コラム 外交・安全保障 2013.04.04
北朝鮮は、自制を求める各国の声を無視して昨年末に「人工衛星(ミサイル)」を打ち上げ、今年の2月12日には第3回目の核実験を断行した。北朝鮮と国際社会との関係は緊張気味である。国連では新たな制裁を科する安保理決議が3月7日に採択された。これまでも北朝鮮に対する制裁は実施されていたが、今回の決議はそれをさらに強化するものであり、金融取引も厳しく制限されることになった。また、北朝鮮の核の脅威をもっとも切実に感じる日韓両国を始め、米国や、さらに日頃北朝鮮に理解を示している中ロ両国も、程度の差はあるが、北朝鮮の行動を非難している。米国の国連大使によれば、今回の核実験については、さすがの中国大使も北朝鮮に対する「過去にないほど際立ったいらだちを見せていた」そうである。
これに対し、北朝鮮の態度は相変わらずであり、安保理決議を無視するどころか、敵視している。怒り狂っているようにも見える。北朝鮮は、決議成立の前からさかんにけん制していたが、予告通り3月11日に国連軍との休戦協定を破棄すると宣言した。この日は、米軍と韓国軍による「キー・リゾルブ」と名付けられた合同軍事演習が開始された日である。この合同演習はもちろん朝鮮半島有事に備えてのものであり、米韓の当局は、毎年実施していることだとして平静さを装っているが、北朝鮮はこの演習を「北朝鮮に対する公然たる宣戦布告だ」とし、さらに、米国が演習の時期に合わせて安保理決議を「でっち上げ」、安保理の名の下に北朝鮮の存在と主権を脅かして「攻撃的目的」を果たそうとしていると非難し、11日を挑発Dデーだとしている。
要するに、北朝鮮は、その華々しく、好戦的な言葉が適当とは思えないが、安保理決議と米韓合同軍事演習を嫌悪しているのであり、これらを攻撃するため休戦協定を持ち出し、米国と韓国は事実上それに反する行動を取っているので北朝鮮もその破棄を宣言したのであるという姿勢を強調しようとしているのではないかと思われる。このような言動が国際的に説得力を持つか大いに疑問であるが、北朝鮮国内においては一定の効果がありうるのであろう。
こうした状況のなかで、ヘーゲル米国防長官は、「北朝鮮の長距離ミサイル技術が大きく発展し米国本土を威嚇する水準に達した可能性があるので、これに備え西部アラスカにミサイル防衛用迎撃ミサイルを追加で14基配置することとした」と発表した。米国の軍事予算は今後大幅に削減されることが決定されているので、この追加費用は欧州に配備予定であった防衛ミサイルの予算を流用して賄うそうである。
北朝鮮に対するミサイル防衛は古典的な核抑止力理論の観点からも興味深い。
第一に、米国には強力な核抑止力があるのに、なぜさらにミサイル防衛が必要なのか。抑止力とは、相手国が攻撃を仕掛けてくることを抑止する力であり、このような力は多かれ少なかれ通常兵器にもあるが、核兵器はけた違いに破壊力が大きいのでこの抑止力がよく効く。最近、北朝鮮の核兵器および運搬手段の性能がかなり向上して米国を攻撃する能力を備えるようになり、しかも、実際に使うことも辞さないと言っているらしいので、それに備えなければならないという米国の気持ちはよくわかる。しかし、米国には膨大な量の核兵器とその抑止力があるので北朝鮮を恐れる必要などないのではないか。両者の間には横綱と幕下と言うと北朝鮮には失礼かもしれないが、いずれにしても比較にならないくらい大きな違いがある。米国の核抑止力は、冷戦時代、核兵器の数では米国を上回っていたソ連との関係でも効果的であり、北朝鮮との関係ではその何倍も効果的であろう。そうであれば、北朝鮮の核搭載ミサイルを撃墜する防衛ミサイルの配備は、屋上屋を重ねることにならないか。
一方、もしそれが本当に必要だというのであれば、それはすなわち、核抑止力は十分に効かないかもしれないことを認めることにならないか。
第二に、敵のミサイルを打ち落とすための防衛ミサイルを配備することは、結局、敵をしてその防衛システムを打ち破る高性能ミサイルの開発に追いやる結果となり、反って軍備競争を惹起する恐れがある。冷戦中米ソ両国ともこのジレンマに悩み、結局ミサイル防衛は制限すべきであるという結論となり、ABM(反弾道ミサイル)条約を締結した。この条約は後に米国が破棄してしまったが、ミサイル防衛システムには結果的に軍備競争を助長する危険が潜んでいることに変わりはない。北朝鮮に対しても同じことで、防衛ミサイルを配備すれば、残念ながら北朝鮮はそれを打ち破るためミサイルの性能向上に努めるのではないか。
核の抑止力にしても、ミサイル防衛にしてもそれが問題になる現実の状況は複雑であり、矛盾することも含んでいる。単純に理論をあてはめても正しい結論が出てこないのはもちろんであり、ここで述べたことは議論の出発点に過ぎないが、北朝鮮と米国には、いたずらに強がることも、また、逆に脆弱性を強調することもしないで、世界にとって最適の解答を探求してほしいものである。