コラム 外交・安全保障 2012.04.06
去る2月8日、日米両政府は、2006年以来の懸案であった沖縄の米海兵隊普天間飛行場移設計画を「修正」することに合意した。その主な内容は次の通りである。
2006年5月に両政府が合意した「再編のためのロードマップ」では、
① 普天間海兵隊飛行場を、キャンプ・シュワブ沖辺野古地区に建設する普天間代替施設(FRF)へ移設する。
② 同飛行場の移設に伴い、在沖縄海兵隊員の一部約8,000人及びその家族約9,000人の計17,000人をグアムに移転する。
③ 嘉手納飛行場以南の土地を沖縄に返還する。
の3点が「パッケージ」として合意されていた。
これに対し2月8日の日米共同報道発表では「再編のロードマップに示されている現行の態勢に関する計画の調整について、特に、海兵隊のグアムへの移転及びその結果として生ずる嘉手納以南の土地の返還の双方を普天間飛行場の代替施設に関する進展から切り離すことについて、公式な議論を開始した。」と明記し、日米両政府は合意の「パッケージ」性を正式に断念している。
つまり、2006年の段階では、普天間代替施設建設の目処が立たなければ海兵隊のグアム移転はないし、海兵隊の移転がなければ土地の返還も実現しない、という方程式だったが、今後は普天間飛行場の辺野古地区への移転と海兵隊員等のグアム移転、更には嘉手納以南の土地の返還をそれぞれ独立に実施するということだ。
この新たな合意の中で日米両政府は「今後計画の修正により発生する種々の問題について集中的に協議していく」と述べているが、今回の合意は両政府がそれぞれの事情によりやむを得ず達したものである。以下、日米両国政府が直面する諸問題について簡単に説明しよう。
日本では周知のとおり、2009年夏の衆議院選挙で当時の鳩山由紀夫・民主党代表が普天間代替施設について「最低でも県外」という公約を掲げたため、それまで日本政府が沖縄政府と地道に積み上げてきた対話が根底から崩れてしまった。その後総理となった鳩山氏は、2010年5月、やはり2006年の合意案しかないとの結論に達したのだが、時既に遅く、期待を裏切られた沖縄県の態度はすっかり硬化してしまった。その後、昨年夏のメアー国務省日本部長(当時)の「沖縄はゆすりの名人」発言や、今年に入ってからの沖縄防衛施設局長の不適切発言を巡る騒動など、沖縄の態度を硬化させる出来事が続いた結果、普天間飛行場の辺野古移設は政治的に不可能な状況ができあがってしまった(このいわゆる「不祥事」なるものは実は報道内容と事実が異なっており、特に、オフレコの会合内容が報道されるなどメディア側の報道姿勢を問いたくなる点も多々あるのだが、それについてはまた稿を改めることとしたい)。
かたや米国ではここ1~2年、グアム移転計画の実行可能性を公然と疑問視するようになった連邦議会への対応に国防総省は苦慮していた。上院軍事委員会のカール・レビン委員長、同委員会の幹部議員であるジェームス・ウェブ上院議員、ジョン・マケイン上院議員の3名が昨年連名でグアムへの海兵隊移転案に対する疑問を公然と唱え、国防省に再考を促す声明を出したことは記憶に新しい。このような議員の動きもあり、2012年度国防総省歳出法案では、普天間移設計画が進んでいないことなどを理由にグアム移転予算は認められなかった。こうして、海兵隊のグアム移転につき米議会を説得するためには、普天間移設計画の実施の有無によらずに「国防総省は海兵隊をグアムに移転させる態勢を整えた」と米国防総省が説明できる必要が出てきたのである。
今回の合意により、日米両国は現在、普天間移設を巡り抱えている難題を、一時的ではあるが、とりあえず回避することに成功した。普天間移設とグアム移転が切り離されたことにより、米政府、特に国防総省は普天間移設計画に進展がなくても、グアム移転を進めることが可能となった。一方日本政府も、米連邦議会の圧力を受けた米政府からの有形無形のプレッシャーから一時的にせよ解放され、普天間移設計画実現に向け沖縄県との協議のみに精力を集中できる環境を手に入れた。この意味で、今回の2006年合意「修正」は、短期的には、日米同盟がここ数年陥っていた「普天間移設問題が進まないから他の問題が議論できない」という負のスパイラルから抜け出すチャンスを提供したものという見方も可能である。
しかし、より中長期的にみれば、今回の合意が「一時しのぎ」でしかないことは明らかだ。第一に、2月8日の日米合意の発表により、普天間飛行場の辺野古移設に反対する沖縄県内勢力は一層勢いづいている。今回の合意発表の際たまたまワシントンDCを訪問中だった稲嶺進・名護市長(反対派)は、「この合意により現行の普天間移設の合理性はなくなった」と述べた。こうした膠着状態を打開する名案が日本政府にあるとは思えない。普天間移設計画が劇的に良い方向に変化する可能性は極めて低いだろう。
米海兵隊のグアム移転が実現するか否かも定かではない。2月13日に発表された2013年度国防総省予算案には「太平洋の兵力態勢を維持する」ための予算が計上されている。しかし、国防総省がアジア太平洋地域における兵力展開の再編成を模索する中、前方展開自体のあり方も変化しつつあるのが現実だ。特に、この地域における海兵隊のプレゼンスは、2011年12月の米豪間の合意が象徴的に示しているように、恒久的な基地の配置を増やすよりも、むしろ同地域の米同盟国軍との基地の共同使用、より頻繁な共同訓練や同地域へのローテーションを基盤としたものに変化しつつある。日米両政府は否定するものの、米海兵隊のグアム移転が普天間代替施設建設前に行われることで、北東アジアにおける抑止について誤ったメッセージを発するリスクは十分にあるだろう。
さらに、今回の2月8日の合意からは、「普天間飛行場が持つ危険性を飛行場移設によって除去することにより 、沖縄に米軍が長期的に安定したプレゼンスを確保することを可能にし、日米同盟が持つ抑止力を堅持する」という当初書かれていた目的がすっぽり抜け落ちている。普天間飛行場移設とグアム移転が切り離された今、少なくとも短期的に普天間飛行場が固定化することは避けられない。つまり、日米同盟は引き続き、「一つの事故によって修復不可能なダメージを被る」リスクを抱えているのである。
今回の合意は、上手く利用すれば、今後、米軍がアジア太平洋地域、特に東南アジアを意識した兵力の分散を進める中で、自衛隊がいかに本土防衛や東アジア地域での安全保障に対する役割を拡大し、米軍と自衛隊が今後どのような防衛協力を進めていくことができるか、などについて両国政府間で真摯な議論を行う絶好のチャンスとなる。
この可能性を生かすも殺すも、両国政府の今後の協議次第だ。今回の合意が日米同盟にとって長期的に良い結果を生む一助となるよう期待したい。