは全ての関税の撤廃を含め、高いレベルの自由貿易を目指している。それなのに、我が国の国会(農林水産委員会)は、米、麦、牛肉・豚肉、乳製品、砂糖などを関税撤廃の例外とし、これができないならTPP交渉から脱退も辞さないと決議し、これに政府は縛られている。これらの農産物の生産額は4兆円程度で、自動車産業の13分の1に過ぎないのに、それが日本のTPP交渉を左右している。この結果、TPPに参加しても日本車に対するアメリカの関税は長期間維持され、米韓自由貿易協定によって関税なしで輸出できる韓国車との競争条件の格差を是正できなくなっている。そればかりか、多くの例外を要求する日本を外して交渉すべきだという主張が、アメリカ議会で高まっている。農業のために他の産業が犠牲になっている。
偽りの国益
日本の高官は、日米TPP協議を国益と国益をかけた交渉だと言った。しかし、農業を守るのが国益なら、関税がなくなり価格が下がっても、アメリカやEUのように財政から農家に直接支払いをすれば問題はない。
政府が国益と称して関税で守ろうとしているのは、高い農産物・食料品価格である。この高い価格を維持するために、関税が必要になり、その関税を守るために、日米TPP協議では米や小麦の関税ゼロの輸入枠を増やしてアメリカの関連業界をなだめようとした。輸入が増えるので、食料自給率向上という政府目標とは逆に、食料自給率は低下する。
消費量の14%に過ぎない国産小麦の高い価格を守るために、86%の外国産麦についても関税を課して、消費者に高いパンやうどんを買わせている。消費税については、貧しい人の負担が高くなる逆進性が問題だとして、食料品の軽減税率も検討されている。その一方で、関税で食料品価格を吊り上げている逆進的な農政を維持することは、政治家にとって国益のようだ。
TPP反対論者は、関税で維持している農産物についての内外価格差(消費者負担)を農家への直接支払い(財政負担)に置き換えるなら、巨額な財政負担が必要となると主張する。しかし、これは消費者に巨額の負担を強いていると白状していることに他ならない。しかも、小麦のように、消費者は国産だけではなく、輸入農産物にも高い価格を払っているので、実際の消費者負担はもっと大きい。もし、関税を止めて農産物の内外価格差を直接支払いで補てんすれば、消費者にとっては、国産だけでなく輸入農産物の消費者負担までなくなるという大きなメリットが生じる。
米については、4,000億円もの税金を農家に払って供給を減少させ(減反)、主食である米の値段を上げて、6,000億円を超える消費者負担を強いている。18,000億円の米生産に対して、国民は、納税者として消費者として合計1兆円の負担をしている。減反を廃止して、価格低下で影響を受ける農家への補償に切り替えれば、2,000億円程度の少ない財政負担で済むだけでなく、これまで国民に負担させてきた消費者負担は消えてなくなる。国民負担は1兆円から2,000億円に低下する。
高い関税で守ってきた国内の市場は、高齢化と人口減少で縮小する。日本農業を維持、振興しようとすると、海外市場を開拓せざるを得ない。その際、いくらコストを削減しても、輸出相手国の関税が高ければ輸出できない。貿易相手国の関税を撤廃するTPPなどの貿易自由化交渉に積極的に対応しなければ、日本農業は衰退するしか道がない。その際の正しい政策は、減反廃止による価格引下げと主業農家に対する直接支払いである。しかし、我が国では、そのような農政改革は困難である。
農業発展を阻むもの
日本が価格支持から直接支払いに移行できないのは、アメリカやEUになくて、日本にあるものがあるからである。高い米価を必要とするJA農協である。
農地改革で多数の小作人に農地の所有権を与えたため、農村は保守化した。この農村を組織したのが、農協だった。農協が動員する票は自民党を支え、自民党は米価や補助金などで報いた。水田は票田となり、農村を基盤とする自民党の長期安定政権が実現した。
所得は、価格に生産量をかけた売上額からコストを引いたものだから、所得を上げようとすれば、価格または生産量を上げるかコストを下げればよい。政府が米を買い入れた食管制度の時代、農協は米価引上げの一大運動を展開した。1995年食管制度の廃止以降は、減反政策で高い米価を維持している。
