先週、殺人的日程を組み、駆け足でインドシナの柬埔寨、金辺、老撾、万象を回ってきた。この漢字にピンと来る読者は相当の博学。これらは、それぞれカンボジア、プノンペン、ラオス、ビエンチャンの中国名だ。恥ずかしながら、両国の訪問は初めてである。
インドシナといえば、やはりベトナム戦争を思い出す。70年安保闘争からベトナム反戦運動、新左翼の内ゲバなどが日常茶飯事だった筆者の青春時代。その頃、東京の学生には想像もできない悲惨な事件が両国で頻発していたことを、今回の訪問で今更ながら思い知らされた。
ビエンチャンからプノンペン、ハノイ、バンコク間はそれぞれ飛行機で約1時間、あっけないほど近い。その近さこそが、東南アジアの近代史をより複雑かつ凄惨なものにしているのかもしれない。
ベトナム戦争前後、カンボジアは大国の思惑に翻弄された。ベトナムとタイによる挟撃とフランスによる保護国化、親米「ロン・ノル」将軍のクーデター、親中「ポル・ポト」政権による大量虐殺、ベトナム軍による同政権打倒。いやでも70年代の記憶が蘇ってくる。
ラオスの近代史も同様だ。タイ支配に対抗するための仏保護国化、日本による占領、独立後のラオス愛国戦線(パテト・ラオ)の伸張と内戦、タイとの国境紛争、中国との関係断絶と関係修復。書き始めたら切りがない。
もちろん、書物では知っていたが、実際に現地で聞くカンボジア人、ラオス人の肉声には圧倒的臨場感がある。それにしても、両国の歴史は実に数奇なものだ。
中でも目から鱗だったのはインドシナ諸国同士の関係、特に、小国カンボジア・ラオスと地域大国タイ・ベトナムの歴史的確執だった。東京にいると、ベトナムやタイがカンボジア・ラオスの人々にとって潜在的脅威だなどという発想は生まれない。両国の状況はドイツとロシアに挟まれたポーランドの悲劇に似ていると強く感じた。
このインドシナで今一種の地殻変動が起きている。言うまでもなく、それは中国のプレゼンス・影響力の拡大だ。ここ数年間で両国に対する中国の経済援助と民間投資は急増している。
今やプノンペンの人口約150万の3分の1は華僑・華人であり、中国語の看板も町中に目立つ。中国と国境を接するラオスのビエンチャン市内には広大な「中華街」ができていた。敷地内の巨大な建物の中に100以上の中国人経営店舗が入り、周辺には広東、四川、福建、東北など各地方風味の料理屋がそれぞれ軒を並べていた。「これはまるで中国の植民地ではないか」というのが筆者の第一印象だった。
なぜカンボジアとラオスで中国の影響力がこれほど拡大しているのか、疑問に思って現地でいろいろ話を聞いてみた。現時点での筆者の見立ては次の通りである。
●両国にとって中国は歴史的脅威ではなかった。この点、ベトナムやミャンマーとは状況が大きく異なる。
●両国にとって中国は他の隣国、特にベトナムを牽制する上で不可欠の存在である。
●両国にとって中国の経済援助は使い勝手が良い。中国は欧米のように「民主化」だの「人権」だの面倒なことは一切言わないからだ。
●両国とも、欧米諸国が大規模民間投資を行うには、人口・経済規模が小さすぎる。恐らく最大の理由はこれだ。
現在ビエンチャンに住む日本人は約600人。これに対し華人・華僑は10万とも20万人ともいわれる。このままではラオスは中国雲南省の経済圏にのみ込まれていくだろう。東南アジアは大事だとよく言われるが、我々は彼らの歴史と文化をどれだけ知っているのか。今回最も痛感したのは己の無知である。