メディア掲載  グローバルエコノミー  2012.04.03

過度なセシウム新基準から見える消費者団体の問題

WEBRONZA に掲載(2012年3月13日付)

 放射性セシウムの安全性の問題の関係者は、摂取する立場としては、消費者、厚生労働省、生産の立場としては、生産者、農林水産省ということになろう。
 ここでは、消費者、厚生労働省の問題を議論したい。放射性セシウムについて500ベクレルから100ベクレルへの規制強化という新基準を作ったのは、消費者の意向を考慮した厚生労働省だった。当たり前の話だが、消費者にとっては数値が低い方がより安全だということになる。新基準について厚生労働省へ寄せられた意見の8割がより厳しい基準を求めるものだった。しかし、低ければ低いほどよいのだろうか?厳しい基準を作れば、安全性という利益、ベネフィットは増えるが、これを検査したり、遵守させたりするコストは増える。経済学の原理から言えば、規制(安全性の基準)を強化・厳しくするときの追加的な便益と追加的なコストが一致するときに、規制の便益が最大となる。これを超えて安全性の基準を厳しくすれば、逆にコストの方が上回り、社会全体としての便益は低下する。しかし、この原理が日本の消費者(団体)の方々にはなかなか理解されないようだ。
 BSEの例を挙げよう。2001年BSEに感染した牛が発見された際、我が国はパニック状態に陥った。まず、消費者の不安を取り除くためと、牛肉生産を維持するために、世界的にも極めてまれで徹底した全頭検査が実施された。若い牛からはプリオンは検出されないので、全頭検査は意味がないのである。現在、国としては、20か月齢以下の牛の検査は必要ないとしているが、都道府県は依然として自らの費用負担で全頭検査を実施している。OIEという国際機関は、危険部位を除けば、牛肉から人への感染はないとしている。しかし、国産牛肉在庫の政府による買い上げ・焼却処分が実施された。これは輸入牛肉を国産牛肉と偽って処分させたという刑事事件にも発展した。2001年から2,3年の間だけでBSE対策に3000億円程度の金が使われたはずである。
 しかし、冷静にBSEのリスクを考えてみよう。世界でBSEに感染した牛はこれまで100万頭と推計される。しかし、クロイツフェルド・ヤコブ病にかかった人はわずか150人程度である。我が国では、全頭検査により、しらみつぶしに調べた結果、36頭の感染が確認されただけである。クロイツフェルド・ヤコブ病にかかった人はゼロである。アメリカはどうか。発症した牛2頭、クロイツフェルド・ヤコブ病にかかった人はゼロである。当時私はBSE問題について論文を発表している農林水産省の同僚にBSEのリスクを聞いてみた。答えは、人口1.3億人の日本で100年間で一人死亡する程度だというのである。今アメリカ産牛肉も含めて、政府は月齢制限を30か月齢以下にしようとしているが、月齢制限を撤廃しても安全性に問題はないだろう。それがOIEの基準でもある。ほとんどリスクのないBSEにとんでもない資源が投下されたのである。金だけではない。日本でクロイツフェルド・ヤコブ病によって死亡した人はいないが、BSE事件に絡み、自らの命を絶った人が数人もいる。これに対して、同じ牛肉で、昨年1つの企業が起こしたユッケ事件で5人が死亡している。それなのに、ユッケが食べられなくなって残念だという新聞記事が載せられている。何かバランスが悪すぎはしないか?
 今回、厚生労働省は、放射性セシウムの許容被曝線量を年間5ミリシーベルトから1ミリシーベルトに変更して、新基準を作成した。13~18歳の食べ盛の男子が汚染された食品だけを1年間食べ続けても被曝線量は0.8ミリシーベルトと推計している。新基準は安全に偏り過ぎてはいないのだろうか?厚生労働省の推計によると、新基準に移行した場合に低減できる被曝線量(中央値)は年間0.008ミリシーベルトに過ぎないという。北海道と大阪の自然放射線量の差は年間約0.1ミリシーベルトなので、新基準値に移行して減らせる線量はそれよりもはるかに少ない。
 今回、水道水が放射性物質に汚染されているかもしれないからといって、ペットボトルの水が乳幼児を抱えている家庭に配られた。しかし、ペットボトルの水の方が水道水よりも、発がん性物質であるヒ素の許容度が高い。同じく発がん性物質であるヒ素と放射性セシウムを比較すると、ペットボトルの水の方がガンを発病するリスクが高かった可能性がある。これは、畝山智香子さんの「『安全な食べ物』ってなんだろう」(日本評論社)に記述してある。震災発生当時、ある消費者団体に働く友人が水道水の方が安全であると広報しようとしたら、組織の幹部からとんでもないと反対されたそうである。発がん性からすると、たばこで死亡する人が年間13万人もいると報告された。しかし、消費者団体が真剣にたばこ撲滅運動を推進しているとは、寡聞にして知らない。ここでもバランスが悪くないか?
 日本の消費者の傾向とは何だろうか。第一に、世間的に問題とされた病気やリスクに過剰に反応することである。それもコストを考慮することなく、リスクは少なければ少ないほどよいとする「ゼロリスク」である。第二に、問題とされたリスクのみに集中し、他のリスクとの比較がなされないことである。ペットボトルの水と水道水の比較がなされることはない。外に犬がいて噛まれるかもしれないと言って、ライオンの檻に入るようなことをしているのではないだろうか。BSEとユッケはまさにそうである。
 今回の厚生労働省の基準作りは、消費者の意向を過剰に反映したものであるといえる。消費者の意向に沿ったものだと言えば、免責されるという保身が働いてはいないだろうか。あえてより緩やかな基準の方が便益は高いのだと消費者を説得するようなリスクは役人として取りたくない。それが本音だったのではないだろうか。新基準案を諮問された文部科学省の放射線審議会は「必要以上に厳しい」と反応した。厚生労働省は消費者を盾にして押し切ったようだが、私には、放射線審議会の方が正常な対応だったのではないかと思われる。
 消費者団体に、食品の安全性についての専門家はどれだけいるのだろうか。専門家という場合、科学者だけではなく、法律や経済についても詳しい専門家も必要である。食品の安全と貿易はWTOのSPS協定に規定・規律されている。我が国でBSE問題が発生し、日米間で大きな貿易問題となったのちも、我が国の消費者団体のSPS協定に対する関心や理解が低かったことに私は驚かされた。90年代の初めにアメリカの消費者団体がアメリカの国内基準がより緩やかな国際基準に統一されてしまう(これを下方への調和" downward harmonization"という)という観点から、交渉中のSPS協定に強い関心を持ち、アメリカ政府を動かして協定を修正させたこととは、大きなギャップを感じた。アメリカの消費者団体には、この問題に精通した弁護士が活躍している。今でも、食の安全を問題視する人たちが、SPS協定をどこまで理解しているのか、私にはよくわからない。
 消費者だけではなく、厚生労働省などの専門家にも問題がある。科学的なリスク・アセスメントを行う際の前提となる安全性の基準を、10万人に1人とするのか、100万人に1人とするのか、食品や危険物質を統一した基準が示されて議論されることはない。BSEとユッケ、放射性物質とヒ素、これらが統一的に議論されることはない。食品の安全性基準については、バランスが悪すぎるのである。