メディア掲載  グローバルエコノミー  2012.04.02

死にかけている日本農業はTPPで蘇る

撃論 第四号(2012年3月9日)に掲載

40年続く減反政策により、すでに100万haの水田が失われ、農業生産額はピーク時から3兆円以上減っている。失策明らかな旧来の日本農政を、このまま続ける理由はどこにもない。


"TPPお化け"の正体
 野田総理は、昨年11月APEC首脳会議の際「交渉参加に向け、関係国と協議に入る」と表明した。しかし、この表明に至るまで、民主党内の意見調整は難航した。今でもTPP反対派は、これは事前協議を行うと言っているだけで、参加を決定したものではないと主張している。正式参加まで、政治的なハードルはまだ高い。しかし、ガット・ウルグァイ・ラウンド交渉も米の開放を巡り、政治問題化したが、それは交渉結果の受諾を巡ってであり、交渉参加についてではなかった。これまで通商交渉において、交渉の行方がわからない参加の段階で、政治問題化することはなかった。これほどまでTPP参加問題が混乱した背後に、戦後日本政治上最大の圧力団体として活動してきた農協の策謀がある。
 これまで結んできた自由貿易協定(FTA)で、日本は、米や乳製品などの農産物を関税撤廃の例外としてきた。しかし、自由貿易協定の一つであるTPPは基本的に例外扱いを認めない。関税を撤廃し価格が低下しても、アメリカやEUのように直接支払いという補助金を交付すれば、農家は影響を受けない。しかし、価格に応じて手数料収入が決まる農協は困る。
 TPPに参加しても、野菜や花など日本農業の生産額の過半を占める農業は影響を受けない。これらの関税はゼロか数%に過ぎないからだ。それなのに、農協は、TPPに参加すると日本農業は壊滅すると主張し、農業全体をTPP反対に向かわせようとした。さらに、農業だけに焦点があたり、孤立することを恐れた農協は、TPPは農業問題だけではないと主張し、同じくTPPで既得権が脅かされると心配する医師会を巻き込んで、1千万人以上の反対署名を集めるという一大反対運動を展開した。遺伝子組み換え食品など食の安全も脅かされるとし、TPPは国民生活全体に影響を与えるものだというイメージを植え付けるのに成功した。
 農協の動きに呼応するかのように、アメリカが輸出拡大のために経済規模の大きな日本を取り込もうとしているとか、公的医療保険制度の改変や単純労働の受入れなど国の枠組みが壊れるなどと主張する書籍が、評論家と言われる人たちによって多数出版された。
 しかし、TPP事前協議等の場でアメリカは公的医療保険制度や単純労働をTPP交渉の対象とすることを明確に否定した。また、遺伝子組み換え食品の規制変更もアメリカの関連業界からは要望されていない。ほとんど全てのTPP反対論者が主張したアメリカ陰謀説についても、日本の参加表明にオバマ政権の最大の支持母体である労働組合や自動車業界が反対を表明したように、根拠のないことが明らかになった。"TPPお化け"の正体が見え始めている。
 日本にとってTPPで問題となるのは農業である。しかも、高齢化・人口減少時代には、海外の市場を開拓する自由貿易は農業のためにこそ重要である。そう考えると、TPPは関税撤廃による農産物価格低下で影響を受ける農協の問題であることが明らかになる。


農業の衰退と原因
 TPPに参加するしないにかかわらず、我が国農業は崩壊しつつある。農業生産額は1984年の11.7兆円をピークに減少傾向が続き、2007年には8.2兆円とピーク時の約3分の2の水準まで低下した。65歳以上の高齢農業者の比率は1割から6割へ上昇している。
 これまで異常に高い関税で国内農産物市場を外国産農産物から守ってきた。にもかかわらず、農業が衰退するということは、その原因が海外ではなく国内にあるということを意味している。それは農協に影響力を行使された農政だった。

