平成24年産は作況指数(平年作=100)102で、20年産以来4年ぶりの豊作となった。他方、24年産米の集荷業者(JA農協)と卸売業者の相対取引価格(米価である)は、24年9月から25年5月の平均で60キログラム当たり16,554円となっている。震災の影響で高値となった23年産をさらに上回り、22年産に比べると30%も上昇している。消費は減少傾向が続き、供給が増えているのに、価格が上がっているという不思議な現象が起きている。
米が他の作物や品物と違うわけがない。これまでも豊作の時は価格が低下し、不作のときには価格が高騰している。例えば、平年作に比べ10%の生産減となった15年産の米価は前年比30%増加した。モノの価格が需要と供給の法則から離れた動きをするのは、裏に人為的な何かが働いているからである。24年産米の舞台裏は次のとおりである。
米については、生産したものが消費されるまで長い期間がかかるので、農協は出来秋にいったん農家に仮払いし、あとで清算するという方法を取っている。21年産米の仮払い(仮渡し金)は、山形の"はえぬき"で12,300円だった。卸売業者に販売した21年産米の価格は期首21年9月の15,169円から期末22年8月には14,106円に低下し、平均価格は14,470円となった。
農協は3,000円くらいの販売手数料を農家から徴収していたので、本来農家に払うべき金は11,470円程度である。つまり、12,300円の仮渡し金は多すぎたので、農協は農家から仮渡し金の一部を取り戻した。
これは農家の不興を買った。これに懲りた農協は、22年産の仮渡し金を一気に9,000円に引き下げ、震災のあった23年産でも10,500円にとどめた。仮渡し金を下げれば、農家は農協を通じて売ろうとしなくなる。これに加え、震災後農家がコメをなかなか手放さなかったこともあり、23年産米の全農(JA農協の全国連合会)の集荷量は大幅に落ち込んでしまった。
取引先に米を販売できなくなった全農は、24年産については、前年より2,000円高い仮渡し金12,500円を提示して、米の集荷を強化した。24年産の米価が上がったのは、農協が集荷量の多さにものを言わせて、農家への高い仮渡し金を卸売業者への販売価格、つまり米価に転嫁したからだ。
このまま高い米価を維持できれば、農協は仮渡し金の取り戻しという面倒なこともしなくて済むし、高い販売手数料収入を確保できる。しかし、供給量が多いのに価格を高く維持することは、市場への供給を抑制し、在庫を高めていることに他ならない。
今年6月末の民間在庫は、8百万トンの米生産量の3割に相当する226万トンと、3年ぶりの高い水準となってしまった。25年産も平年以上の作柄が予想されるので、市場に任せると米価は大きく下落するしかない。
既に、農協は25年産の仮渡し金を2,000円も下げている。米価を維持しようとして、市場への供給を制限すると、農協が在庫増による金利・倉敷(保管)料を負担せざるを得なくなる。これに農協は怯えている。
22年産米価は消費の減少により10%程度低下した。かつての自民党時代には、農協の要請によって、政府は米の市場買入れや減反強化によって、米価の維持に努めてきた。
しかし、民主党政権の赤松、山田両農林水産大臣は、米価が下がっても戸別所得補償で補てんするので、農家は困らないとして、農協からの市場介入要求を断固はねのけた。農協は機関紙である日本農業新聞を通じて農家が困るというキャンペーンを行ったが、明らかに両大臣のほうに理があった。戸別所得補償政策のもとでは、米価が下がって困るのは、農家ではなく、販売手数料を下げざるを得なくなる農協だからである。
今回はどうか?農協にとって好都合なのは、自民党が政権に復帰したことである。農協の最大の経営資源は政治力である。早々と、農協の機関紙である日本農業新聞は、9月4日の論説で、30~40万トンの過剰在庫を国が買い入れ、高い米価を維持するよう主張している。納税者の負担で過剰在庫を国が肩代わりしてくれれば、農協にとってこれほど良いことはない。
これを許してよいのだろうか?米価が高くなって困るのは消費者である。既に5,000億円の税金を投入している減反政策によって、米価は自由な市場で決まる価格よりも引き上げられ、消費者に5,000億円の負担をさせている。1.8兆円に過ぎない米産業に対し、国民は納税者、消費者として、合計1兆円の負担を行っているのだ。
農協の言うことを聞きいれて米価を高くすれば、消費税の逆進性が主張される中で、農政はその逆進的性格をさらに強めてしまう。追加的な財政負担も膨らむ。また、米価が高くなれば、米に対する需要は減少し、米農業は、ますます苦しくなる。
農協の利益は農業の利益ではない。農協だけが利益を得て、消費者、納税者、国民、農業を苦しめる、以前の農政に戻ってよいのだろうか?