コラム 外交・安全保障 2012.06.27
尖閣諸島に対する領有権を主張する根拠の一つとして、中国では、「1893年(光緒十九年)、西太后は主治医の盛宣懐に薬草を採集させるため尖閣諸島を与えた」と記載された文献があると言っている。「西太后の詔書」と呼ばれているものである。
先日(6月12日)、中国のインターネット(「猫眼看人」という民主派のサイト)でこの詔書の写真が流れた。日本で尖閣諸島を東京都が購入する話が持ち上がっていることに関して、中国のインターネットではかんかんがくがくの議論が飛び交っており、その多くは日本批判であるが、昨年末ころ、尖閣諸島は日本の領土だとする意見も少し出たらしい(私はそのことを最近まで知らなかった)。対日強硬派にとって、中国の内部からそのような意見が出ることは、わずかであっても面白くないので、西太后詔書の写真を流して、中国の主張に根拠があることをアピールしようとしたのであろう。
この詔書は、1947年に米国在住の盛宣懐の孫娘によって初めて公表されたと言われている。それ以来日中両国の学者はこの詔書を研究し、その結果、この詔書は偽物である可能性が高いと判断していた。日中双方ともである。 その理由をかいつまんで言えば、(イ)この文書は詔書の形式に従っていないところがあり、また日付もない(「光緒十九年十月」までしかない)、(ロ)1893年であれば、日本が尖閣諸島の状況を調査した後のことで、すでに実効支配しており(沖縄県に編入する2年前)、西太后がそのような詔書を発出すれば日本政府が黙って見過ごすはずがない、(ハ)薬草が採取されるのであれば、日本側でも確認していたはずであるが、そのような形跡はなかった、(ニ)清国の公文書にこのような詔書は収録されていない、などである。
今回、この詔書なるものがインターネットで流された際、そのような研究結果は付記されていなかったが、その翌日には詔書は偽物であるとする意見が書き込まれた。これは興味深いことである。昨年末、中国のインターネット・サイトに尖閣諸島は日本の領土だとする書き込みがなされたこともさることながら、今回の書き込みは中国側主張の根拠の一部を崩す情報を広く流すものである。この書き込みをした人物は、対日批判の合唱に加わるよりも客観的に事実を伝えることを重視したのではないか。
このことに関して、いくつか思うことがある。
第一に、国籍の違いよりも真実を求めることを重視し、客観的に物事を見ることができる人は中国にも居る。結局は日本も同じことで、狂信的な人も居れば、冷静な人も居るのであり、大事なことは双方が冷静さを失わないことである。
第二に、すでに研究され、結果が出ていることでもなかなか伝わらない。西太后の詔書の場合もまさにそうである。
第三に、日本政府は、尖閣諸島の領有権について問題は存在しないという立場であるために、日本が根拠としていることについては具体的に説明するが、中国側の主張に対しては、「従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえない」としか説明しない。つまり門前払いするので、この西太后詔書のような個別の問題には踏み込まないのであるが、その結果日本政府は日本側の根拠については詳しく説明し、中国側の根拠については一言で片づける形になっている。これは効果的な主張方法であるか疑問が残る。
第四に、13億の中国人の大多数は、尖閣諸島は中国の領土であるという中国政府の主張を繰り返し聞かされ、そのように思いこんでいるのであろう。これに対し、日本側としては、冷静に、しかし、一般論でとどめるのでなく、中国側の主張と根拠の内容にまで踏み込んで日本側の見解を、多言は要しないが、分かりやすく説明できないものか。もし何らかの工夫ができれば、強い説得力があると考える。
そのような観点から、日本政府が、西太后の詔書の他、よく引用される次の古文献についても見解を示すことが望まれる。
(イ)冊封使の記録(明清の皇帝から琉球に派遣された使節の記録であり、その航海ルートの中に尖閣諸島が記載されている)
(ロ)明朝政府による福建省の海防区域の記録(倭寇対策のために明の政府が定めた海域を示すもの)
最後に、尖閣諸島に関する双方の研究で吟味されていない問題が一つあるように思われる。それは「中国」とは何かである。現在の中国が主張しているのは「「清朝」あるいは「明朝」の領土であったものは「中国」のものだ」ということであるが、そのような議論は成り立たないのではないか。歴史的に「中国」は大きくなったり、小さくなったりしたはずである。小さい時の中国でなく版図が大きい時の中国だけを持ち出すのは恣意的でないか。この点についても研究が行われることを切望する。