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 所得は、価格に生産量をかけた売上額からコストを引いたものであるから、所得を上げようとすれば、価格または生産量を上げるかコストを下げればよい。農産物のコストは、1ha当たりの肥料、農薬、機械などのコストを1ha当たりどれだけ収穫できるかという単位面積当たりの収量(単収)で割ったものである。コストを下げる方法としては、規模拡大による1ha当たりのコスト削減と単収向上の2つがある。図1が示すように、規模が拡大するとコストは下がり、所得は増加する。
 我が国農政は、コストを下げるのではなく食管制度の下で米価を上げて農家所得を向上させた。総農地面積が一定で一戸当たりの規模が拡大すると、農家戸数は減少する。組合員の圧倒的多数が米農家で、農家戸数を維持したい農協は、農業の構造改革に反対した。少数の主業農家ではなく多数の兼業農家を維持する方が、農協にとって政治力維持のみならず、兼業農家のサラリーマン所得や農地転用利益の農協口座への預け入れなどにより農協経営の安定につながるからである。食管制度の時代、農協は米価引き上げのため一大政治運動を展開した。
 農協の思惑通り、米価引上げによって、本来ならば退出するはずのコストの高い零細農家も、小売業者から高い米を買うよりもまだ自分で作った方が安いので、農業を継続してしまった。零細農家が農地を出してこないので、専業農家に農地は集積せず、規模拡大は進まなかった。主業農家の販売シェアは、野菜や酪農では8割、9割を超えているのに、米だけが4割にも満たない。農業で生計を立てている農家らしい農家が、コストを引き下げて収益をあげようとする途を農政が阻んでしまった。
 米価引上げによって、消費は減り生産は増えたので、米は過剰になり40年も減反している。食管制度が1995年に廃止されて以降、米価は生産量を制限する減反政策によって維持されている。減反は生産者が共同して行うカルテルである。現在、年間約2千億円、累計総額7兆円の補助金が、他産業なら独禁法違反となるカルテルに、農家を参加させるためのアメとして、税金から支払われてきた。2010年度から実施されている4千億円の米の戸別所得補償は、減反への参加を支給条件としている。国民は高い米価という約4千億円に相当する消費者負担と6千億円の納税者負担、合計1兆円の負担をしている。
 減反面積は今では100万haと水田全体の4割に達し、500万トン相当の米を減産する一方、700万トン超の麦を輸入するという食料自給率向上とは反対の政策が採り続けられている。水田は減反開始後一転して減少し、100万haの水田が消滅した。戦前農林省の減反政策案に反対したのは食料自給を唱える陸軍省だった。真の食料自給は減反と相容れない。農業界が唱える洪水防止、水資源の涵養などの多面的機能の主張も、そのほとんどは水田の機能なのに、減反によって水田を水田でなくしてしまう政策が採り続けられている。


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TPPで農業は壊滅するのか?
 農業界は、日本農業は米国や豪州に比べて規模が小さいので、コストが高くなり競争できないという主張を行っている。農家一戸当たりの農地面積は、日本を1とすると、EU9、米国100、豪州1902である。
 規模が大きい方がコストは低下することは事実である。しかし、規模だけが重要ではない。この主張が正しいのであれば、世界最大の農産物輸出国アメリカも豪州の19分の1なので、競争できないはずである。これは、各国が作っている作物の違いを無視しているためである。アメリカは小麦、大豆やとうもろこし、豪州は牧草による畜産が主体である。米作主体の日本農業と比較するのは妥当ではない。米についての脅威は主として中国から来るものだが、その中国の農家規模は日本の3分の1に過ぎない。また、同じ作物でも単収や品質に大きな格差がある。フランスの小麦の単収はアメリカの3倍なので、フランスの100haの農家の方がアメリカの200haの農家より効率的となる。
 米にはジャポニカ米、インディカ米の区別があるほか、同じジャポニカ米でも、品質に大きな差がある。国内でも、同じコシヒカリという品種でも、新潟県魚沼産と一般の産地では、1.7~1.8倍の価格差がある。他の産地がどれだけ頑張っても魚沼産には及ばない。国際市場でも、日本米は最も高い評価を受けている。現在、香港では、コシヒカリで日本産はカリフォルニア産の1.6倍、中国産の2.5倍の価格となっている。品質の劣る海外の米と日本米の価格を比較することは、ベンツのような高級車と軽自動車を比べるようなものである。ベンツのような高級車は軽自動車のコストでは生産できない。高品質の製品に、それなりのコストがかかるのは当然である。
 日本米と品質的に近い中国産米やカリフォルニア米と比べた内外価格差は、30%程度へ縮小している。しかも、図の日本産米の1万3千円という価格は減反政策で供給量を制限することによって実現された水準なので、減反政策を廃止すれば、価格は9千円程度に低下し、日中米価は逆転し関税は要らなくなる。そもそも、関税がない状態では、減反による国内の価格カルテルは維持できない。仮に輸入によって国内価格が低下したとしても、低下分を財政で直接支払いすれば、関税撤廃によっても影響は生じない。しかも、高い関税も10年かけてなくしていけばよい。規模拡大、品種改良等による単収向上で、競争力を強化する十分な時間がある。

