今回の原稿は中欧の古都プラハで書いている。1968年「プラハの春」でも有名なチェコ共和国の首都。今はドイツ、ポーランド、スロバキア、オーストリアに囲まれた中小国だが、チェコスロバキア時代にはウクライナ、ハンガリーとも国境を接していた。冷戦中にソ連の「占領」を経験し、38年にはナチスに蹂躙され、1620年から1918年までの300年間はハプスブルク家に支配された。大国に翻弄される国の歴史はいつも悲劇に満ちている。
プラハの南45キロの丘陵にあるコノピシチェ城を見学した。第一次大戦の引き金はハプスブルク家皇太子夫妻の暗殺事件だったが、同皇太子一家の住居がこの城だ。今回はパリからロンドン、ベルリンを回る忙しい旅だったが、週末この静かな古城で欧州各国の複雑な歴史を改めて思うと、今の欧州で何か「嫌なもの」が復活しつつあるとの思いを禁じ得なかった。
例えばパリではフランス知識人の一部に自信過剰的なプライドを感じた。諸国民に民主主義を啓蒙してきたのは米仏両国だけだと豪語する姿は異様にすら見えた。ロンドンではスコットランド独立と英国のEU離脱の可能性が議論されていた。特に、EU加盟で急増した東欧などからの移民に対する白人系英国人の不満は小さくない。ベルリンでは独仏和解の経験に学ぶべしとの対日批判を聞いた。欧州の知見はアジアに適用できるとする欧州中心主義的幻想には辟易した。かかる発言の裏に、ドイツ知識人の一部にある「和解はしても、ナチスを生んだ敗戦国扱いは変わらない」ことへの決して口外できない不満が感じ取れた。
これら全てに共通するのは欧州各民族が今も保持する強烈なナショナリズムの復活だ。振り返ってみれば東西冷戦とはソ連の共産主義と米英仏の自由民主主義という国際主義同士の戦いだった。冷戦中、欧州各国のナショナリズムは凍結された。異なるイデオロギー的ロジック間の戦いがより戦闘的、醜悪な各民族のナショナリズムを封印してきたからだ。今回のロシアによるクリミア併合はポスト冷戦時代に西側がさまざまな手段を講じて試みたロシア・ナショナリズムの封じ込めに失敗したことを意味する。
東欧でもこの傾向は変わらない。スロバキアの連合国家離脱などはその典型だろう。ただし同じくドイツとロシアに挟まれたポーランドとチェコではかなり温度差がある。ロシアの脅威を直接感じるポーランドは米軍駐留とミサイル防衛導入に積極的であるのに対し、ロシアとドイツの占領を経験しながらもロシアと直接国境を接しないチェコでは国民の大多数が米ミサイル防衛レーダー施設建設に反対だった。チェコですらそうであればロシアからさらに遠いドイツなどと米国の温度差は一層大きいのかもしれない。
それでは過去70年間封印されてきた欧州のナショナリズムはどこへ行くのか。筆者の独断と偏見をご紹介しよう。
◆確実に言えることは伝統的ナショナリズムが復活してもドイツなどでネオナチのような極端な排外主義が再燃する可能性は当面ないことだ。
◆一方そこまでは至らないもののEUのような行き過ぎた国際主義やEU官僚による中央集権的支配を快く思わない国が増える可能性はある。
◆同時に、これらのナショナリズムは欧州独自のロジックを加速するかもしれない。例えば米国の知らないところで、将来独露間にクリミア併合を黙認しウクライナを「緩衝国家」とする密約が結ばれる可能性はないだろうか。
1939年8月末、平沼騏一郎内閣は「独ソ不可侵条約に依り、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」と述べ総辞職した。同じことが再び起こらないともかぎらない。日本の政治指導者は欧州情勢について戦前の間違いを繰り返してはならない。