メディア掲載  外交・安全保障  2014.10.14

友の犠牲を覚えている国

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2014年10月9日)に掲載

 今回の原稿は沖縄本島南端の百名で書いている。ヒャクナと聞いてピンと来る読者はかなりの沖縄通だ。部屋の真下には美しい海が見える。ホテル屋上の露天風呂から眺める太平洋は絶景だ。沖縄は何十回も訪れたが、ほとんどは駐留米軍関係の出張。今回は沖縄「正論」友の会で講演させてもらった。沖縄にも「正論」の集まりがあると聞くだけでうれしくなる。

 これまでの訪問先は本島中西部がほとんどで、南部の海岸は初めてだ。沖縄戦の悲劇はこの百名も例外ではないが、今は同じ沖縄でありながら米空軍戦闘機の爆音や海兵隊の実弾演習は聞こえない。ここには古来の美しい沖縄が残っている気がした。それもそのはず、百名ビーチの沖には久高島という聖地がある。琉球の創世神「アマミキヨ」が天から降臨し、国創(づく)りを始めたと伝えられる、琉球神話の最も聖なる島だ。

 ホテルの1階はさながら琉球王国の「歴史館」だった。15世紀に第一尚氏王朝を支えた明出身の国相・懐機、17世紀に島津氏侵攻で捕虜となり江戸で徳川家康と対面した第二尚氏の尚寧王。彼らの物語を読めば、沖縄の対日・対中関係の複雑さ、微妙さが伝わってくる。その沖縄に現在は米軍が駐留する。歴史とはかくも皮肉なものなのか。

 今も沖縄の一部に「米軍は出てゆけ」という声があるが、実際に米軍が撤退すると何が起きるかは「イスラム国」が跋扈(ばっこ)する今のイラクを見れば明らかだ。いや中東と沖縄は違う、との反論もあろう。ではフィリピンはどうか。同国が1991年11月に駐留米軍を追い出した直後、中国は92年2月に領海法を制定し、南・東シナ海の島々を中国領と宣言、力ずくで占領を始めた。フィリピンが自らの過ちに気付き、米軍プレゼンスを再び認めたのは今年4月末のことだ。

 国際情勢は善意だけでは動かない。だが、世の中には良識と人情を理解する国と理解しない国がある。先日もその典型例を見聞きした。デビッド・ペトレイアス氏が来日したときの話だ。ペトレイアス将軍といえば、米中央軍司令官、CIA長官を歴任したイラク戦争の英雄、2003年秋には北イラクの責任者としてモスルにおり、同年11月に殺害された外務省の故奥克彦大使、井ノ上正盛書記官と生前何度も顔を合わせていた。

 そのペトレイアス氏が訪日中、この2人の外交官を偲ぶ植樹が外務省前庭にあることを知り、急遽日程を変更して植樹の前で黙祷していったという。その際、ペトレイアス氏はこう述べたそうだ。

 2003年11月29日の2人の悲劇的死は私にとって特別の意味を持っています。彼らが殺害されたのは私が2人と再会する直前だったからです。国際平和のため共に貢献した仲間たちの勇気ある行動と犠牲を決して忘れないこと、米国の同盟国を忘れないことは私にとって厳粛なる責務です。この植樹の前で2人と働いた経験を持つ日本外務省の同僚たちと一緒に日米同盟関係の重要さを再認識するとともに、2人の有能な日本外交官の悲劇を思い出すことは、大変光栄なことでした。

 ペトレイアス将軍については今も米国でさまざまな評価がある。しかし、ここでご紹介した彼の言葉には正真正銘の友情が感じられるではないか。同氏の訪日目的はビジネスだった。忙しい時間を割いて外務省前庭までやって来る必要などなかったのかもしれない。だが、彼は植樹の前で黙祷するため、全ての日程を再調整したという。それほど奥、井ノ上両氏に対する思い入れは強かったのだろう。

 両氏は命を懸けてイラク復興のために奔走した。ペトレイアス将軍にはリスクと犠牲を共有する友人こそが真の友人なのだろう。本来同盟とはこういうものであり、それは日本と沖縄との関係についても同様であるはずだ。