コラム  外交・安全保障  2012.09.21

巨大な中国と新ルール

 ロンドン・オリンピックをテレビ中継や録画で大いに楽しんだが、一つ気がかりなことがあった。卓球競技で多数の「中国人選手」が活躍したことである。この「中国人選手」とは、「中国系の選手」という意味ではなく、「中国で訓練を受けた中国人選手」のことである。中国では卓球が非常に盛んで、選手の層も厚い。世界のトップクラスに達している選手は多数いるが、中国代表になれるのはその中でも頂点に立つごく少数の選手に限られているため、中国代表になれない選手は他国に移り、帰化してその国の代表となることがある。選手個人が国際試合に出たいためにそうする場合もあれば、強い選手を獲得したい政府が招請する場合もあるそうである。

 このような「中国人選手」が過去十数年間、国際試合で顕著に増えてきた。「中国人選手」が中国のみならず香港やシンガポールの代表として競技に出てくるのは驚くにあたらないが、欧州諸国からも続々と出てきている。卓球の強豪国として伝統のある北欧諸国も、ポーランド、オランダなどもそうであるし、日本でも一時期日本国籍を取った「中国人選手」が日本代表になっていた。「中国人選手」があまりにも多くなったので、「世界選手権は中国選手権」と揶揄されることもあったらしい。わが国や韓国の選手も頑張っていることをお忘れなく、と言いたいが、そのような揶揄は分からないでもない。私が違和感を覚えたのもまさに欧州諸国から「中国人選手」が多数出てくるからであった。

 実は、「中国人選手」の出場は制限されているが、それでも多いのである。国際卓球連盟は、2008年9月以降帰化した選手について国際試合への出場制限を設けている。「21歳に達してから帰化した選手は国際試合に出られない。それより年少の選手については、帰化してから一定期間出場できない」というものである。出場制限期間は年齢に応じて変えてあり、若いほど短くなっている。

 このことは、選手が帰化した途端に「中国人選手」から「某国選手」となるのは認められず、名実ともにその国の選手でなければならないということを意味しており、貿易に関するいわゆるローカルコンテント(現地調達率)・ルールと類似している。製品が完成されたA国の産品であると表示してもそれだけでは認められず、A国産と認められるためにはA国の産品を一定割合以上含んでなければならないというルールである。卓球の場合は、帰化した国で実際に卓球選手として訓練されたことがローカルコンテントとみなされ、21歳を過ぎてから帰化した人のローカルコンテントはゼロとされ(つまり21歳までが訓練で成長するので、100%中国産とみなされる)、年若い選手であれば、帰化した国でも訓練されるのでローカルコンテントがあるとみなされるのである。

 このような制限には問題がありうる。第一に、帰化した人の国籍を部分的に否定することになる可能性がある。第二に、物品をその成分に応じて異なる扱いをするように人間を扱うのははたして適切か疑問がある。人権侵害という声が上がっても不思議でない。第三に、このようなローカルコンテント要件は「中国人選手」だけを標的にしているとみなされる恐れがある。「標的にしている」か、否かはともかく、「中国人選手」にだけ意味がある制限であるのは明らかである。

 中国卓球協会はこの制限を受け入れた。制限しないで世界卓球選手権が中止されてしまうと、「中国人選手」が活躍する場がなくなる、つまり元も子もなくなるからであろう。

 しかし、国際卓球連盟にとってはそれだけではすまず、ローカルコンテント要件は国際的な非難を浴びる危険があったはずである。にもかかわらず、あえて導入する決断を下したのは、「中国人選手」の背後に次のような状況があることを認識し、かつ、そういうことであれば国際社会も納得すると考えたためであろう。

 第一は、中国の人口があまりにも巨大で、その中から多数の世界レベルの選手が出てくるので、思いきった制限をしないと卓球の国際試合に現れているいびつな状況はますますひどくなるということである。

 第二は、人口が多いという意味ではインドも肩を並べるであろうが、中国はインドと異なり、国家の重要政策として選手を育成・支援している。冷戦時代に盛んであった国家的スポーツ振興であり、ソ連・東欧諸国においてはすでに過去のこととなったが、中国ではまだその傾向が強い。それは本来のスポーツの在り方を逸脱しているということである。

 ローカルコンテント要件のような特異な現象は卓球だけに限られるか、私にはそう思えない。有能な中国人が必要とされる分野であれば、中国はそれにこたえて人材を派遣する。それは当然のことなのであるが、その結果常識をはるかに超える数の中国人が送り込まれることがあり、そうなると現地において予期せぬ反応が起こってくるのではないか。中国企業のプラント進出にともない送り込まれている膨大な数の中国人労働者についても、現地で、あるいは国際社会から予期せぬ反応が起こることはないとは断定できない。

 もちろん、このような現象を過大評価すべきでない。中国人を必要としない分野では中国にどれほど巨大な人口があってもそういうことは起こらない。たとえば、偏見かもしれないが、茶の湯の客がすべて中国人で独占されるような事態は起こりえない。

 常識では測れない、けた外れの可能性をもつ中国の巨大さもバランスよく見ていく必要があるが、巨大で活力のある中国と国際社会の間にどのような変化が起こりつつあるのか、自由な発想で実情を把握し、分析することが必要であると思われる。