メディア掲載 グローバルエコノミー 2012.03.05
1.TPPなんて怖くない
TPP(環太平洋パートナーシィプ協定)に参加すると農業は壊滅すると叫ばれている。しかし、野菜、果実、花など農業産出額の半分以上の品目は、関税はゼロか数%なので、影響ない。
米などの高い関税も10年かけてなくしていけばよい。米の関税は60キログラム当たり2万460円(778%という数字はこれをタイ米と比較して従課税に換算した架空の数字)、国内ではあられ・せんべい等の加工用に輸入されているタイ米の価格は3660円(08年輸入価格)である。この10年間で35%低下した日本米の価格トレンドを考慮すると、関税賦課後のタイ米価格が日本米を下回るのは、参加後8年目以降である。それまでの間に、規模拡大、品種改良等による単収向上で、競争力を強化できる。
日本農業の強さは品質にある。国内でも、新潟県魚沼産と一般の産地のコシヒカリでは、1.7倍の価格差がある。他の産地がどれだけ頑張っても魚沼産には及ばない。国際市場でも、日本米は高い評価を受けている。香港では、コシヒカリで日本産はカリフォルニア産の1.6倍、中国産の2.5倍の価格となっている。日本米と海外の米を比較することは、ベンツと軽自動車を比べるようなものである。ベンツのような高級車は軽自動車のコストでは生産できない。高品質の製品に、それなりのコストがかかるのは当然である。
日本米と品質的に近い中国産米やカリフォルニア米について、現在での日本への輸入価格は1万円程度に上昇している。日本産米の1万3000円という水準は減反で供給量を制限することによって実現された価格なので、減反政策を廃止すれば、価格は9000円程度に低下する。この価格関係では、今でも関税は要らない。
そもそも、減反は価格維持のカルテルである。関税がない状態では、国際価格よりも高い国内の価格カルテルは維持できない。減反は廃止するというより、自然になくなると言った方が適切である。仮に輸入によって国内価格が低下したとしても、低下分を直接支払いする政策をとれば、関税撤廃によっても影響は生じない。それどころか、さらに生産性を向上させていけば、輸出が可能になる。
2.日本農産物の強さ
米だけではない。和牛肉は、コウベ・ビーフという名前がつくなど世界で味の良さを評価されている。人工授精によるF1(乳牛と和牛の交雑種)生産から、酪農家が飼育する乳牛を利用して受精卵移植による和牛生産を増加させれば、輸出による市場拡大が可能となる。これは肉用牛農家だけでなく酪農家にもメリットが及ぶ。
牛乳についても、現状の不足払いに500億円を増額すれば今の乳製品生産は守れる。
1600万トンの生乳生産能力のニュージーランドの9割以上を集乳するフォンテラ社から「われわれは中国市場の拡大に対応するだけで精いっぱい」だと聞いた。世界有数の乳製品輸出国のニュージーランドでさえ、日本の2倍の生産力に過ぎない。国際的に乳製品需給がひっ迫し価格が上昇する中で、直接支払いで生乳価格を下げれば、EUが直接支払いの導入による穀物価格の引き下げで輸入飼料穀物を域内産で代替してしたように、輸入分の400万トンの一部を国産に代替していくことも考えられる。
さらに、輸出の可能性がある。20年以上も前から北海道の生乳は都府県にタンカーで輸送されている。過去最大だった03年で生乳53万トンである(10年は39万トン)。これ以外に、北海道でパッキングした飲用乳が都府県に移出されている。こちらは、過去最大だった08年で33万トンである(10年は28万トン)。日本から、韓国、台湾、中国などの近隣諸国への牛乳の輸出ができないわけがない。
また、畜産物にとって最大のコストは飼料である。飼料用の輸入トウモロコシの関税はゼロだが、圧ペン処理という他の用途への横流れ防止策により、飼料代は割高になっている。他の用途向けについても関税がなくなれば、圧ペン処理は不要となるので、畜産のコストダウンにつながる。これはTPP参加のメリットである。しかし、不思議なことに、というより当然のことながら、農林水産省のTPP参加による農業への影響試算の中に、関税撤廃や貿易円滑化対策による農業生産資材価格の低下が考慮されているようには見えない。
