メディア掲載  グローバルエコノミー  2014.06.27

国民目線の農協改革(第1回)

「週刊農林」2014年6月15日号掲載

 1955年総理大臣を狙っていた大物政治家、河野一郎農林大臣が挫折して以来、60年ぶりに農協改革が政治の議題に上がった。いつもの農政劇のように、各地のJA農協は地元出身の政治家を動かし、改革案を骨抜きにしようとした。それは成功した。自分たちの組織がなくなるかもしれないのだから、当然の対応だろう。しかし、与党の政治家が既得権益の代表ではなく、国民の代表であるなら、農業はもちろんのこと、国家・国民のために、今の農協法やJA農協は必要なのか、ということを真剣に議論してほしかった。

 1947年、終戦直後に作られた農業協同組合(農協)法は、その目的を「農業者の協同組織の発達を促進することにより、農業生産力の増進および農業者の経済的社会的地位の向上を図る」ことだと定めた。

 しかし、戦後の経済復興、高度成長を経て、「農業者の経済的社会的地位の向上」という目的は達成された。1965年以降、農家の所得は勤労者世帯の収入を上回って推移するようになった。農家は農地改革でもらった農地を宅地などへ転用することで、莫大な利益を得た。農村や農業から貧困は消えた。農業機械が普及し、農作業のつらさ、厳しさもなくなった。

 もう一つの「農業生産力の増進」という目的は達成されなかったが、その手段として農協法が掲げた「農業者の協同組織の発達を促進すること」は、十分すぎるほど達成された。JA農協組織は預金量第2位のメガバンクに発展した。農協の保険事業も業界第1位の日本生命に肉薄している。農業が衰退するにもかかわらず、農協は大きく発展した。

 「農業者の協同組織の発達を促進すること」は「農業生産力の増進」につながらなかった。というより、それを妨げた。農協は農家が安く資材を購入するために作った組織なのに、農家に高く肥料などの農業資材を売りつけた方が、販売手数料収入が増加し、農協組織にとっては都合がよい。農協が主導した、高米価・減反政策によって、圧倒的多数の兼業・片手間農家が存続し、農業所得をはるかに上回る兼業所得や農地の宅地等への転用利益が農協口座に預金された。こうして、農協は、農業だけで生きようとする農家らしい企業的農家の規模拡大を妨げ、「農業生産力の増進」を阻害した。それが、農協組織の利益となったからである。農協の発展や繁栄は、農業の衰退や犠牲の上に築かれたといってよい。

 農協法が掲げた二つの目的の一つは既に達成された。もう一つの目的を達成するうえで、「農業者の協同組織」、つまりJA農協の発達を促進することは、有害だった。となれば、農協の存在意義はもうなくなったということではないだろうか。「農業者の協同組織」が農業の発展に必要だとしても、それはJAという農協組織とは全く別の組織だろう。

 JA農協は、規制改革会議の改革案に対して、協同組合の価値や原則を無視するものだと批判している。しかし、そういうJAは協同組合なのだろうか?(つづく)