メディア掲載  グローバルエコノミー  2013.03.11

TPP日米共同宣言をワシントンで読み解く

WEBRONZA に掲載(2013年2月23日付)

 私はこの原稿を米国の首都ワシントンのホテルで書いている。安倍総理と同時にワシントンにいるのは偶然である。毎年この時期に開かれる米国政府主催のシンポジウムに参加することにしているからである。

 パソコンを開いて、TPPに関する日米共同宣言が出されたことを知った時は、少なからず驚いた。訪米前から安倍総理が関税撤廃例外の感触を得ると発言していたことは、水面下で日米間の接触が相当進んでいることを窺わせているものなので、何らかの感触を引き出すことは可能だと思っていた。しかし、共同記者会見でオバマ大統領が示唆することがせいぜいで、これほどはっきりしたものが出るとは意外だった。

 私は19日、ワシントンの有力なシンクタンクのメンバーとTPP交渉について、立て続けに意見交換していた。日本と違って、アメリカのシンクタンクは単にGDPや金利、為替の予測を行う機関ではない。著名なシンクタンク、ブルッキングス研究所の標語は、クオリティ(高い質の研究)、(政党や利益集団からの)インデペンデンス、(これを踏まえて米国の民主主義、国益の増進、安全で繁栄する国際社会を実現するため、政府に政策提言をする影響力、つまり)インパクトである。単なる学術研究機関なら大学で十分である。

 "インパクト"という標語が示す通り、シンクタンクは現実的な政策提言を行う機関なのである。"回転ドア"といわれるように、シンクタンクから政府に入り、また、シンクタンクに戻る人が少なくない。手前みそだが、回転ドアは無理としても、私が所属するキヤノングローバル戦略研究所が目指しているのも、そのようなシンクタンクなのだろう。

 日米関係やTPP交渉に深くかかわっている、これらのシンクタンクのメンバーたちは、安倍総理の訪米を前にして忙しかったようである。しかも、彼らは一様に、安倍総理が参議院選挙前にTPP交渉参加を表明することには懐疑的だった。それがワシントンの共通認識だというのだ。

 TPP交渉を米国政府部内で取りまとめているのは、通商代表部(USTR)であるが、直接大統領に助言し、大きな政策決定に関与しているのは、ホワイトハウスにいる大統領補佐官である。ホワイトハウスに近いシンクタンクのメンバーは、アメリカ内部の事情も説明してくれた。80年代から90年代にかけての日米経済摩擦のしこりが、まだ米国の自動車業界には残っているというのである。

 今のところ、日本のTPP参加への反対は一つの大手自動車メーカーにとどまっているが、100円を超える円安になるともう一つの大手自動車メーカーも反対に回りかねないという予測を述べていた。そのような事情がある中で、参加表明できない安倍総理に、オバマ大統領が関税撤廃例外のリップサービスをする必要はないのではないかというのである。

 私は、オバマ大統領から前向きの発言を得たなら、安倍総理は参議院選挙前どころか、間髪を入れずにTPP参加表明を行うはずだと主張した。(「TPP参加でも自民党は参議院選挙で負けない」参照)しかし、彼らは、口をそろえて、多くの自民党議員がTPP反対議連に参加したではないか、と主張してきた。

 私は、次のように反論した。TPP反対議連に参加した人たちで心の底からTPP反対を主張している人は少ない。また、衆議院議員と参議院議員を分けて考える必要がある。衆議院議員の多くが農協から踏絵を踏まされて当選してきたことは事実であるが、かれらにとって次の選挙は遠い3年先である。参議院議員については、6年前の選挙で自民党は敗北しているため、再選を迎える議員は少なく、自民党執行部は候補者を自由に選ぶことができる。また、有力な若手議員がTPP参加を積極的に表明しており、かれらの影響力は大きい。農協票が対立候補に行ったとしても、彼らが選挙応援に駆け付ければ、それ以上の票を挽回することができる。

 これに対して、ある人は理解したようだが、ある人は依然参議院選挙前の参加表明に懐疑的で、「5月に日本に行くから、あなたの予想が的中したかどうか、議論することを楽しみにしている」と述べた。しかし、別の人は、私の主張を大変前向きで勇気づけられる発言だとしたうえで、前述の米国内の事情からすれば、オバマ大統領のボディー・ラングィッチで十分ではないのかと聞いてきたので、私は、関税撤廃例外について感触を得たいと安倍総理が言っている以上、直接的な言及は無理にしても、間接的でも、大統領による何らかの言及・示唆(インディケーション)は必要だと述べた。

 なお、日本が今参加表明しても、10月の交渉妥結ということであれば、日本が交渉に参加する機会がほとんど残されていないことになるが、どうかと彼に質問したところ、「来年は米国の中間選挙なので、TPP交渉を長く引き延ばすことはできない。しかし、日本が参加する以上、一回きりの交渉参加で妥結ということは大統領も考えないのではないか」と述べていた。

