メディア掲載  外交・安全保障  2013.07.04

「軍人」の堵列を許さない国

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2013年6月27日)に掲載

 先週関東地方のある航空自衛隊基地を訪問した。20年来の旧友と昔の同僚に久しぶりで会えた。お互いちょっとどころか、かなり老けたかもしれないが、彼らの「国を守る気概」はちっとも変わっていなかった。

 自然と話は自衛隊の国際平和協力活動になる。国際貢献といえばイラク・サマワでの陸上自衛隊部隊を思い出す方も多いだろう。だが、航空自衛隊も1992年のカンボジアから、モザンビーク、ルワンダ、アフガニスタン、東ティモール、イラクに至るまで海外で実にさまざまな任務を遂行してきている。

 直近の例が本年1月の政府専用機アルジェリア派遣だ。同国で起きた人質事件の日本人犠牲者のご遺体を輸送したのは航空自衛隊特別航空輸送隊第701飛行隊所属の自衛隊機である。

 この日本版エアフォース・ワンが羽田に到着した際、ちょっとした事件があったことを初めて聞いた。現場の航空自衛隊員が「堵列(とれつ)を組めなかった」ことをひどく悔しがっていたというのだ。堵列とは「多数の人間が垣のように横に並んで立つ」こと。一般には軍人や警察官が敬意を表し送迎する行為である。

 最初に「堵列」と聞いたときはよく意味が分からなかったが、詳しく聞いて状況を理解した。彼ら航空自衛隊員はアルジェリア事件の犠牲者のご遺体に敬意を表すため隊列を組もうとしたのだが、なぜかそれが認められなかったというのだ。筆者も政府専用機には何度か搭乗したことがある。当然ながら、パイロットはもちろん、整備士からいわゆる客室乗務員まですべて国際法上は「軍人」だ。今回彼らは航空自衛隊の任務としてアルジェリアに派遣された。その目的はイナメナスの地でテロの犠牲となった「企業戦士」たちを母国にお連れすることだ。彼ら自衛官が「軍人」としてこの「戦士」たちに最大限の敬意を払いたいと思うのは至極当然ではないか。

 ところが航空自衛隊員の堵列は認められなかった。「制服」がテレビに映るのはやめてほしいとまで言われたそうだ。なぜ制服が映ってはいけないのか。わが国の国民が海外でテロの犠牲となり、国家が専用機を派遣して彼らを母国へお連れする。尊い犠牲者のご遺体に敬意を表することがなぜ認められないのか。何か特別な理由があったのかもしれないが、筆者には理解できない。

 先ほど航空自衛隊の国際貢献活動は1992年から始まったと書いた。実はその1年前に幻の「自衛隊輸送機中東派遣計画」があったことはあまり知られていない。1991年1月、日本政府は湾岸戦争により生じた避難民を自衛隊機で輸送することを検討していた。当時外務省北米局にいた筆者は、その可能性を探るため航空自衛隊と警察庁の関係者とともにエジプトとヨルダンに出張したのである。

 「今回輸送対象は日本人ではなく戦争避難民だが、もし日本人が乗せてほしいと言ってきたらどうするのか」
 航空自衛隊関係者がアンマンで筆者に真顔で尋ねた。
 「そんなことはまず乗せてから考えましょう」
 筆者は躊躇(ちゅうちょ)なくこう答えた。一国の軍隊がその国民を守るのは当たり前だ。しかし、なぜか日本だけはその例外らしく多くの国民も自衛隊の活動にあまり関心がない。

 東日本大震災の際の自衛隊員の活躍は立派だった。「初めて自衛隊は国民を助けてくれるかもしれないと思った」とも言われたそうだ。しかし、大震災の翌年、航空自衛隊の志願者は逆に減った。「自分の子供にはあんな危険なことはさせたくない」からだという。そうであれば、そんな危険なことをする人々に対し、もっと関心と敬意を払ってほしいものだ。