メディア掲載  外交・安全保障  2014.10.24

オバマはカーターか

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2014年10月23日)に掲載

 今回の原稿は再び深夜のワシントンで書いている。今年に入り米国出張は5回目、ワシントンだけでも3度目だ。しかも今回は4年に1度の中間選挙の直前。米国の大変化の兆候を肌で感じ取りたいとの思いでやってきた。議会が休会中だからか、意外に多くの議会補佐官に会えた。もちろん彼らの関心は中間選挙の行方だ。当地の下馬評は上下両院で共和党が議席を伸ばすとみている。下院では既に多数派の共和党がさらに差を広げる勢いだが、民主党が5議席多い上院でも逆転できるかは微妙らしい。民主党関係者の中にも若干共和党に有利と見る向きが多かった。

 米国選挙の追っかけは1976年の米国留学でアメリカ内政を学んで以来だから、かれこれ40年近くになる。もちろん、歴史が繰り返すとは思わない。だが過去の事実の中に未来のヒントがあることも否定できない。特に、今回最も気になったのはカーター政権とオバマ政権の類似性だ。

 カーター政権といっても若い人は実態を知らないだろう。1976年、ジョージア州のピーナツ農民が突然大統領選に立候補する。南部なまりの英語で「僕はジミー・カーター、アメリカ合衆国の大統領になる」と宣言する。アイオワ州を皮切りに当時各地で採用され始めた予備選挙を席巻。「素人」であることだけが価値を持った、米国ならではの政治現象だった。

 1972年大統領選の際、ウォーターゲート・スキャンダルが起きた。74年にはニクソン大統領が辞任した。当時もワシントンの既存政治家は国民の信頼を失っていたのだ。カーター大統領はその間隙を突いて大統領選を制したが、問題はその統治能力の欠如だった。共和党のやったことを批判するだけで何も決めない。1978~79年イラン革命では右往左往するばかりで、パーレビ国王を失う。大統領を取り巻くリベラル素人集団は「ジョージア・マフィア」と揶揄された。

 カーター政権の指導力不足、機能しない組織、無責任体質はひどかったと思う。これを覚えている人ほど、今のオバマ政権の体たらくがカーター政権のイメージと重なるのだろう。申し訳ないが、2009~12年の日本の民主党政権のようなものだった、と想像してもらえれば当たらずとも遠からずである。

 カーター政権とオバマ政権の類似性は既に多くの欧米識者が指摘している。最近もある英国のコラムニストが現在の米国内政は「恐怖と退屈と冷笑」に支配されていると書いたが、実に正鵠(せいこく)を得ている。イスラム国とエボラ熱を恐れ、変化と希望という使い古されたレトリックに退屈し、決断しない大統領を冷笑しているというのだ。1980年当時の米国も、冷戦とイスラム革命という恐怖、素人政治への退屈、統治能力を欠いた大統領への冷笑という点では同じだ。だが、このような時、米国の民主主義は必ず自ら政治を変化させてきた。2016年に米国政治はいかなる方向へ変化していくのだろうか。

 1980年の大統領選挙で米国民は保守派のレーガン大統領を選んだ。多くの民主党員も共和党に投票し、彼らは「レーガン・デモクラット」と呼ばれた。ソ連とイランには強硬だったが、「強い米国」政策により冷戦は終結した。2016年の共和党に1980年のような大変化を起こす力はないかもしれない。あれから36年、米国政治から「良識ある中間派」が退場し、残るは「妥協なき強硬派」ばかりとなったからだ。では、米国に明日はないのか。決してそうは思わない。筆者と同年代の米国の親友は「今の30代以下の若い米国人には希望がある。彼らは良識を持ち妥協する能力もある」と絶賛していた。米国の若い世代が変わっていく限り、米国政治もいつか再生するはずだ。米国の真の恐ろしさはその自己再生力にある。