メディア掲載  グローバルエコノミー  2012.09.06

高騰する穀物市場-懸念は農業保護の主張

週刊世界と日本に掲載(2012年9月3日付)

「08年食糧危機」は生じない

 穀物は、カロリー源として人が直接食べると同時に、家畜のエサとして人が食肉、卵や乳製品を通じて間接的にも消費するという、重要な役割を果たしている。その穀物価格が、上昇している。トウモロコシと大豆の国際価格は、史上最高の水準で推移している。この原因となっているのは、アメリカ国土の6割が旱魃(かんばつ)に見舞われ、アメリカの作柄が1988年以来24年ぶりの悪さとなるという予測である。世界各地で食糧危機が起きた2008年の再来だ、という声もある。そうだろうか?08年の事態と比較しよう。


 08年、穀物価格が3倍に上昇したが、穀物の生産がそれほど被害を受けたわけではなかった。価格高騰の最大の要因は、トウモロコシが食用ではなく、ガソリンの代わりとなるエタノールの原料として、使用され始めたことだった。地球温暖化に優しい燃料だとして、アメリカ政府は、工場建設への補助など様々なエタノール生産の振興措置を講じた。これは、新規需要を掘り起こして、穀物価格を上昇させ、農家所得を向上させようという狙いがあった。

 08年には原油価格が上昇したので、エタノール生産が価格面でもますます有利となり、多くのトウモロコシがエタノール生産に仕向けられた。トウモロコシ価格は、需要増加によって上昇した。

 アメリカでは、トウモロコシと大豆の作付地域はほぼ重なっている。トウモロコシの価格が上昇したので、アメリカの農家は、大豆に代えてトウモロコシの生産を増やした。このため、供給が減少した大豆の価格も上昇した。また、家畜のエサとして、小麦はトウモロコシと代替関係にある。トウモロコシの価格が上昇すると、畜産農家は、小麦の使用を増やすようになるので、小麦の需要が増え、その価格も上昇した。小麦価格が上昇すると、消費者は代替品である米の消費を増やそうとするので、米の需要が増え、価格も上昇した。こうしてトウモロコシだけではなく、大豆、小麦、米の価格も上昇した。つまり、石油価格の上昇が、穀物全体の価格上昇につながった。

 穀物価格が高騰したので、フィリピンなどの穀物輸入国では、食糧危機が発生した。エタノール生産が、途上国の食糧危機を招いているという国際的な批判を招いたが、国内農業が活況を呈していたアメリカは、エタノール生産の抑制に応じようとしなかった。

 08年の状況に比べ、現在、原油価格は08年の最高価格よりも、3割から4割程度低い水準である。現在では、アメリカのトウモロコシの仕向け先は、40%がエタノール生産、国内での家畜のエサとして36%、輸出が13%、食糧や澱粉などの工業用が11%となっている。08年とは逆に、トウモロコシの価格上昇で、エタノールの生産コストが上昇している一方、原油価格が比較的落ち着いているので、エタノール生産のメリットが薄れている。トウモロコシのエタノール生産仕向けが減少し、エサ用などへの仕向けが増える可能性がある。このため、08年のような小麦や米などへの連鎖は生じない可能性がある。

 トウモロコシと大豆については、世界の輸出に占めるアメリカのシェアは4割から5割も あるので、アメリカの減産が世界貿易に大きな影響を与える。世界的には、主としてトウモロコシは家畜のエサ、大豆は油の原料で、その搾りかすが家畜のエサとして使われる。しかし、主として食用として利用される小麦と米については、アメリカ以外の国でもたくさん生産され、現在、世界の供給量は十分にある。小麦については、ロシアで2割ほどの減産が公表されたため、価格が上昇しているが、まだ08年の水準よりも30%ほど低い状況である。米については、供給は十分にあり、現在の国際価格は08年の4割以上も低い。つまり、トウモロコシ価格から小麦、米の価格への波及は、今のところ限定的である。

 このため、08年のような世界的な食糧危機が生じるとは、考えられない。日本への影響も大きなものではない。牛肉、豚肉、鶏肉などの畜産物については、アメリカの穀物をエサとして使用しているので、輸入も国産も価格が上昇する可能性がある。また、日本は、豆腐やみそ、しょうゆの原料として、アメリカの大豆を使用しているので、大豆製品の価格にも影響が生じる。

 しかし、国内の飲食料の最終消費額は05年で73.6兆円、このうち輸入農水産物は1.2兆円にすぎない。輸入農水産物の一部である穀物の価格が上がっても、最終消費には大きな影響を与えない。08年に穀物価格が3倍に高騰しても、食料品の消費者物価指数は2.6%上昇しただけである。また、名目価格では穀物価格は史上最高だが、一般物価の上昇を考慮すると、穀物の実質価格は1960年代、70年代よりも低い水準にある。むしろ懸念すべきは、穀物価格が上昇するたびに、食糧危機を煽る論調が現われ、これが関税などの農業保護を維持・拡大すべきだとする主張と結びつくことである。国際価格が上がるのなら、関税による保護は必要ではなくなるのだが、日本の論調は逆となる。