メディア掲載  グローバルエコノミー  2014.02.07

ガラパゴス農業村の誤謬

週刊農林2014年2月5日号に掲載(週刊農林シリーズ2)

 近著(「日本の農業を破壊したのは誰か」)を農業経済学の碩学に送ったら、「今度は"農業・農政をダメにした第4勢力=農業経済学者"という本を書いてください」という返事をいただいた。本を書くほどのネタも知識もないが、コメ政策の変更と関連して、私の感じるところを述べたい。ガラパゴス島の動物のように、農業経済学者や農業村は、時間とも世間とも隔絶して独自の進化を遂げたと思うからである。

時間が止まった農業村

 政府・与党内で農業政策が議論されるときに、必ず農家の所得が問題とされる。非正規労働者やシャッター通り化した中小の商店主などに、国からお金を交付しようとする政策がとられることはない。しかし、平日はサラリーマンで週末だけ農業に従事する兼業農家に対しても、ポルシェに乗っている農家にも、所得確保のための交付金が、税金から支払われる。

 今回の減反政策の変更でも、農家所得が議論された。農林水産省は、主食用ではなく米粉やエサ用にコメを作付けた場合に大幅に補助金額を引き上げることとしたことや、農地維持のための活動をしていれば補助金を出すという仕組みを導入したことから、所得増加の試算を公表した。もちろん、減反は廃止されないので、米価は下がらないことが試算の前提である。

 戦前の日本では、農村は貧しかった。特に小作人の貧しさを救うために、農林省には、柳田國男、石黒忠篤、和田博雄、小倉武一、伊東正義などキラ星のような人材が集まった。彼らの執念が実ったのが農地改革だった。しかし、1965年以降、農家所得は、米価引上げと兼業化によって、勤労者世帯の所得を上回る。暉峻衆三博士が指摘されるように、「貧農は基本的に解消した。都市に比べて、農家、農村がとりわけ貧困という事態ではなくなった。」

 農作業についても機械化が進み、米と書いて八十八手間がかかると言われた時代は過去となった。1ヘクタール規模の標準的なコメ農家が、1951年には年間251日働いていたのに、2010年ではたった30日しか働いていない。かわいそうな"おしん"はもういない。

 それなのに、依然として農家所得が問題視される。戦争が終わって70年も経とうとするのに、農業村の人たちの頭の中は、未だに貧農がいっぱいの戦前なのだ。

 しかし、問題なのは、彼らが21世紀の豊かな日本に生きているということである。減反政策の本質は、補助金を農家に与えて供給を削減し、消費者が購入するコメの値段を上げるということである。米粉やエサ用のコメへの補助金を増額したことで、農家は主食用のコメよりも、米粉やエサ用にコメを作った方が有利となる。そうなれば、主食用のコメの供給が減り、主食用の米価は上昇する。これまで1.8兆円に過ぎないコメ農業に、納税者負担5千億円、消費者負担6千億円、合計1.1兆円の負担を国民は行ってきた。この負担をさらに増やそうというのだ。納税者の金を使って、消費者の負担を高めるという、一般社会からみた減反政策の"とんでもなさ"は一層ひどくなる。

 戦前から戦後まで消費者も貧しかった。関税を導入して米価を上げようとする地主勢力に対し、柳田國男は、外米を入れてでも米価を下げるべきだと主張した。農家の所得を上げるために、柳田は"農事の改良"、生産性の向上を主張した。これは、東畑精一と小倉武一が1961年に農業基本法を作るまで、農政本流の思想だった。米価を上げるなど邪道だった。食料品や農産物の高い関税の維持を妥当とする消費者団体があるなど、想像もできなかった時代のことである。

奇妙な経済論

 林農林水産大臣は頭の良く理解も早い人である。これまで農政と関わったことが少ないので、色もついていない。農林水産省の役人は、説明したとおりに、大臣を染め上げることができる。林大臣が出演したTV番組を見て、農林水産省の主張をよく理解していることに感心した。

 例えば、農林水産省の言うとおり、「もはや減反はなくて生産調整だ」と主張される。2008年世界で食料危機が起きたとき、減反を廃止すべきだという主張が、官房長官からも行われた。これに対して、当時の若林農林水産大臣は、転作をして麦や大豆を植えているので減反ではないと主張した(2008年6月13日記者会見)。減反イコール休耕だという理解なのだ。

