この原稿は沖縄本島南部で書いている。台風の影響で1日早く那覇入りする必要があったためだ。本来なら沖縄と中国の関係を書くべきところだが、今は9月26日から続く香港の学生デモがどうしても気になる。というわけで、今回のテーマは香港民主化に関する本邦主要各紙社説の比較である。
■欧米主要紙の社説
実は3日前に、筆者の英語コラム「Kuni Miyake's Tenor of Tokyo」で同じ題材を取り上げた。当時は日本と欧米の主要日刊紙でこの問題の取り扱い方が大きく異なっていたからだ。これは面白いとばかり、英語版では早速取り上げたのだが、その時点での筆者の問題意識は次のようなものだった。
●欧米主要紙がこの問題を社説で取り上げたのは、デモ開始の9月26日から4日後の30日だった。
●リベラル系ニューヨークタイムズだけでなく、ワシントンポストなども、民主化の行方に懸念を表明した。
●ところが、日本では9月30日の時点で同様の社説を掲載したのは保守系の産経新聞だけだった。
●日本のリベラル系主要紙は当初沈黙を守り、朝日新聞が社説で取り上げたのは10月3日だった。
この微妙な時間差の理由は何か。そもそも日本のメディアは中国に甘いのか。この「香港に関する日本メディアの奇妙な沈黙(Japanese Media Oddly Silent on Hong Kong)」と題した英語コラム、若干内容は古くなったが、論点の本質は今も変わらない。まずはその概要からご紹介しよう。
●今回は中国の香港で、若者の間に再び民主主義という熱病が流行し始めた。(Another pro-democratic epidemic seems to have infected the Chinese youth on September 26, this time, in Hong Kong.)
●欧米主要紙の社説は、当局がデモを実力で排除することは「自由と良質の統治という香港の評価を風化させ(could erode the reputation for freedom and good governance upon which investment into Hong Kong depends)」、「多国籍企業が長く依存してきた香港の政治的安定を破壊しないまでも、著しく害する(would severely damage - if not obliterate - the political stability that multinational corporations have long relied on for doing business there)」などと警告した。
●日本の多くの人々は1989年の天安門事件をよく覚えており、香港を含む中国での民主化の夢が近い将来実現しないことなど百も承知だ。(The silent majority of Japanese, however, know that this is just another dream fever for democracy in mainland China, including Hong Kong, which will never come true in the foreseeable future.)
●中国の内政問題につき「例外を認めない」ことは中国指導者の一貫した決意だ(Beijing is consistent and determined, and considers it an internal matter for China. Its leaders know that they cannot tolerate any exception to their rules, even in Hong Kong)
●香港当局に当事者能力はなく、今回民主化要求は実現しない。北京は学生排除のチャンスを狙っているが、学生もそうさせないよう分別ある行動を続けている。(Beijing will never miss an opportunity to physically remove the youth from the streets in central Hong Kong. The students seem to know how to behave themselves in this sensitive political game.)
●実力排除のチャンスはいずれ学生の誤算や絶望または親北京秘密分子による不安定の中から生まれるだろう。(It could be triggered, for example, by "radical illegal violence" on the part of the students either out of miscalculation and desperation, or out of a destabilized situation set up by secret pro-Beijing operatives in Hong Kong.)
●これまで日本のリベラル系新聞は沈黙を守ったが、デモ発生1週間後の10月3日になってようやく朝日新聞が社説で取り上げ、「行政長官選挙の制度設計は見直し、思想や主張にかかわらず、だれにでも立候補の道を開くことを検討すべきだ」と主張した。(the Asahi Shimbun finally carried an editorial to warn and request China to "review the election system and consider a way for everybody to run.")
●なぜ彼らは沈黙したのか。日本のリベラル系新聞が本当に「リベラル」であれば、9月30日に社説を書いただろう。このことはこの種の新聞が真の意味での「リベラル」ではなく、単に「中国に気兼ねした」からに過ぎない。これはジャーナリズムなどではない。(This editorial episode only shows that those dailies are not liberal and are just reluctant to criticize China in order not to antagonize Beijing. This is not journalism.)
