メディア掲載  外交・安全保障  2014.08.04

2つの異なる「ガザ」

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2014年7月31日)に掲載

 集団的自衛権行使容認に反対する社民党のポスターが物議を醸している。父親が自衛官の男の子。「あの日から、パパは帰ってこなかった」。家族のつらい思いを表現したというが、自衛隊に対する冒涜だとすら思う。隊員の任務は命を懸けて国土国民を守ること。当然家族も最悪の事態を覚悟する。だからこそ国家は彼らに最大限の敬意と名誉を与えるべきなのだ。社民党のポスターには、そのような発想は皆無、これも「空想的平和主義」の残滓なのか。

 外務省に27年勤務し、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、イラク戦争に遭遇した。僅かではあるが実戦も目撃した。古今東西、戦争は悲惨だ。形あるものは破壊され、多くの人々が死傷する。仁義は通用せず、ルールは最小限。だからこそ人類は軍人と民間人を区別し、後者の犠牲を最小限とすべく国際法を整備してきた。その本質は「軍人は民間人を守るべし」に尽きる。

 今その守るべき多くの民間人がガザで犠牲となっている。国際社会は持続可能な停戦実現に向け精力的に動いている。日本でも主要紙社説が本件を取り上げたが、筆者はなぜか違和感を禁じ得ない。

 多くの社説はイスラエルとハマスの双方に自制を、国際社会には停戦実現の努力を、それぞれ求めている。当然の主張であり、異存はない。だが「ガザ」には2種類ある。ハマスのガザと民間人の住むガザだ。にもかかわらず、一部にはイスラエルによる民間人攻撃のみを批判する論調が散見される。例えば、ある有力紙社説は「イスラエル、ガザ市民の殺傷やめよ」なる見出しを掲げ、次のようにイスラエルを批判する。

 ●軍事力で圧倒的に勝るイスラエルの自制が欠かせない。市民を巻き込む軍事行動に見切りをつけるべきだ。

 他の社説にも同様の論調が見られる。例えば、

 ●無差別の攻撃をやめるべきだ。今の侵攻は明らかに自衛の範囲を超えている。

 ●民間人の殺害は国際法違反であり...圧倒的な軍事力でさらに犠牲者が多数出るのなら、国際世論はそれを虐殺と呼ぶだろう。

 いずれも「ハマスのガザ」と「民間人の住むガザ」を混同した議論だ。一方、対ハマス批判を明言するバランスの取れた社説も少なくない。

 ○ハマスもこれ以上ガザの市民を危険にさらす行為を続けてはならない。

 ○ハマスが市民の犠牲をいとわず戦い続けて内外の同情を集めようとするならば、大きな間違いだ。

 ○問題の根底には、イスラエル国家の存在を認めないハマスの強硬姿勢がある。

 今回の戦闘の本質はハマスの長距離射程ロケット発射と秘密地下トンネルを利用したイスラエル領内ゲリラ攻撃だ。しかし、どの社説もイランなどが数千発ともいわれるロケットをハマスに供与・支援したらしいことには触れていない。さらに、ハマスがロケットの発射台や製造工場を赤新月社、学校、国際機関事務所、住宅地などの直近に設置する一方、付近の市民には避難しないよう求め、事実上民間人を「人間の盾」とする、軍人にあるまじき行為を厳しく批判していない。

 ハマスにも軍事部門があり、専門的軍事訓練を受けている。もし彼らが軍人の端くれであれば、最初に学ぶことは「民間人の保護」であるはずだ。身内の民間人を危険にさらして保護しない軍隊が批判されず「人間の盾」の裏にある目標を攻撃せざるを得ない軍隊が非難される。筆者にはやはり違和感がある。

 もちろん、イスラエルだけが正しいというつもりは毛頭ない。だが、バランスを欠いた論調は結果的に日本国民の中東理解を曇らせるだけだろう。ある社説は「今は双方が武器を置いて頭を冷やすときだ」と説いたが、双方の行動は冷徹な計算に基づいている。こんなけんか両成敗論で事態は解決しないのだ。