 しかし、減反という表現はおかしいのだろうか?減反補助金の正式名称は、稲作転換奨励金(69年度)、米生産調整対策費(70~73年度)、稲作転換対策費(74,75年度)、水田利用総合対策費(76,77年度)などである。減反という名称を政府は使ったことはない。70年本格導入当初から正式名称は生産調整だ。生産調整というより減反という方が簡単だから、我々はこれを使ってきただけだ。若林大臣も2007年の国会答弁では減反という表現を使っている。

 "生産調整対策"だった71年度の調整面積541千ヘクタールのうち、転作は247千ヘクタール、休耕は294千ヘクタールである。生産調整対策でも休耕が過半だった。休耕=減反でも生産調整なのだ。どうでもよいことだが、農林水産省が減反という言葉をむきになって否定する理由が分からない。

 より本質的な問題は、林大臣が「今回の見直しにおいても、コメを余らせてもかまわないというのは政策としてあり得ない。需要に応じた生産を図っていくことが当然必要である」と国会で答弁し、日本農業新聞(13年12月17日)がこれを特筆すべき発言だとしてアンダーラインまでして報道していることである。

 私が農林水産省の課長だった頃、同省研究所に来られた著名な大学教授から、「農林水産省で初めて経済学が分かる人に会った」と言われて、複雑な思いをしたことがあった。同省の幹部はほとんどが法律職で、経済学を理解している人は少ない。これが「コメが余っているから生産調整すべきだ」という発言につながる。

 統制経済だった食管制度の時代には、米価引上げによってコメは過剰になった。過剰生産をなくし、政府買入れを抑制して財政負担を軽減するため、減反が導入された。しかし、市場経済では、市場は価格を上下させて、需要と供給を等しくする。常に"需要に応じた生産"であり、過剰は生じない。ホウレンソウに過剰はない。過剰が生じるのは、食管制度のように、政府によって需給均衡価格を上回る価格が決められている時である。コメが余っているという農業村の人たちは、今でも食管制度の世界にいる。今は価格制度がないので、コメは余らない。政府が減反をする必要はない。

 では、誰のために減反しているのか?農家というより農協のためである。米価引上げで兼業農家が滞留したので、農業所得の4倍に達する兼業所得も年間数兆円に及ぶ農地の転用利益も、銀行業務を兼務できる我が国唯一の法人である農協の口座に預金され、農協は日本第二位のメガバンクとなった。コメ農業の衰退をもたらした高米価政策こそ、農協発展の基礎である。

 食管制度が廃止され、政府買入れ価格もなくなった今では、米価は生産量を制限する減反政策によって維持されている。かつては政府の全量買上げを要求し、減反に反対した農協が、今や減反を強力に支持している。今の制度を"農協食管"と呼ぶ人がいるが、言い得て妙である。農協の機関紙、日本農業新聞が大臣の発言を評価するわけである。

世界から孤立する農業村

 減反廃止で米価が下がっても、アメリカのように財政で直接支払い(所得補償)を行えば、農家は影響を受けない。所得の高い兼業農家への補償は、国民納税者の納得が得られず、主業農家に限定した補償が行われれば、米価低下により兼業農家が出してきた農地は、直接支払いで地代負担能力が高まった主業農家に集積し、コメ産業のコストダウン、収益向上が実現する。

 都府県の平均的な農家である1ヘクタール未満の農家が農業から得ている所得は、トントンかマイナスである。ゼロの農業所得にいくらの戸数をかけようがゼロである。20ヘクタールの農地がある集落なら、1人の農業者に全ての農地を任せて耕作してもらうと、1,300万円の所得を稼いでくれる。これを地代として、他の農家に配分した方が、集落全体の利益になる。地代を受けた人は、対価として、農業のインフラ整備にあたる農地や水路の維持管理を行う。

 しかし、農業が発展しても、兼業農家がいなくなれば、農協にとって一大事だ。農協がTPPに対して大反対運動を展開しているのは、このためだ。問題の本質は、"TPPと農業"ではない。"TPPと農協"なのだ。

 しかし、今回の見直しが成功すればするほど、減反政策の崩壊につながるかもしれない。良い"合成の誤謬"である。次回は、そのシナリオを描くことにしよう。