ざっとこんな感じである。
東京に駐在する多くの欧米人記者がほぼ異口同音に「日本の新聞記者はジャーナリストではなく、民僚(会社の官僚)にすぎない」と言っていたことをふと思い出した。彼ら欧米系ジャーナリストにとって、これは朝日新聞だけの問題ではなく、日本のマスコミ全体の問題なのだ。
■10月4日以降の状況
ここで改めて、日本の主要日刊6紙の香港民主化デモに関する社説掲載の経緯を振り返ってみよう。10月3日までの流れは次の通りだ。
●9月30日・産経主張 「香港民主化デモ 流血招く鎮圧より対話だ」
●10月2日・読売社説 「香港抗議デモ 混乱の長期化が懸念される」
●10月3日・朝日社説 「香港デモ 長官選のあり方再考を」
その後、沈黙を守っていた3紙が朝日新聞の後を追うかのごとく、翌日に揃って社説を掲載した。
●10月4日・東京社説 「香港占拠長期化 話し合いで解決しよう」
●10月4日・毎日社説 「社説:香港学生デモ 民主化は普遍的願いだ」
●10月4日・日経社説 「香港の輝きを損ないかねない『大陸化』」
誤解のないよう申し上げるが、今回のコラムは朝日新聞を批判するために書いているのではない。今回、朝日は、日本のリベラル系新聞の中では最も早く、10月3日の段階で社説を書いた。社内で侃侃諤諤の議論があったかどうかは知らないが、以下の理由により、今回の朝日の社説は評価に値すると考える。
■制度見直しを主張しないリベラル系日刊紙
筆者がそう考える理由をご披露しよう。
まず、産経新聞だが、同紙「主張」のロジックは、「中国は香港に『高度な自治』を保証した。流血の事態は絶対に避けるべし。香港当局に求められているのは、真の普通選挙に向けた対話だ。香港トップの候補者の恣意的選抜は『国際公約』違反であり、撤回すべきだ」ということに尽きる。
産経が9月30日の段階で、しかも欧米主要紙よりも半日早く、こうした社説を書いたこと自体、評価すべきだ。ただし、これは真のリベラル論者が主張するように「香港の民主化」が大事だからではなく、中国の国際公約違反がけしからんから、という理由からなのだろう。
続いて社説を書いたのが読売だ。産経と同じく保守系の同紙は「学生たちが反発したのは理解できる。米大統領報道官も『香港市民の強い願いを支持する』と表明した。武力鎮圧という最悪の事態は避けねばならない。習政権には、香港の自治を尊重し、対話によって解決する姿勢が求められる」と主張する。
しかし、この主張、どこか変だ。「対話せよ」ではなく、新制度は「撤回すべし」となぜ主張しないのか。中国の内政だからか、北京が本当に対話で解決するとでも思っているのか。そもそも、この程度の社説をなぜ事件発生から1週間近く経って掲載したのか。米国が支持を表明したからか。どうもよく分からない。
この点、読売の翌日に社説を掲載した朝日の方がそれなりに筋は通っている。リベラル系新聞だから当然といえば当然だが、「警察はこれ以上の実力行使を控えるべきだ。行政長官選挙の新制度は正当性を欠いており、制度設計を見直し、だれにでも立候補の道を開くことを検討すべきだ」と主張したからだ。
こうした朝日の社説に比べれば、同じリベラル系でも毎日の社説はどこか奥歯に物が挟まっている。
「米大統領は学生らに理解を示した上で『平和的な解決』を求め、中国外相は『内政問題だ』と主張した。できるだけ早く話し合いを始め、平和的な解決に向けた糸口を見つけてほしい」と言うだけだからだ。
同日に掲載された東京と日経の社説も似たり寄ったりだ。東京は「解決には冷静な話し合いしかありえず、中国は武力行使に踏み切るべきではない」、日経も「経済に悪影響が出始めている。共産党政権は香港市民の声に耳を傾け平和的な打開策を探るべきだ」としか主張しないのだから。
毎日の社説は典型的「両論併記の意味不明」だ。東京の社説もおかしい。話し合いの結果、学生が折れたら、香港に民主主義がなくてもよいのか。そうではなかろう。日経の社説は経済紙だから当然としても、平和的な打開策の具体的意味には決して踏み込まない。要するに、何を言いたいのか分からないのだ。
■保守系紙の中国嫌いとリベラル系紙の気兼ね
これらを踏まえた筆者の見立ては次の通りだ。
日本の保守系新聞は一般に中国に厳しいからか、早い段階で中国を批判し、新制度の撤回を求める社説を掲載した。これに対し、リベラル系新聞は中国に優しいからか、実力行使反対と対話による解決を唱えるだけで、可能な限り中国批判を回避しようとした。いずれにせよ、これらはジャーナリズムではない。
その意味で、今回の朝日新聞の社説には少なからず驚いた。最後まで中国批判を回避するのかと思ったが、朝日は読売が社説を掲載した翌日に、選挙制度の見直しを求める社説掲載に踏み切った。他のリベラル系日刊紙は朝日に後追いしたが、内容的には朝日の社説の方がはるかに「リベラル」だった。
以上は筆者の「読み過ぎ」であり、実際に各社の論説委員たちが議論した内容とは大きく異なるのかもしれない。
しかし、読者は紙面に掲載された最終版の社説で判断するしかない。その意味では、瀕死の朝日新聞にも、まだ生まれ変わる可能性が残っているのではなかろうか。