謝罪になっていない。誠意が足りない。犠牲者に対し直接謝るべきだ。日本政府に対する批判ではない。これら韓国人の声は、ほかでもない朴槿恵(パク・クネ)大統領に向けられたものだ。
多数の高校生が犠牲となった旅客船「セウォル号」沈没事故について朴大統領は閣議の場で書面を読み上げ次のように述べたという。「対応に不手際があった。事故を予防できず、初動対応も不十分だった。多くの貴重な命を失い、国民に申し訳ない」。さらに、事故原因と対応の遅れが関係省庁の縦割り主義や業界との癒着体質によるものだとしつつ、「これを契機に、官僚社会の改革を強力に推進する」とも語ったそうだ。
確かに、悲劇に至った経緯を知れば知るほど心が痛む。高校生を持つ親には決してひとごとでないだろう。だが、筆者にはどうしても理解できないことがある。それは朴大統領が謝罪する理由として「事故を予防できなかった」ことを挙げている点だ。
筆者は朴大統領のファンではないが、こればかりはちょっとひどいと思う。よく考えてみてほしい。韓国にはこの種の海難事故を予防するために海上警察など専門行政機関がある。政府内の対応に不手際があったことは事実だろうが、それは大臣レベルの責任であり、大統領個人の責任ではないだろう。多数の高校生の犠牲を軽んじるつもりは毛頭ないが、大統領はより大きな仕事である韓国全体の繁栄と安全保障にこそ責任を持つべきではないのか。
もちろん、大統領は民主的選挙で選ばれた政治家であり、結果責任を負う必要があることは否定しない。その問題に外国人が口を挟むべきでないことも理解する。しかし、大統領は今回事故を起こした海運会社の航路決定に責任があるのか。彼女は今回の救助活動に直接関与したのか。2011年の福島原発事故の際現地に乗り込んだ日本の首相のように、プロフェッショナルの仕事に口出ししようとしたわけではないだろう。今回の彼女に対する批判はあまりに情緒的過ぎるのではなかろうか。
こうした議論は韓国内外でも散見される。ある欧米の識者は今回の沈没事故の背景に韓国特有の「文化」があるという。官僚の天下りと年長者優先の儒教文化こそが問題だと言いたいらしい。これに対し、韓国の有識者はもちろん懐疑的だ。天下りと年功序列なら日本にだってあるが、日本ではこんな事件は起きていない。問題は韓国の「文化」ではなく、むしろ韓国人の短気で感情に流されやすく、物事を冷静かつ客観的に見ようとしない未成熟の「国民性」だという正論も散見される。
ある韓国の学者は欧米主要紙に、「韓国人のこうした政府批判は国王が全てを所有していた中世王朝時代から続くものだ」と自嘲を込めて語っていた。清朝末期以降活躍した中国の歴史家・ジャーナリスト、梁啓超も、「朝鮮人は空論を好み、激情にして怒りっぽく、ややもすれば命知らずで、すぐ立ち上がる。朝鮮人は将来のことはほとんど考えない。庶民は腹いっぱいになれば、すぐ木陰で終日清談にふけり、明日のことはすっかり忘れてしまう。高官も今日の権勢さえあれば明日は亡国となってもほとんど気にしない」といった実に興味深い観察を書き残しているそうだ。
もちろん、これだけで韓国社会を一般化することは危険である。他方、現在の朴大統領に対するやや理不尽とも思える批判を聞いていると、韓国の国民性が今も昔もそれほど変わっていないのではないかと錯覚してしまう。
朝鮮半島は、ポーランドやクルドなどと同様、複数の列強に挟まれた地政学的に世界で最も不幸な地域の一つだ。日本はこの半島の人々と今後とも付き合っていかなければならない。韓国国民性の成熟を望んでいるのは韓国人だけではないのだ。