早朝のワシントンでこの原稿を書いている。8泊9日もの長い米国滞在は久しぶりで、今回はニューヨークにも足を延ばした。
毎年9月には必ずワシントンの旧友を訪ねる。会う相手はほとんど変わらない。民主党系リベラル、共和党系保守からユダヤ系中道、ネオコンまで。いずれも20年以上の付き合いだから、話に無駄はない。今年最も強く感じたのは「内向き」と「中東回帰」しつつあるアメリカだ。
その典型例が9月24日付ワシントン・ポスト紙。1面のニュースはベトナム戦死者の44年ぶりの帰還、バージニア州知事選挙、連邦政府閉鎖後の給与支払い、元FBI捜査官のテロ情報漏洩、ケニアでのテロ事件、エジプト・ムスリム同胞団の非合法化。米国内政とテロ、イスラム、中東・アフリカの話ばかり。米国の「アジア回帰」など、もはや誰も関心がないかのようだ。
内政面では、定番となったオバマケア(新医療保険制度)予算と連邦政府閉鎖をめぐる出口のない不毛な議論とワシントン海軍施設での銃撃事件の関連報道が延々と続く。共和党一部議員はオバマケアを葬るためテレビコマーシャルまで動員していた。その主張は、狂信的にすら思える。日本の国会はようやくねじれが解消されたが、米連邦議会のねじれは日本よりはるかにひどく根が深いようだ。
国際面を開くと懸念はさらに強まる。掲載記事は、パキスタンでの対キリスト教徒テロ事件、エジプト内政、ケニアでのテロ事件への米国人関与の可能性、米国とイランの対話の可能性、国連総会でのオバマ大統領の課題。アジアの出番など全くないに等しい。滞在中に米国マスコミで大きく取り上げられたアジア関係ニュースは薄煕来・元重慶市共産党書記に対する無期懲役判決ぐらい。政治面でアジア関係の記事は中国関係がほとんどであり、韓国・東南アジアはもちろん、日本情報すらめったにないのだ。
米国の外交的関心が伝統的に太平洋ではなく、大西洋を向いていることは以前にも書いた。こうした傾向は、恐らくベトナム戦争終結とイラン革命以降、ワシントンにほぼ定着していると推測する。その意味では、アジアにおける米国の同盟国にとってオバマ政権1期目のクリントン国務長官時代が例外だったのであり、現状を取り立てて悲観する必要はないのだろう。
実は今回の筆者の最大関心事は対米広報だった。幸いワシントンでは、ブルッキングスとスティムソンという2つのシンクタンクでラウンドテーブルを企画していただいた。久しぶりで多くの旧友にも会え楽しかったが、これも所詮は「アジア村」の同窓会だ。「良かった、良かった」では済まされない。正直に言おう。中東に傾きがちなワシントンのオピニオンリーダーたちに、中東と東アジアの戦略的一体性を理解させなければと内心気負っていたのだが、今回もそれはかなわなかった。当然だろう、ワシントンの中東屋にとって今は久しぶりの「カキイレ時」、日本人中東屋の話など関心はない。残念だが、これが政治都市ワシントンの外交部門の厳しい現実である。
こうした環境の下で日本は極めて脆弱だ。対日ネガティブキャンペーンを張られても、日本が反論する機会は限られているのだから。
今回痛感したのは、ワシントンなどでの座談会・シンポジウムで聴衆を魅了できる若い日本人論客の必要性だ。視点・論点が偏らずに斬新で、分かりやすい英語をチャーミングに操り、理不尽な批判にも笑顔を絶やさず敢然と反論できる知的運動神経を備えた日本の知識人はまだまだ少ない。今年還暦を迎える筆者のライフワークは、この種の若手日本人論客を養成することになりそうだ。