コラム  外交・安全保障  2012.07.26

「イランの核開発を認めるべき」だって?

 イランの核兵器開発を認めたほうがよいとする意見が現れている。世界中がイランに核開発を思いとどまらせようと苦慮している中で、それはあまりにも珍奇な説に聞こえるかもしれないが、この意見は、国際的にもっとも権威のある国際政治・外交誌『Foreign Affairs』のトップ記事として掲載されている、当代の代表的国際政治学者であるケネス・ウォルツ博士のものであり、注目すべき内容を含んでいる。

 ウォルツ博士は、キッシンジャー博士と並ぶ国際政治学の大御所であり、年齢も一つ違いである。一般にはキッシンジャー博士ほど知られていないが、学問の世界に与えた影響力では引けを取らないであろう。キッシンジャー博士が優れた学者であるのは万人が認めることであろうが、理論のみならず現実も重視するタイプであり、若いころから米国政府においても活躍した。ウォルツ博士は一般にはそれほど知られていないが、学術論文で引用される頻度は、とくに最近は、むしろキッシンジャー博士に勝っているかもしれない。

 ウォルツ博士の意見の要点は、「中東では、イスラエルの核独占が情勢を不安定にしてきた」「この不安定性は力のバランスが回復されて初めて解消される」ということである。まず、前段の情勢認識についてはすぐに異論が出るであろう。たとえばイスラエルは、「これではイスラエルに非があると言わんばかりだが、大多数の中東諸国がイスラエルの存在を認めておらず、その抹殺を狙っていることが根本問題である」という立場であろう。米国はじめ西側諸国はイスラエルを支持している。

 核兵器については、イスラエル自身は表向き保有を肯定も否定もしないという方針であるが、イスラエルが保有していることは世界の常識である。イスラエルは安全を確保するためにやむをえないと思っているのであろう。

 しかし、中東では、イスラエルという国家の存在を認めるか否かということもさることながら、アラブ・ナショナリズム、イスラム革命、外国の関与などの問題もあって情勢は非常に複雑であり、イスラエルはつねに非がないとは言いきれない。1956年のスエズ危機でイスラエルが英仏とともにエジプトに攻め込んだ時は、米国でさえ英仏およびイスラエルを非難する側に回ったことが想起される。

 しかるに、ウォルツ博士は、イスラエルあるいはイランのいずれかに軍配を上げているのではなく、「力の不均衡」が国際関係を不安定化させる原因であると言っているのであり、かりにイランだけが核兵器を保有していても同じことを言うはずである。

 この点についても異論がありうる。たとえば、米国は1945年から4年間、核兵器を独占してきた。では、そのことが世界を不安定化させたかと問えば、米国は肯定しないであろう。当時、米国は世界をファシズムや軍国主義の脅威から救った救世主的存在であり、核兵器については「世界の信託を受けて保有している」とさえ言っていた。しかし、このような米国の認識が他国によって共有されるとは限らない。ソ連にとっては、米国が圧倒的な軍事的優位に立っていることが問題であり、米国に追いつくために躍起となったということは否定できないであろう。このように考えると、「一国だけの軍事的優位は情勢を不安定化させる」ということは一面の真理をついているように思われる。

 軍事的不均衡が情勢を不安定にするというのはウォルツ博士のかねてからの持論であるが、博士だけの特異な考えではない。一般的に、対立関係にある国家間では、一方が軍事的優位に立つと他方が対抗措置を講じ、結局軍備競争になることは歴史上いくらも例があった。

 ウォルツ博士の後段の意見である「この不安定性はイランが核兵器を開発して初めて解消される」については、「イランが核兵器を開発・保有することはやはり危険である」と心配になる。

 これに対し博士は、「どの国も核兵器を入手すると、逆に危険が跳ね返ってくること、つまり、他の国が開発して核攻撃してくることが恐ろしくなり、そのため核兵器を開発しても大胆に使うことなどできないことが歴史によって示されている。かりにイランが核兵器を獲得しても、それを使って無謀な行動に出ることも、テロリストの手に渡ることも心配ない。イスラム国家ではそのようなロジックは働かず、彼らは核兵器を入手すると躊躇せずそれを使うだろうというのは米国やイスラエルの政府・研究者の誇張である」と言っている。

 この引用はわたくしが大胆に要約したものであることを断わっておくが、ウォルツ博士の指摘は、安易にイランを悪者と決めつける風潮に対する頂門の一針かもしれない。かつて博士は、「核兵器が広まることはよいことかもしれない」というさらに過激な論文を1981年に発表しており、当然それには強い反響が起こって一大論争となった。

 批判を恐れず、客観的に観察した事実に立って透徹した理論を説く博士の姿勢は筋金入りであり、その内容には傾聴すべき点が含まれている。中東に関する意見についても熟慮してみたい。