今回の原稿は韓国のソウルで書いている。当地大手シンクタンク・アサン研究所の年次総会に招かれたからだ。昨年に引き続き2度目の参加だが、毎年ワシントンの「アジア村」住人を中心に各国の著名な東アジア専門家が百人ほど集まってくる。昨年は中国・韓国からの一部参加者が姑息な反日プロパガンダをやっていたが、今年は一体どうなるだろうか。
一部例外を除けば、この種の会合での議論は地に足の着いた、冷静かつ現実的なものだ。中国・北朝鮮をいかに見るか、ウクライナ情勢が米国のアジア政策にいかなる影響を与えるか等々、興味は尽きない。しかし、今回ソウルで個人的に最も多く質問を受けたのは日本における集団的自衛権論議についてだった。既に日本では一部マスコミによる大々的キャンペーンも始まっており、韓国でも関心が高まっているようだ。
中国はもちろんだが、韓国でも日本の集団的自衛権行使に関する懸念は少なくない。ただし、それらの多くは単なる机上の空論である。現実問題として集団的自衛権行使により日本が韓国を攻撃するなどあり得ない。むしろ、実際の戦場ではあらゆる事態が起こり得るのであり、「韓国を防衛する米国」を防衛するための日本の集団的自衛権は現実問題としても韓国にとり決して不利にはならないだろう。
空論といえば、日本の専門家の中にも集団的自衛権行使の具体的事例を「机上の空論」と切り捨てる向きがある。対北朝鮮武器支援は陸路であり臨検は役立たないとか、米国に弾道ミサイルを撃つ際は日本有事となるから集団的自衛権は不要、といった議論だ。どれも「机上の空論」だというのだが、やはり日本は「不思議の国」である。彼らはどこまで実際の戦闘を知っているのだろうか。
筆者の場合、外務省入省後最初と最後の任地は戦争中のイラクだった。1982年には実際にイラン空軍機のバグダッド飛来と対空砲火を体験した。2004年には自動車爆弾やロケット弾による攻撃が日常茶飯事だった。いかに反対しても戦争は起きるときに起きてしまう。どんなに理不尽であっても戦闘では実際に人が死ぬのだ。されば戦争を終わらせるには皆が協力してできるだけ早く敵対者を制圧するしかない。集団的自衛権とはかかる人類の経験から考え出されたものだ。
米国が日本に望むのは前線で戦うことではなく、在日米軍基地の防衛だという声もある。だが、戦争とはそんなきれいなものではない。同盟国とは一緒に血を流す国であり、一緒に戦うからこそ同盟国を守るのだ。陸上自衛隊がサマワに派遣された際、筆者はバグダッドにいた。復興支援目的とはいえ、部隊現地到着後日本は名実ともに連合国の一員となり、米国から自衛隊の生死にも関わる機密情報入手が可能となった。これが戦時同盟関係の本質である。筆者には、自衛行動の実態を知らぬまま、集団的自衛権行使を形而上学的に疑問視する一部識者の議論こそ、観念論・技術論の域を出ない机上の空論にしか聞こえない。
このコラムが掲載される頃、米国のオバマ大統領が訪日しているはずだ。今回の国賓訪問により日米同盟関係が一層強化され、東アジアで「力による現状変更」をたくらむ動きがより効果的に抑止されることを望んでいる。
このソウルでの国際会議、毎年充実しつつあるように見える。韓国某財閥系企業がスポンサーのようだが、欧米からの招待用航空運賃だけでも半端な額ではないだろう。このようなイベントを東京で開けなくなって久しい。実に残念に思うのだが、こればかりは致し方ない。問題は経済力ではなく、開催意欲の有無だ。英語による情報発信をうんぬんする前に、まず日本は大規模国際会議の再開を検討すべきではないか。