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望ましい政策
 減反の廃止により米価を下げれば兼業農家は農地を貸し出すようになる。主業農家に限って直接支払いを交付すれば、その地代負担能力が上がって、農地は主業農家に集積し、規模が拡大する。総消費量が一定の下で単収が増えれば、米生産に必要な水田面積は縮小し、減反面積が拡大し、減反補助金が増えてしまう。このため、1970年の減反開始後、単収向上のための品種改良は、行われなくなった。今では飛行機から種まきしている粗放的なカリフォルニアの単のほうが日本を4割も上回っている。単収がカリフォルニア並みになれば、大規模農家の米生産費6,000円は4,300円と日本に輸入されている中国、カリフォルニア産の米価の半分以下となる。規模拡大と単位面積当たりの収穫量の増加によってコストをさらに低下できれば、米産業を輸出産業に転換できる。
 農協は兼業農家がいなくなれば地域は崩壊すると主張する。しかし、都府県の米農家の太宗を占める1ha未満層は赤字か収支トントンの状況である。これに対して、規模の大きい農家は大きな所得を上げている。少数の農家に農地を集約して、大きな利益を上げ、それを地代として配分した方が、農地の出し手の兼業農家にも利益となる。


農業こそTPPが必要
 現在の価格でも、台湾、香港などへ輸出している生産者がいる。世界に冠たる品質の米が、生産性向上と直接支払いで価格競争力を持つようになると、鬼に金棒である。
 米の生産は1994年の1200万トンから減少し、2012年度の生産目標数量はとうとう800万トンを切ってしまった。これまで高い関税で守ってきた国内の市場は、今後高齢化と人口減少でさらに縮小する。日本農業を維持、振興しようとすると、輸出により海外市場を開拓せざるを得ない。
 しかし、国内農業がいくらコスト削減に努力しても、輸出しようとする国の関税が高ければ輸出できない。貿易相手国の関税を撤廃し輸出をより容易にするTPPなどの貿易自由化交渉に積極的に対応しなければ、日本農業は衰退するしか道がない。  アメリカやEUは直接支払いという鎧を着て競争している。日本の米だけが徒手空拳で競争する必要はない。減反廃止と主業農家に対する直接支払い、これが正しい政策である。守るべきは農業であって、関税という手段ではない。
 もちろん日本の産業や農業にとって有望な市場は中国である。TPPよりも日中韓のFTAを優先すべきだという主張がある。しかし、今でも関税ゼロで中国へ輸出できるが、簡単に輸出できない。日本では㎏当たり500円で買える日本米が、上海では1,300円もする。中国では、国営企業が流通を独占し、800円ものマージンを余計に徴収しているからだ。関税をゼロにしても、このような事実上の関税が残る限り自由に輸出できない。
 アメリカがTPPで狙っているものに、中国の国営企業に対する規律がある。同じ社会主義国家で国営企業を抱えるベトナムを仮想中国と見なして交渉することで、いずれ中国がTPPに参加する場合に規律しようとしているのだ。日本が日中のFTAで中国に国営企業に対する規律を要求しても、中国は相手にしないだろう。アメリカの力を借りて国営企業に対する規律を作るしかない。TPP交渉に参加することが中国市場開拓の道となる。


グローバル化・震災復興とTPP
 TPP反対論にはアメリカが怖いとか根拠の薄弱な情緒的なものが多い。しかし、これだけ反対論に支持が集まるのは、グローバル化が所得格差の拡大や非正規雇用の増加などを生んだとする国民感情が、TPP問題に凝集しているからだろう。関税から直接支払いへの移行という政策転換は、農業保護の手法を変更するもので、農業を市場経済に全て委ねようとするものではない。グローバル化は現在進行している事実であり、反グローバル化を唱えることは問題の解決にはならない。中国や韓国がTPPに参加しても、我が国はグローバル化反対を唱え、あくまでもTPPに参加しないのだろうか。グローバル化を与件として、どのような対策を講じるかを議論すべきなのである。

 また、東日本大震災で、東北の自動車部品工場の製品が遠くアメリカ・ミシガン州の自動車工場で利用されていることが報道された。日本の中小企業は、広いアジア太平洋地域のサプライ・チェーンに組み込まれている。もし、日本がTPPに参加しなければ、被災地も含め日本の中小企業は広い地域から排除されてしまう。被災地の復興のためにこそTPP参加が必要なのだ。