メディア掲載 グローバルエコノミー 2014.09.08
JA農協について、国民はどのようなイメージを持っているのだろうか?農家の利益向上団体、テレビ番組サザエさんのスポンサーの銀行、かつての米価闘争や今日のTPP反対活動を展開している圧力団体、など様々だろう。
これは、JA農協が行っていることが、政治活動から、農産物や農業資材の販売、銀行業務、生命保険や損害保険の業務、病院経営、葬祭事業まで、多岐にわたっているからである。こんなになんでもできる権能を与えられた法人は、日本には農協以外には存在しない。
そのような農協は株式会社ではなく、農業振興を目的とする協同組合である。名目上は、農家という弱者が強大な資本に対抗するために作られた組織である。
しばしば、農協の現実の活動が農家や農業のためになっていないという批判に、農協関係者が、協同組合の理念からすれば的外れだと、現実を理念にすり替えて、反論する場面に遭遇する。彼らがこのような対応しかできないのは、理念と現実が大きく食い違っていることを認めざるを得ないからだ。このようなかい離が生じているのは、理念と現実をつなぐ制度の設計が間違っているからである。理念を実現するために、現実を変えようとすれば、制度の変更が必要となる。つまり、農協改革である。
戦前の地主制も、当初は農業振興に努めたが、やがて寄生化し、農地改革で解体・消滅した。地主制と農協制は、全く異なる体制ではない。戦前の地主階級の利益を代弁していた農会という組織は、戦時中の統制団体を経て、今のJA全中という組織になっている。地主制と同様、農協制も、高い関税、高い米価の維持を強力に推進してきた。農協制も、地主制と同様、強力な政治力を発揮して、農業・農村に君臨した。しかし、地主制にとって代わった農協制についても、ほころびが目立ち始めた。
利用者である組合員が主人公であるのに、組合員は逆に強大な権限を持つ農協に支配されている。肥料では八割のシェアを持つのに、協同組合という理由で農協には、独占禁止法が適用されない。組合員が安い資材を購入するために作ったはずの農協によって、組合員は独占的な資材価格を押しつけられている。
農協が推進した高米価政策によって、コストの高い零細な兼業農家が多数滞留し、米農業は衰退した。しかし、農業所得の四倍に達する兼業所得も年間数兆円に及ぶ農地の転用利益も、銀行業務を兼務できる農協の口座に預金され、農協はわが国第二位のメガバンクに発展した。兼業農家から集まった資金は、地域住民ならだれでもなれる准組合員に、住宅ローンとして貸し出された。准組合員は年々増加し、農協は、今では農家ではない准組合員の方が多い、"農業"の協同組合となった。
米価を上げることで、農協が制度として持つ全ての歯車がうまく回転した。農業を発展させるための組織が、それを衰退させることで発展したのである。農協は、もはや"農業"のための組織でもないし、利用者である組合員が設立し、所有し、管理しているはずの"協同組合"でもない。主体であるはずの農家は、農協という組織が利益を得るための客体となっている。しかも、利用者の多数を占める准組合員は、組合運営に発言権を持たない。農協は、利用者が管理するという、協同組合の大原則から逸脱している。
本書は、農協が戦前の統制団体を改組して作られた経緯、それに起因する理念と現実のかい離、農協改革の基本的な視点を述べたのち、具体的な改革案を提示した。このかなりは、規制改革会議で取り上げられた。特に、全農の株式会社化はこの本で初めて提案したものである。国民が農協改革を議論する際の参考になることを期待してやまない。