メディア掲載  グローバルエコノミー  2013.04.30

なぜ農業を保護するのか

新潟日報に掲載(2013年4月27日付)

 国益のために農産物関税をTPP(環太平洋連携協定)交渉で維持すべきだと主張されている。また、自民党は次の選挙で農業所得の倍増を公約に掲げるという。しかし、国益とは何か、なぜ農業を保護するのか、という根本的な事柄が、議論されないままとなっている。昔から続く地方の商店街がシャッター通り化しても、中小の商店主は救済されないのに、農家だけなぜ保護されるのだろうか。

 その理由として、食料安全保障や多面的機能が挙げられる。食料危機が起こったときに、国内で食料を生産するために、農地など必要な農業資源を維持しておく必要がある。洪水防止や水資源の涵養(かんよう)などのために、農地を適切に維持しておく必要がある。この点について、国民の合意はあるだろう。

 しかし、農業という言葉で括(くく)られる産業全てが、こうした役割を果たしているのだろうか。北海道選出の議員が、関税がなくなるとサラブレッド生産者が影響を受けると、自民党の会議で訴えたそうであるが、競馬と食料安全保障は結びつかない。また、輸入トウモロコシを餌にして狭い畜舎や鳥かごで工場生産のように家畜を飼い、大量の排泄(はいせつ)物を出す一部の畜産も、食料安全保障や多面的機能という役割を果たしているのだろうか。

 とはいっても、こうした産業が無くてもよいというのではない。関税や財政で保護する必要があるのかという問題なのである。

 また、食料安全保障や多面的機能があるとしても、それだけで農業を保護すべきということにはならない。その便益がコストを上回らなければならないし、他の手段よりも国内農業生産で対応する方が、安上がりでなければならない。

 食料自給率向上という名目で、水田での麦や大豆の生産に3千5百億円もの税金を投入しているが、これで作られる麦は48万トン、大豆は21万トンに過ぎない。同じ税金で2千万トンの輸入麦を国内備蓄できる。また、洪水防止や水資源の涵養も、農業生産に多大のコストがかかるのであれば、農産物は国際価格で輸入して、植林やダムで対応する方が、国民負担は少なくて済む。

 つまり、保護を正当化するためには、農業の生産コストが低いことが必要なのだ。生産性向上に努力しない農業は保護に値しないといってもよい。

 農業がこのような機能を果たしていくためには、農業を支える農家の所得確保が必要であるが、それ自体が目的ではない。農地を宅地に転用すれば農家は豊かになるが、食料安全保障や多面的機能は損なわれる。

 食料安全保障や多面的機能をうたった政策がそれを損なっている場合が少なくない。コメについては、減反政策に5千億円の財政負担をしたうえで、これによって米価を上げ消費者に6千億円の負担をさせている。国民負担は毎年1兆円を超える。多面的機能のほとんどは、水資源涵養、洪水防止といった水田の機能である。しかし、減反政策によって、40年以上も水田を水田として利用しないどころか、食料安全保障や多面的機能に必要な水田を潰(つぶ)してきた。水田面積は戦後一貫して増加し、減反政策を開始した1970年には344万ヘクタールに達したが、その後は現在の247万ヘクタールまで年々減少している。

 関税がなくなり価格が低下しても、アメリカやEUのように財政で補塡(ほてん)すれば、農家は影響を受けない。価格低下で消費者は利益を受ける。コメ生産は20年間で3分の1も減少した。高い関税で守っても、国内市場は人口減少で縮小する。国内市場だけでは、農業は安楽死するしかない。品質では世界的に評価の高い日本の農産物が、価格競争力を持つようになれば、世界の市場を開拓できる。国内農地はフルに活用され、農地減少に歯止めがかかる。食料安全保障は確保され、多面的機能は十分に発揮される。これこそ国益ではないのか?

 守るべき国益は食料安全保障や多面的機能であって、関税や減反政策という手段ではない。目的に照らして、農業政策のあり方を根本から議論する時が来ているように思われる。