論文 グローバルエコノミー 2014.01.10
WTO発足後初めての貿易交渉であるドーハ・ラウンドは、2001年11月の開始以来ほぼ何らの成果も出せないまま10年以上が経過していたが、2013年12月、発足以来初めて全加盟国によるマルチでの合意に達した。しかしながら、今回のこの合意はドーハ・ラウンドで交渉されていたうちのほんの一部でしかなく、多くの分野が未解決のままである。ドーハ・ラウンド交渉で最も妥結に近づいたのが2008年半ばであったが、その際の農業分野及び非農産品市場アクセス分野でのモダリティ合意失敗以来、各加盟国はドーハ・ラウンド終結へのコミットメントを表明しつつも、実態として地域経済協力のネットワーク構築への動きを強めてきており、今回の部分合意までの紆余曲折も鑑みれば、ドーハ・ラウンド交渉全体の妥結への道のりは決して平たんではない。
本稿においては、ドーハ・ラウンドにおける交渉進捗の阻害要因となった2008年7月の非公式閣僚会合における農業交渉決裂の原因について検討するとともに、ドーハ・ラウンド全体の変遷を大まかに見ていく。まず、農業交渉の経緯を概観した後、2008年7月の非公式閣僚会合で何が話し合われたのか、そしてなぜ決裂に至ったのかの経緯を分析し、その評価を試みるとともに、その後の農業交渉及びドーハ・ラウンド全体の動きを追い、2013年12月の部分合意の内容も合わせ、停滞し続けるラウンドの影響とその行末を探ることとする。