メディア掲載  グローバルエコノミー  2014.10.03

農家所得の向上が農政の目的なのか?

WEBRONZA に掲載(2014年9月19日付)

■西川農水相が強調する農家所得の向上

 西川公也農林水産相は就任記者会見で、"農家所得の向上"を強調した。農協改革についても、"農家所得の向上"の観点から検討すると主張している。国民の食料費支出94兆円のうち、80兆円が農業以外の産業の取り分となっているので、農家が周辺産業まで進出することによって農業(農家)の取り分を増やすべきだとも主張している。

 しかし、はたして"農家所得の向上"が農政の目的なのだろうか?ワープロの出現で印刷業者の多くは転廃業した。郊外の大規模店舗の出店で、町の商店街はシャッター通り化し、昔からの商店は店をたたんでいる。土木業者は公共事業縮小の影響を受けてきた。産業構造の変化を受けて倒産する中小企業の人たちも、就職氷河期の影響をいまだに受けている人たちもいる。

 それなのに、なぜ農家だけが特別に所得を保障されなければならないのだろうか?農林水産省以外の国の政策で、特定の産業従事者の所得向上や保障が目的となることはない。


■食料安全保障と農政

 通常の場合、かつての石炭や繊維のように、ある産業の収益性が低下するのであれば、他の産業に労働や資本を円滑に移転する政策をとればよく、当該産業の維持やその産業従事者の所得向上のために政策を講ずべきだという議論は行われない。

 もし農家の所得を保障・向上しなければならないとすれば、農業は国民の生命維持に不可欠な食料を供給するという役割があるからだとしか説明がつかない。食料危機の際に農業を維持しておかなければならないという主張もあるだろう。食料安全保障の議論である。

 しかし、それ以外に、特段農家の所得だけ保障しなければならない理由はない。つまり、食料の供給や食料安全保障が第一義的な農政の目的であって、その限りにおいて、農業に従事する農家の所得を維持しなければならないという主張が出てくるのである。


■「食料品価格を下げるべき」と主張した柳田國男

 1900年に柳田國男が農商務省に入省して以来、戦前の農政官僚たちは、これを肝に銘じていた。関税を導入し、米の輸入を抑制することにより、高い米価を実現しようとした地主勢力に対し、柳田國男は消費者や労働者のことを考えると、安い輸入米を入れても、食料品の価格を下げるべきだと主張した。農家の所得を向上するなら、米価を上げるのではなく、生産性を向上させて、コストを下げるべきだと主張したのである。

 柳田の後輩で小作人解放に尽力した石黒忠篤は、農林大臣として農民を前に「農は国の本なりということは、決して農業の利益のみを主張する思想ではない。所謂農本主義と世間からいわれて居る吾々の理想は、そういう利己的の考えではない。国の本なるが故に農業を貴しとするのである。国の本たらざる農業は一顧の価値もないのである」と述べている。

 石黒にとって、国の本たる農業とは、国民・消費者に食料を安く安定的に供給するという責務を果たす農業だった。

 あるとき、農政官僚が米価を維持しようとして減反を主張した際、陸軍省は安全保障の見地からこの誤った政策を止めさせた。政府全体として、食料供給が主または本で、農家所得は従または末だという明確な認識があった。


■飽食の時代の本末転倒

 しかし、食料危機が遠のき、飽食の時代が叫ばれて久しい今日、農政は食料供給という目的を忘れ、農家所得を主たる目的としている。本末転倒である。農業票を獲得するためには、食料供給よりも農家所得向上を叫んだ方が得策である。戦前実現できなかった、米の供給を削減して米価を維持するという減反政策は、40年も継続されている。

 農協は、農産物と農業資材の供給で、独占的な地位を持ちながら、協同組合であるというだけで、独禁法の適用除外を受けてきた。この結果、農家は、肥料、農薬、機械などの農業資材を、アメリカの倍の価格で購入している。

 当然、日本の農産物・食料品はコスト高になるが、農協は、その独占的な力や政治力を利用して高い農産物価格を実現している。こうすれば、農家は高い資材価格を農協に払っても、所得は減少しない。農協が高い農産物と農業資材の販売で利益を上げれば、農家は組合員として配当を受けることができる。農家所得向上が、農協改革の視点であれば、現状を変更する必要はない。


■米価低下の影響を受けない兼業農家

 そもそも、農家の7~8割は米農家であり、そのうち農業だけで生計を立てている主業農家は数%に過ぎず、ほとんどが週末だけ農業を行うサラリーマンか退職した年金生活者である。しかも、これらの農家は規模が小さくコストが高いので、農業からの所得はマイナスかトントンである。農家所得を上げるのであれば、米価を上げるより、兼業先の工場に賃上げをお願いに行く方が、はるかに有効である。

 農家に4,000億円の減反補助金という納税者負担を行って、米の供給を制限し、米価を吊り上げて6,000億円の消費者負担を強いている。さらに、本年産の米価低下に対して、農協は政府が市場に介入して米価を高く維持すべきだという主張を展開し始めている。

 しかし、農家所得に占める農業所得の割合が極めて低い兼業農家は、米価低下の影響を受けない。影響を受ける主業農家には、農産物価格を高くするより、直接支払いという方法がある。農家は保護され、価格は低くなるので、消費者も利益を受ける。もちろん、農産物や農業資材の価格が低下すれば、販売手数料収入が減少する農協の経営は影響を受ける。しかし、農協経営は農政の目的とは言えない。

 食料供給という本来の目的を忘れた農政から、そろそろ脱却すべきではないだろうか。