15ha 以上の大規模農家の米生産費は0.5ha 未満の零細農家の半分以下である。また、1 俵(60kg)あたりの農産物のコストは、1ha 当たりの肥料、農薬、機械などのコストを1ha 当たり何俵とれるかという単収で割ったものだから、単収が倍になれば、コストは半分になる。つまり、米価を上げなくても、規模拡大と単収向上を行えば、コストは下り、所得は上がる。
兼業または年金で生活している都府県の平均的な1 ha未満の零細農家が、農業から得ている所得はほぼゼロである。ゼロの農業所得に20戸をかけようが40戸をかけようが、ゼロはゼロである。20ヘクタールの農地がある集落なら、1人の農業者に全ての農地を任せて耕作してもらうと、1,450万円の所得を稼いでくれる。その一部を農地の維持管理を行う対価(地代)として、農地を提供した集落の人々に配分したほうが、集落全農家が耕作するよりも、集落全体の利益になる。農村振興のためにも、農業の構造改革が必要なのだ。
しかし、総農地面積が一定で一戸当たりの規模を拡大することは、農家戸数を減少させるということである。多数の米農家戸数を維持したい農協は、所得を上げる手段として、米価引き上げを求め、農業の構造改革に反対した。農協の思惑通り、高い米価のおかげで、零細で高コストの兼業農家も米作を継続し、農地を手放そうとはしなかった。農業だけで生計を維持しようとする主業農家に農地は集まらず、主業農家が規模を拡大して収益向上を図るという道は困難となった。主たる収入が農業である主業農家の販売シェアは、野菜では80%、酪農では93%なのに、高米価政策のせいで米だけ38%と異常に低い。
減反は単収向上も阻害した。総消費量が一定の下で単収が増えれば、米生産に必要な水田面積は縮小し、減反面積が拡大して、減反補助金が増える。このため、1970年の減反開始後、政府系研究機関にとって単収向上のための品種改良はタブーとなった。今や、日本の米単収はカリフォルニア米より、4割も低い。ある民間の会社がカリフォルニア米を上回る単収の米を開発したが、生産が増えて米価が低下することを恐れる農協は、この米を採用しようとしない。
高い米価は米の消費を減少させた。最近でも、12年産、13年産米は豊作だったのに、農協が供給を抑制したため、米価は高くなった。これに外食業界はご飯の盛り付けを少なくするという対応を行い、米消費の減少に拍車をかけた。高米価政策によって生産と消費の両面で打撃を加えられた米農業の産出額は10年間で半減した。
農業滅んで農協栄える
銀行、生命保険、損害保険、農産物や農業資材の販売、生活物資・サービスの供給など、ありとあらゆる事業を総合的に行う、日本のような農協は、欧米にはない。日本の法人の中でも異例である。銀行は他事業の兼業を禁止されているし、生命保険会社は損害保険業務を行えない。
農家戸数の7割を占める米の兼業農家は、多額の兼業所得や農地の転用益を農協の口座に預金し、農協は90兆円の貯金残高を持つ我が国有数のメガバンクとなった。しかも、米では6割、肥料、機械など農業資材では5~8割ものシェアを持つ独占的な事業体であるのに、協同組合であるという理由で、農協は独禁法の適用除外である。農協は高い米価とアメリカの2倍にもなる農業資材の独占的な価格によって、高い販売手数料利益を得た。米価を高くして兼業農家を維持し、農業を衰退させたことが、様々な特権を持つ農協が発展する基礎となった。
関税がなければ、国際価格よりも国内価格を高くしている減反政策は維持できない。価格が下がっても、直接支払いを行えば、農家は影響を受けない。しかし、関税がなくなって米価が下がり、兼業農家がいなくなり、主業農家主体の農業が実現することは、農協にとって組織の基盤を揺るがす一大事だ。だから、農協は医師会なども巻き込み、TPP反対の大運動を展開したのだ。地方出身の国会議員は、TPP参加反対や農産物関税撤廃反対を農協に約束させられて、当選している。問題の本質は"TPPと農業"ではない。"TPPと農協"なのだ。
おわりに
日本農業の発展を阻害しているのは、減反などの農政である。しかし、農協が強い政治力と独占的な市場支配力を維持する以上、我が国が減反廃止などの抜本的な農政改革を実行し、輸出を拡大して農業を発展させることも、我が国がTPP交渉に積極的に参加することも、不可能である。
関税を守り高い農産物価格を維持することは、国益どころか、日本農業を衰退させ、消費者を苦しめる。農協改革に果敢に取り組み、農産物価格を引き下げることこそ、貧しい消費者を助け、農業を発展させる道である。これ以外に農業復興の道はない。