野菜、果物については、既に先進的な農業者が積極的に輸出を展開している。北海道の小麦等の畑作物は、日本の国内ではコストが低いが、国際的にはコストが高い。北海道の小麦の生産コスト(1トン当たり12万円)は輸入小麦の価格(4~5万円)を大幅に上回っている。北海道の畑作を野菜作に転換させ、本格的に輸出の途を探るべきである。これまで農産物生産の平均コストという市場とは切り離された概念に基づいて、作物ごとの価格支持政策を行ってきたために、需要者が要求しない生産が行われてきた。現在の作物に応じた直接支払いを改め、農地の上に何を作付しても単一の額の直接支払いを交付するという仕組みに転換することによって、このような作物転換を推進することができる。
食料安全保障のためには、農地資源を維持することが重要で、何を植えるかは重要ではない。花の生産は食料自給率には貢献しないが、農地の維持を通じて食料安全保障には貢献する。多額のコストを払って、北海道の畑作を維持する必要はない。また、これによって過大な財政負担の軽減を図ることが可能となる。構造改革や直接支払いによって、高品質の我が国農畜産物に価格競争力がつけば、鬼に金棒である。
3.農業衰退の原因
しかし、このような方向で日本農業の可能性を追求しようとする議論は少数である。農業界の主流は国に依存し、いかに現状を維持するかしか頭にない。おかしな話だが、今農業で活躍している先進的な企業的農家は、筆者が農林水産省勤務時代会ったこともないような人たちである。つまり、農林水産省に依存しない業種や業態の農家が繁栄している。農林水産省がお世話してきた農業ほど衰退し、TPPに怯えている。
これまで、異常に高い関税で国内農産物市場を外国産農産物から守ってきた。にもかかわらず、農業が衰退するということは、その原因が海外ではなく国内にあるということを意味している。
所得は、価格に生産量をかけた売上額からコストを引いたものであるから、所得を上げようとすれば、価格または生産量を上げるかコストを下げればよい。農産物のコストは、1ha当たりの肥料、農薬、機械などのコストを1ha当たりどれだけ収穫できるかという単位面積当たりの収量(単収)で割ったものである。コストを下げる方法としては、規模拡大による1ヘクタール当たりのコスト削減と単収向上の2つがある。
我が国農政は、コストを下げるのではなく食管制度の下で米価を上げて農家所得を向上させた。総農地面積が一定で一戸当たりの規模が拡大すると、農家戸数は減少する。組合員の圧倒的多数が米農家で、農家戸数を維持したい農協は、農業の構造改革に反対した。少数の主業農家ではなく多数の兼業農家を維持する方が、農協にとって農外所得や農地転用利益の農協口座への預け入れなどを通じた農協経営の安定や政治力維持につながるからである。農協は米価引き上げのため一大政治運動を展開した。
農協の思惑通り、米価引き上げによって、本来ならば退出するはずのコストの高い零細農家も、小売業者から高い米を買うよりもまだ自分で作った方が安いので、農業を継続してしまった。零細農家が農地を出してこないので、専業農家に農地は集積せず、規模拡大は進まなかった。主業農家の販売シェアは、野菜や酪農では8割、9割を超えているのに、米だけが4割にも満たない。農業で生計を立てている農家らしい農家が、コストを引き下げて収益をあげようとする途を農政が阻んでしまった。
米価引上げによって、消費は減り生産は増えたので、米は過剰になり40年も減反している。食管制度が1995年に廃止されて以降、米価は生産量を制限する減反政策によって維持されている。減反は生産者が共同して行うカルテルである。現在、年問約2000億円、累計総額7兆円の補助金が、他産業なら独禁法違反となるカルテルに、農家を参加させるためのアメとして、税金から支払われてきた。カルテル破りのアウトサイダーが出ないようにするためである。2010年度から実施されている4千億円の米の戸別所得補償は、減反への参加を支給条件としている。国民は高い米価という約4千億円に相当する消費者負担と6千億円の納税者負担、合計1兆円負担をしている。
今では、減反面積は今では100万ヘクタールと水田全体の4割に達している。500万トン相当の米を減産する一方、700万トン超の麦を輸入するという食料自給率向上とは反対の政策が採り続けられている。減反政策が導入されるまで増加してきた水田は減反開始後一転して減少し、100万ヘクタールの水田が消滅した。戦前農林省の減反政策案に反対したのは食料自給を唱える陸軍省だった。真の食料自給は減反と相容れない。農業界が唱える多面的機能の主張も、そのほとんどは水田の機能なのに、減反によって水田を水田でなくしてしまう政策が採り続けられている。