 同時期に意見交換した米国政府関係者は、豪州に対する砂糖は二国間交渉結果を維持するというだけのもので、TPPでの関税撤廃の例外とは考えていないとし、農産物について関税撤廃の例外をオバマ大統領が言及することには、否定的だった。

 以上が、19日時点での、22日の日米首脳会談を前にした、ワシントンの識者たちや政府関係者の考えであった。私が彼らと話した前後にどのような交渉が日米間で行われたかは、わからない。21日に安倍総理が到着する直前まで、折衝は行われたようである。それにしても、ここまでの共同宣言が出されるとは、思わなかった。オバマ大統領のアジアと日米関係重視の姿勢も背景にあるのだろう。

 この日米共同宣言は短いながらも、相当いろいろなところに配慮された文書であり、ここから日米の交渉ポジションや思惑が透けて見える。次の論考では、この文書に隠された意味を解読することとしたい。


 TPPに関する日米共同声明では、第1文で、「全ての物品が交渉の対象とされるとともに、日本は交渉に参加する以上包括的で高いレベルの協定を目指すべきである」と指摘した。

 そのうえで、第2文で、〈1〉日本には一定の農産品、米国には一定の工業製品というように、両国ともに2国間貿易上のセンシティビティー(影響があるので慎重に扱うべき事柄)が存在する〈2〉最終的な結果は交渉の中で決まっていく以上、交渉参加に際し、一方的に全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではないことを確認した。

 第3文で、日米の事前協議に関連し、自動車と保険部門に「残された懸案事項」があると指摘し、米側の要望も踏まえて必要な協議を続けることも明記した。

 「全ての物品が交渉の対象とされる」という部分は、とりたてて意味のない当たり前の表現である。例外を設けるかどうかは、テーブルに出して交渉した結果である。ガット・ウルグァイ・ラウンド交渉で、コメについて、非関税障壁を関税に置き換えるという関税化の例外にしたが、長時間かけて交渉した結果、やっと例外となったのである。コメは最初からテーブルに出さなかったのではない。

 サービスについてのネガティブ・リストというのは、どのサービスを自由化の例外にするかというリストである。これはテーブルに出して交渉した結果、決定される。はじめから例外のリストがあるのではない。サービス交渉とは、国ごとにどのサービスを例外とするかしないかの交渉であると言ってよい。物品でもサービスの交渉でも、参加国があらかじめこれを例外にするといって交渉に参加することはありえない。(「おかしなTPP国会論戦」参照)

 「包括的で高いレベルの協定を目指す」ことも、共同声明にあるとおり、2011年のTPP交渉枠組み合意で合意されていることを確認したに過ぎない。多数の農産物を例外とするようなレベルの低い協定で収まるとは、日本の農業界ですら思っていない。つまり、共同声明の第一文は、具体的に意味のあるものではなく、自由貿易推進という米国と日本の原則を確認し合ったというものだろう。ここは、日米ともに問題のあるところではない。

 第2文は、今回の首脳会談で、安倍総理が感触を得たいとしていた、関税撤廃の例外である。

 日本にとって最も重要だったのは、いうまでもなく〈2〉である。ただし、現時点で関税撤廃の例外があることを断言することとなっては、豪州やニュージーランドが納得しない。米国が納得しても、これらの国が反対すれば、日本はTPPに参加できない。交渉参加前に撤廃を約束されないことは、カナダも乳製品等の関税撤廃を約束して参加しているものでないことから、このような表現とすることで、豪州やニュージーランドも納得できる。また、日本の国内にも、交渉の結果例外を設けることは可能だと説明できる。

 ただし、意味があいまいなところは、〈1〉である。ここでの「2国間」とは一般的な2国間の問題を指しているのだろうか?それとも日米の2国間の問題なのだろうか?

 前者であれば、米国がベトナムに対して工業製品である繊維製品にセンシティビティーを有することを認めたことになるが、米国は農産物についてはセンシティビティーを持たないことになり、豪州に対する砂糖について米国のセンシティビティーを認めないことになる。ただし、「TPP交渉でもかつての2国間協定は蒸し返さない、つまり米豪自由貿易協定で決めた砂糖の関税撤廃の例外は維持する、これはTPP交渉の例外ではない」という米国の立場からすれば、それを確認した表現となろう。

 もし、後者であれば、米国が日本に対してセンシティビティーを有するのは、自動車ということになろう。つまり、農産物について例外を日本に認めれば、米国は日本に対しては自動車の関税を撤廃しないという可能性があるように思われる。あくまで首脳間の宣言で、協定のような法的な文書ではないことから、詰めた議論は必要ないのかもしれないが、少し気になるところではある。

 第3文は、日本に第2文を与える代わりに、米国が確保した文章だろう。米国政府も自動車業界の一部の主張に根拠が乏しいことは理解しているはずであり、自動車業界全体が反対に回る前に決着をつけたいところだろう。保険については、日本郵政等と民間保険会社との間で、競争条件のイコールフッティングが確保されれば、問題はない。

 いずれにしても、日本のTPP参加について、日本国内の障壁は取り除かれ、TPP参加に向けて、大きな前進が図られることとなった。