メディア掲載  外交・安全保障  2014.01.31

中東情勢 激変の兆し 「アラブの春」は何だったのか

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2014年1月30日)に掲載

 新年早々恐れていたことが現実となった。アルカーイダ系武装勢力がイラクのファルージャを制圧したのだ。ファルージャといえば2004年春の激戦地、当時バグダッド在勤だったのでよく覚えている。3人の日本の若者が人質になった場所でも有名だ。あのファルージャが再びアルカーイダの手に落ちた。イラク戦争、「アラブの春」とは一体何だったのだろう。

 民主化失敗や軍対イスラム主義の対立が原因、などと言っても問題は解決しない。最大の懸念は、これまで中東の安定を維持してきたキャンプデービッド合意(CDA)と米・GCC(湾岸協力会議)同盟という枠組み自体が動揺する可能性だ。これこそ「アラブの春」が中東に及ぼした悪影響の本質である。

 皮肉なことに、現在中東地域で進行しつつある地殻変動は、米ブッシュ政権が2001年以降推進した「テロとの戦い・中東民主化」と、これに対するイスラム諸勢力からの反動によって引き起こされたものだ。「アラブの春」という千載一遇の機会を得ながら、オバマ政権は中東で強力なリーダーシップを発揮する気がない、もしくはその力を失いつつあるように見える。

 近代以降の中東アラブ・イスラム諸国の内政は、武力を握る王族・軍部と国内イスラム勢力との力関係により決まっていた。イスラム勢力が権力を握れば、現実離れしたイスラム法による統治が始まる。それを回避するため、王族・軍部は権威主義的体制を維持しながら極端なイスラム主義者を排除してきたのだ。このような国々に米国式「民主化」を説くことは難しい。

 ブッシュ政権の最大の失敗は、近代市民社会のような政治的成熟のない国に欧米型の「自由化」による「民主化プロセス」を求めたことだろう。部族的権威主義が色濃く残る中東で自由化だけを進めれば、専制以外に統治手段を知らない政治エリートたちの統治能力を逆に減じイスラム勢力の台頭を許し結果的にそれまで機能していた国家統治システム自体を破壊することになる。その典型例が今のエジプト、リビア、シリアだ。

 それだけではない。現在の流れは米国が1978年以降一貫して維持してきたCDA体制の核心、すなわちイスラエル・エジプト平和条約とイスラエル・シリアの事実上の停戦、を揺るがしかねない。仮に今後エジプト国内が不安定化しイスラエルとの関係を再考したり、シリアの新政権がイスラエルとの対決姿勢を鮮明にすれば、事態は容易に急変するだろう。

 同様のことは、湾岸地域にも言える。これまでイランからの脅威・圧力を米国との同盟関係でバランスしてきたサウジアラビアなどGCC諸国にとって、最近の米国とイランの急接近は一種の「裏切り」と映っただろう。このままGCC諸国の頭越しに米・イラン和解が進めばGCCは対米関係を再考し、独自の核開発の道を模索しかねない。

 残念ながら、2期目のオバマ政権にはその種の危機感が感じられない。だからこそ、最近ではイスラエルやサウジアラビアですら対米不信を隠そうとしないのだ。10年も戦った中東では二度と戦争などしたくない、オバマ大統領はそう信じているのだろう。しかし、米国が中東への関与を低下させたり、関与の仕方を急変させることになれば、米国の同盟国は動揺し、中東情勢の激変が現実のものとなるだろう。これまで米国、イスラエル、イラン各国の強硬派は相互に自らの強硬策を正当化し合っていた。この奇妙な共存関係は、徐々にではあるが、最近確実に変質しつつある。無鉄砲な強硬策が功を奏さなければ、無責任な宥和(ゆうわ)政策が頭をもたげる。この種の失敗はブッシュ前政権末期にも北朝鮮問題で起きた。オバマ政権が続く限り、米中東外交の漂流は続くだろう。