TPP交渉への最終的な参加決定の時期が近くなるにつれ、JA農協が日本医師会と共同して、外国特派員協会にTPP参加反対の記者発表をするなど、反対派の活動が目につくようになった。TPP反対派のよって立つ主たる根拠に、日本の交渉力のなさから、アメリカの言いなりになってしまうというものがある。これは過去の日米構造協議などの報道から、一般の国民にも信じられているようである。しかし、日本という国はそんなにだらしない国なのだろうか?
まず、このような主張を行う人に、過去多国間の通商交渉に関わった経験を持つ人はいない。日米保険協議で日本が敗北した経験が語られるが、この交渉を担当したのは通商交渉の経験の少ない旧大蔵省だった。また、これは二国間の協議であり、多国間の通商交渉ではない。通商交渉の矢面に立ってきた農林水産省や経済産業省が行った、二国間の協議でも、日本は負けているわけではない。むしろ、居丈高に主張を繰り返すアメリカに対し、苦しみながらも、かれらの面子を立てつつ、日本の利益を確保するという、一段高い戦術を持って対応してきたというのが、私の感想である。
1980年代を代表する牛肉の輸入自由化交渉を挙げよう。アメリカは日本の牛肉の輸入数量制限によって、日本市場に対する牛肉輸出の拡大が困難となっているとして、この撤廃を要求した。この交渉は1978年から3次にわたって行われた。2次までは輸入数量枠の拡大でしのいだが、3次交渉では1991年からの自由化を約束した。この輸入数量制限がガット違反であることは明白だった。乳製品、でんぷんなどの輸入制限については、1988年ガット違反であるという裁定が下されていた。牛肉についても、同年アメリカがガット提訴したことにより、日本の負けは当然視されていた。関税25%での即時自由化は必至だった。
しかし、当時の農林水産省は引き下がらなかった。自由化する代わりに、関税を自由化初年度70%、次年度60%、3年度50%とし、それ以後はガット・ウルグァイ・ラウンド交渉の結果に委ねるという決着としたのである。25%の関税を引き上げたのである。この輸入数量制限を廃止して、関税に置き換え、徐々に削減するという方法は、「関税化」と呼ばれるようになり、ガット・ウルグァイ・ラウンド交渉の中心的な概念となる。ガット・ウルグァイ・ラウンド交渉のモデルは日米牛肉交渉だったのである。それだけではない。この関税による1千億円を超える財政収入を、牛肉自由化で影響を受ける畜産農家対策として活用することを、アメリカにも飲ませたのである。
この結果が、日本の牛肉産業に与えた影響はどのようなものだったのだろうか。自由化直前の1990年度から、国産牛肉の生産量は39万トンから2010年度の36万トンへとほとんど変化していない。むしろ品質の高い和牛生産は増加している。ガット・ウルグァイ・ラウンド交渉で関税化の特例措置を講じた米の生産量が、1994年の1200万トンから800万トンへと減少しているのと対照的である。
この交渉を主導したのは、当時の畜産局長の京谷昭夫氏である。アメリカの交渉者は、タフ・ネゴシエーターとして日本の経済界を震え上がらせたクレイトン・ヤイター通商代表だった。ヤイターは、京谷氏に対して映画「スターウォーズ」に登場する影の実力者「ダース・ヴェイダー」というあだ名をつけたほど、彼を優れた交渉者として評価していた。京谷氏が存命であれば、今の日本の「アメリカが怖い」病に対して何と言うだろうか。かつての交渉者自身が敗北を認める日米保険協議と異なり、京谷氏のような交渉者を持ったことは、日本の牛肉業界にとって幸運だったと言えるが、他の交渉でも人材がいなかったわけではない。
多国間交渉では、どうだろうか?
日本、ドイツ等の諸国が復興・発展して来るにつれ、60年代後半から、アメリカは新しい保護的手段を用いるようになった。日米自動車協議では、ガット上違法とされる輸入数量制限の代替措置として、輸出側に輸出量を制限させるという、ガット上黒とも白ともいえない「灰色措置」である"輸出自主規制"が導入された。また、ガット上認められているアンチ・ダンピングを恣意的に運用して国内産業の保護に活用するようになった。さらには、不公正な通商行為を行っているとアメリカが判断すれば、一方的に制裁措置を講じるという通商法301条のような法律も導入された。
実は、これらの措置は、ガット・ウルグァイ・ラウンド交渉の結果規律されることになった。輸出自主規制は違法とされた。アンチ・ダンピングについては、不十分ながらも規律が強化された。WTO紛争処理手続きを取らなければ、制裁措置は取れないこととされ、通商法301条は事実上廃止に追い込まれた。これらのイニシャティブを取ったのは、ほかならぬ日本である。多国間交渉では、イッシュ―ごとに利益を同じくする国と連携することが可能である。TPP交渉でも、アメリカの主張を封じ込めることは、困難ではない。
ウルグァイ・ラウンド農業交渉では、例外なき関税化を主張する輸出国に対して、我が国は米の関税化例外措置を勝ち取った。ケベック州というフランス語圏の独立問題に発展しかねない、酪農、鶏肉の問題を抱えるカナダは、交渉終結のその日まで関税化に反対していたが、とうとう例外措置を獲得することはできなかった。この交渉結果を報告した農林水産省の担当者に対して、かつてガット・ケネディ・ラウンドを経済企画庁長官として取り仕切った宮沢喜一元首相は、「あなた、これはパーフェクト・ゲームですよ。」と語っている。
つい先日、豪州政府の担当者と意見交換する機会があった、日本の「アメリカが怖い」病に対して、彼は、呆れながら次のように語った。「TPPは多国間交渉であり、日米のような2国間の協議ではない。アメリカに一方的に押されるような心配はしなくてよい。また、2国間の協議でも、豪州はアメリカに負けてはいない。米豪自由貿易協定でも、高い薬価を求めるアメリカの主張を退けたし、日本でアメリカ企業に日本政府が訴えられると反対論者が主張するISDS条項も拒否した。」彼の眼には、TPP交渉に参加しているマレーシアやベトナムの方が、日本よりもはるかに優れた国と映ったにちがいない。
当のアメリカは日本をどう見ているのだろうか?日本の参加表明に対して、アメリカ連邦議会の有力議員は、日本が参加する前に交渉を妥結して、日本に妥結内容をまるごと飲ませるべきだと主張している。日本側から見ると憤慨するような発言である。米国通商代表部(USTR)も同じ意見だとするアメリカの情報誌がある。しかし、アメリカ側から見ると、日本のような交渉者を引きいれるとアメリカの意のままに交渉をリードできないという不安の表明である。日本人が考える以上にアメリカは日本を手強い交渉相手と見ているのである。
不思議なことに、「アメリカが怖い」病の主張者には、右翼的、保守的な論者が多い。もっと、日本人は自らの力に自信を持ってもよいのではないだろうか。