コラム  外交・安全保障  2014.03.20

2004年憲法への復帰はウクライナに何をもたらすか?

 ウクライナをめぐる情勢は、ロシア軍のクリミアへの派兵(プーチンはこれを否定しているが)によって、一気に大国を巻き込んだ国際問題にエスカレートした。もはやこの問題はウクライナの国内問題では終わらず、メディアの報道も、欧米諸国とロシアの対立とウクライナ国内の対立を重ね合わせるような形で、「東西の分断」や「親ロシア派と親欧米派の対立」として問題を捉える傾向が目立つ。

 このコラムでは、そうした「東西の分断」をめぐる議論の背後に隠れて、あまり注目されていない憲法の問題について言及したい。ウクライナは1996年にソ連解体後最初の憲法を制定して以来、憲法が大きく変わるのが実に3度目であり、そのことが政治の不安定さと問題の根深さを物語っている。1996年憲法は、2004年末の「オレンジ革命」を経て改正されたが、2010年にこの憲法改正が無効にされて1996年憲法に戻り、今回再び2004年憲法に戻ることになった。こうした経過は、「東西の分断」にとどまらないウクライナ政治の問題点を浮き彫りにしていると言える。

2004年大統領選挙と「オレンジ革命」

 1990年代後半から大統領を務めてきたクチマ大統領の任期満了に伴い、ウクライナでは2004年10月に大統領選挙が行われた。第1回投票の後、クチマが後継に指名したヤヌコーヴィチと、クチマ時代の腐敗を批判して人気を集めていたユーシチェンコという上位2名の間で決選投票が行われ、中央選挙委員会は、ヤヌコーヴィチが得票率49.46%で、46.61%のユーシチェンコに勝利したと発表した。

 しかし、この投票に際し、ヤヌコーヴィチ陣営は大規模な不正を行っていた。不正に抗議する市民たちは、首都キエフの独立広場(マイダン)に押し寄せ、その数は日に日に増えていった。この時も季節は冬であり、寒空の中で市民は抗議運動を続けた。最終的に、決選投票をやり直すことになり、そのやり直し選挙でユーシチェンコが勝利して、大統領に就任したのである。ユーシチェンコ陣営はオレンジ色をシンボルカラーとしたので、これは「オレンジ革命」と呼ばれた。

2004年憲法

 しかし、革命は「オレンジ派」の一方的勝利というわけではなかった。第一に、やり直し選挙の結果を見ると、敗れたヤヌコーヴィチは、ほんの1ヶ月前の選挙で大規模な不正が暴かれたにもかかわらず、44.60%の票を獲得したのである(ユーシチェンコの得票率は51.99%)。特に、彼の票田である東部のドネツク州やルハンシク州、南部のクリミア自治共和国とセヴァストーポリ市では得票率が80%以上と圧倒的な強さを見せた(ヤヌコーヴィチはそれまでドネツク州の知事だった)。

 第二に、「オレンジ革命」のさ中に、憲法を改正することが決まった。これが2004年憲法である(施行は2006年1月)。それまで、ウクライナの首相は大統領が議会の承認の下で任命していたが、これを議会の多数派が任命する形に変えたのである。つまり、この憲法改正は、大統領の権限を縮小し、議会の権限を拡大するというものだった。これは、ヤヌコーヴィチが大統領選挙のやり直しを認める代わりに、ユーシチェンコに認めさせたものであった。ヤヌコーヴィチ及び彼が率いる地域党は、東部に票田を抱えており、この支持基盤を背景に議会で一定の勢力を保持していた。憲法改正により議会の権限を拡大させれば、たとえやり直し選挙で敗れたとしても、ヤヌコーヴィチは自分の政治的影響力は維持できると考えたのである。

政治の混乱と2004年憲法の無効化

 こうして生まれた2004年憲法の下では、議会で過半数をとることが決定的に重要になった。過半数を確保できれば、首相の選出を自分たちでコントロールできるからだ。しかし、元来地域的な亀裂が大きい上に、選挙制度が比例代表制となったことも影響し、単独過半数を確保できるような政党は1つもなかった。必然的に議会では、政党間の連立工作が激しくなった。国際社会やウクライナ国民の多くは、ユーシチェンコ政権の下で改革の進展を期待していたが、そうした期待とは裏腹に、「オレンジ革命」後、ウクライナの政局は混迷を極めた。ユーシチェンコとティモシェンコを中心とする「オレンジ政府」は約1年で崩壊し、その後も連立をめぐる争いは続いた。

 ユーシチェンコは国民に愛想を尽かされ、2010年の大統領選挙ではわずか5.45%の票しか得られずに、再選に失敗した。代わって、前回の選挙で大統領になり損ねたヤヌコーヴィチが勝利したのである。その後、2010年9月に、憲法裁判所が2004年の憲法改正を無効とする判決を出し、一夜にして大統領権限の強い1996年憲法に戻ることになった。

再び2004年憲法へ

 さて、今回の「ユーロマイダン」(ヤヌコーヴィチ政権がEUとの連合協定交渉を凍結したことが、反政権運動が起こる契機になったので、このように呼ばれる)では、再び大統領権限が比較的弱い憲法に戻ることになった。このように、この10年間は、政治が行き詰まるたびに大統領と議会の間で権限が揺れ動いている。そして、大統領権限が強いときには大統領への権力集中が問題視され、逆に議会の権限が強くなると政治の機能不全が叫ばれる。これは決して正常な状態とは言えない。しかも今回は、クリミアの分離問題まで発生しており、政権運営はより困難になっている。暫定政権は、東部に対するコントロールを強めようと、ウクライナ経済の中心であるドネツクとドニプロペトロウシクという2つの州の知事に暫定政権に比較的近いオリガルヒ(新興財閥)を任命するなどの措置をとっているが、新しい憲法の下でウクライナ政治が安定に向かうかは極めて不透明である。