メディア掲載  外交・安全保障  2012.03.21

サイバー戦は空想ではない

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2012年3月8日)に掲載

 2012年3月3日(土)~4(日)、キヤノングローバル戦略研究所は「サイバー戦争は本当に起きるのか」をテーマに第10回PAC政策シミュレーションを実施いたしました。 概要を産経新聞に掲載しました。



 地球的規模でGPS(衛星利用測位システム)に不具合が生じる。日本各地で原因不明の大停電が起こる。米国の証券・金融システムがダウンし、衛星通信網が不通となる。某国特殊部隊が日本近隣国の米国大使館を攻撃し、日本近海に某国海軍大艦隊が集結し始める。
 ある日突然、しかもすべてが24時間以内に発生する。インターネット上の通信は大幅に制限され、国民経済に深刻な影響が生じ始める。状況は「武力攻撃予測事態」と認定され、陸海空自衛隊に待機命令が出る。周辺事態法に基づく「基本計画」の作成が検討される。
 幸いこれはいまだ現実ではない。先週末24時間かけて行われたサイバー戦に関する政策シミュレーションの結果だ。筆者が所属するキヤノングローバル戦略研究所が主催した。専門家、有識者、現役官僚を含む多くの参加者が得た教訓は予想以上に深刻だった。
 日本でサイバー攻撃というと、「アノニマス」、「ウィキリークス」のようなハッカー集団による愉快犯罪、コンピューターウイルス感染による企業機密情報漏洩、プライバシーの侵害など非軍事的分野での議論が中心だが、これらはもはや時代遅れの議論だという。
 今回の政策シミュレーションは最先端のサイバー戦を想定して行われた。日本最高レベルのサイバー戦専門家の参加を得、コンピューター・オタクではない一般人を対象に「不都合な真実」のサイバー戦を仮想空間で再現した。以下はそこで得られた教訓の一部だ。
 ●サイバー戦は明確な軍事目的を持った作戦計画の初期段階であることが多い。サイバー攻撃が国際法上の「武力攻撃」に該当し、国家による自衛権発動の対象となる可能性を真剣に検討する必要がある。

 ●サイバー戦は長期の周到な準備がなければ実行できず、外部のサイバー攻撃根拠地・発生源に対し直ちにかつ正確に反撃することは事実上不可能だ。サイバー戦は既に日々戦われており、国家戦略の確立と予算増額、人材育成を早急に進める必要がある。
 ●サイバー戦では攻撃と被害の発生をリアルタイムで認識することが難しい。当然、政策決定者の意思決定モードを平時から有事に切り替えるタイミングも遅れる。サイバー戦専門の情報分析能力を強化して、有事対応への移行を迅速化する必要がある。
 今回の政策シミュレーションを終えて背筋が凍る思いがした。2007年のイスラエル空軍機によるシリア原子炉攻撃直前にはサイバー攻撃でシリア防空システムが無力化された。サイバー攻撃は武力攻撃の前兆ではなく、その極めて重要な初期段階と考えるべきだ。
 ところが多くのサイバー攻撃では死傷者が出ない。兵器が破壊されたり、建物が爆破されることもない。ある日突然、停電が始まり、ネットが使えなくなり、数日間情報が遮断された後、気が付いたら武力攻撃は既に終わっていたということになる可能性が高いのだ。
 不幸にも中国、ロシア、北朝鮮のサイバー戦能力は日に日に高度化、巧妙化しつつある。
 これに対し、日本ではサイバー「犯罪」「攻撃」「スパイ」「テロ」の概念はあっても、サイバー「戦争」が世界中で、かつ日常的に発生しているという認識はほとんどない。
 日本の「平和ボケ」は最先端現代戦が毎日戦われているサイバー空間においても、現実世界同様、健在のようだ。1945年以降日本で構築されてきた「戦争」に関する認識と法的整理を全面的に見直すべき時期が来ている。




<PAC政策シミュレーションとは>
 日本の外交・安全保障政策がタイミングよく立案・実施されていない原因の一つは、政治家と官僚とのインターフェイスが欠如しているからではないかと考えられる。この状況を少しでも改善するために、日本型「政治任用制度」を導入するのが一つの解決策ではなかろうかとの問題意識に基づき、キヤノングローバル戦略研究所は、将来の政治任用候補者(Political Appointee Candidates: PAC)を公募し、彼らを政策シミュレーション(可能な限り現実の政策決定過程に近いヴァーチャルリアリティ)の中で鍛え、一人前の政治任用スタッフ候補として養成しようとしている。2009年7月から始めたこの活動は、官僚組織に挑戦し、これを代替しようとするものではなく、政治と行政のインターフェイスとして働き、政治家とともに政治的責任を自らとる政治任用スタッフを導入することにより、官僚を政治的責任から守り、官僚組織が本来持っている政策形成機能を再活性化させることを目指している。