メディア掲載  外交・安全保障  2013.06.18

「情報―インフォ」と「情報―インテル」区別せよ

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2013年6月13日)に掲載

 日本版NSC(国家安全保障会議)設置に関する議論がようやく収斂(しゅうれん)したかと思ったら、今度は対外情報機関創設の議論が始まるという。どちらもわが国外交・防衛政策の立案・実施能力向上に必須であり、一日も早い設置が望まれるところだ。
 日本が過去70年近く真の意味の「対外情報機関」を持たずにきたこと自体、驚くべきことだ。同時に憂うべきは、組織が失われただけでなく、対外情報機関の目的と機能に関する知識までが失われ、議論が混乱していることだ。


 混乱の第1は「情報」なる用語。「情報」では、インテリジェンス(以下インテル)とインフォメーション(以下インフォ)の区別がつかない。インフォが加工前の原材料だとすれば、インテルは最終製品。前者が砂金を含む川底の泥であれば、後者は純金である。
 昔「諜報」などと訳されたため、インテルは「謀(はかりごと)」だと誤解された。もちろん、インフォ収集の一部が非合法となる可能性は否定しない。だが、インテル作業の本質は分析・評価であり、決して収集だけではない。
 混乱の第2はインテルとポリシー(政策作り)の混同だ。ポリシーは政策立案・実施のためにインテルを求め、これを消費する。逆に、インテルは具体的政策を提案してはならない。相互補完的ではあるが、両者は明確に区別されるべきなのだ。
 その典型例が昭和16年の日本の決断だろう。当時の日本に、ポリシーに従属しない真に独立したインテルがあったなら、意思決定者に対し、「日本には戦争遂行に十分な資源が決定的に不足している」と言えたし、また、そう主張すべきだったのだ。
 混乱の第3は対外インテル組織と法執行組織の関係だ。前者の活動が主として日本の国外であるのに対し、後者は国内が基本。諸外国の例を見ても、一部の例外を除き、海外インテルと国内インテルは別組織になっている。
 最後の混乱はインテルの伝達経路だ。昔からインテル諸機関はライバル同士であり、競争は激しい。だが、今や主要民主国家のインテル諸組織は基本的にインフォとインテルを共有している。情報伝達速度ではなく、分析の優劣で競争しているのだ。


 以上を踏まえ、日本版CIA(中央情報庁?)のあり方につき考えてみよう。
 まずは、インフォとインテルの区別が重要だ。前者を収集するのがオペレーターで、後者を作るのはアナリストである。日本の対外情報機関には両方の機能が必要であり、いずれか一方だけでは世界に通用するインテル組織は生まれない。
 ポリシーとインテルを区別することも重要だ。インテル組織は政策を語ってはならない。されば、新しい対外情報組織は既存の政策部局から独立すべきであり、本来は政策調整をつかさどる内閣官房の外に置くのが筋だろう。
 インテル組織は法執行とも違う。民主主義の日本には旧ソ連のKGBや中国の国家安全部のようなスーパー・インテル機関は似合わない。
 何よりも重要なことは、インテル諸組織間での情報共有だ。外国から得た機微な情報を分析・精査することなく、総理や官房長官に直接上げるような悪しき慣行は直ちにやめてほしい。新聞記者のように情報伝達のスピードを競うのではなく、分析力の優劣を競うべきなのだ。


 日本が対外情報機関を創設することは大賛成だが、この問題を関係省庁間の縄張り争いの具にすることだけは避けるべきだ。インテル世界を良く知る識者が静かに議論を重ね、日本のインテリジェンス諸機関が従来の垣根を越えて、スピードでなく、分析の優劣を競うような真の改革を断行してほしい。