メディア掲載  グローバルエコノミー  2012.02.08

農業こそ自由貿易を追及せよ-人口減少時代の農業再生への道-

改革者(2012年2月号)に掲載
 日本の農業はすでに崩壊しつつある。農業を衰退させてきたのは、農地制度、米価政策、農協制度の3つの柱から構成された戦後農政である。この3つを抜本的に改革して、自由貿易の下で輸出を行わなければ食料の安全保障は確保できない。

沈む農業
 TPPに参加すると農業は壊滅すると叫ばれるが、既に農業は崩壊しつつある。農業生産額は1984年の11.7兆円をピークに減少傾向が続き、2007年には8.2兆円とその約3分の2の水準まで低下した。65歳以上の高齢農業者の比率は1割から6割へ上昇している。
 農業の衰退に日本社会の高齢化・人口減少が追い打ちをかける。コメの一人当たりの消費量は過去40年間で半減した。このため、人口が増加してきたにもかかわらず、コメの生産量は1994年の1200万トンに比べ2011年には840万トンへ3割も減少し、2012年の生産目標数量はとうとう800万トンを切ってしまった。
 今後は、高齢化で一人が食べる量がさらに減少する一方、これまで増えてきた総人口も減少する。今後40年で一人当たりの消費量が現在の半分になれば、2050年頃にはコメの総消費量は310万トンになる。国内市場の縮小はコメに限らない。国内市場に頼る限り、日本農業はさらに衰退せざるをえない。
 それなのに、農業界のリーダーたちは、TPP反対を声高に叫ぶばかりだ。彼らに、20年後、30年後の日本農業のビジョンを問うても、答えられないだろう。

日本農業のポテンシャル
 しかし、日本農業に可能性がないのかというとそうではない。農業全体が衰退する中で、2010年に農産物販売額が1億円を超えている経営体は5,577もある。これ以下の階層の経営体が軒並み減少する中で、この階層だけは5年前より9.5%も増加している。
 どの産業でも、収益は価格に販売量を乗じた売上高からコストを引いたものだ。したがって、収益を上げようとすれば、価格を上げるか、販売量を上げるか、コストを下げればよい。成功している農家は、このいずれかまたは複数の方法を実践している。
 特に、コスト・ダウンは努力次第で可能である。農産物1トンのコストとは、農地面積当たりの肥料、農薬、農機具などのコストを単収で割ったものだ。したがって、コストを下げようとすれば、規模拡大や安い資材の購入等で農地面積当たりのコストを下げるか、品種改良等で単収を上げればよい。
 農業には、季節によって農作業の多いときと少ないとき(農繁期と農閑期)の差が大きいため、労働力の通年平準化が困難だという問題がある。米作でいえば、田植えと稲刈りの時期に労働は集中する。農繁期に合わせて雇用すれば、他の時期には労働力を遊ばせてしまい、コスト負担が大きくなる。しかし、条件不利といわれる中山間地域でも標高差を利用すれば田植えと稲刈りにそれぞれ2~3カ月かけられる。日本の米作の平均的な規模は1ヘクタール未満であるが、中国地方や新潟県の典型的な中山間地域において、夫婦二人で10~30ヘクタールの耕作を実現している例がある。規模拡大によるコスト・ダウンの一例である。
 また、日本は南北に長い。この特性を活かし、日本各地に点在する複数の農場間で機械と労働力を移動させることで、作業の平準化を実現している企業経営もある。労働の平準化と機会の稼働率向上によるコスト・ダウンである。
 早生、中生、晩生の品種の組み合わせや、米作と野菜、果樹等の複合経営によっても、作業の平準化を実現できる。ある鶏卵農家は米作との複合経営で、堆肥の水田への利用も行っている。

農業を衰退させてきた戦後農政
 農政は、コメの778%という関税に代表される異常に高い関税で国内市場を外国産農産物から守ってきた。にもかかわらず、農業が衰退するということは、その原因が海外ではなく国内にあるということを意味している。しかも、農業の中で最も衰退しているのは、最も保護されてきたコメである。野菜、果樹、酪農などでは、主業農家の販売シェアは8割を超えているのに、コメは4割にも満たない。
 農業衰退の原因は農業を振興するはずの農政にある。それは、農地制度、食管・減反制度(米価政策)、農協制度の3つの柱から構成された。
 農地改革は小作農の解放に執念を燃やした農林省の発案だったが、GHQはやがてその政治的な重要性に気付く。終戦直後、燎原の火のように燃え盛った農村の社会主義運動は、農地改革の進展とともに、急速にしぼんだ。小作人が自作農=小地主となり、保守化したからだ。農村を共産主義からの防波堤にしようとしたGHQは、農地改革の成果を維持するため農地法をつくらせた。水田は保守党を支える票田になった。
 保守化した農村を組織したのが農協だ。戦後の食糧難の時代、農家は高い値段で売れるヤミ市場にコメを流してしまう。それでは、貧しい人はコメを食べられない。国民に平等に供給する食管・配給制度にコメを乗せるためには、政府は農家からコメを集荷しなければならない。そのために、戦前全農家を加入させ、農産物の集荷から金融まで、農業、農村のほとんど全ての事業を行っていた統制団体を、農林省が衣替えして作ったのが、農協である。専業農家も兼業農家も、規模の大きい農家も小さい農家も、差別なく、全ての農家を平等に扱うという農協の「組合員一人一票制」は、零細平等な小地主を作り出した農地改革後の状況にも適したものだったし、これを維持するためにも好都合だった。

【図】 20120206_yamashita.JPG

米価引上げと農協
 図が示すように、規模の大きい米農家のコスト(15ヘクタール以上の規模で1俵あたり6,500円)は零細な農家(0.5ヘクタール未満の規模で15,500円)の半分以下である。規模拡大でコストが削減できれば、農家の所得は上がる。20ヘクタール以上規模の農家の純所得は1,100万円である。
 しかし、一定の農地面積の下で一戸当たりの規模を拡大するためには、農家戸数を減少させなければならない。農家戸数を維持したい農協は、このような構造改革に反対した。食管制度の時代、農協は生産者米価引上げという一大政治運動を展開した。米価が上がれば農協の販売手数料収入も増加する。高米価で本来ならば退出するはずのコストの高い零細農家も、町で高いコメを買うよりもまだ自分で作った方が安いので、農業を継続する。こうして農協にとって最大の経営資産である政治力を確保できる。滞留した多数の兼業農家は、兼業サラリーマン収入や農地の切り売りで得た転用売却利益を農協に預金してくれるので、農協は大きな運用益をあげることができる。衰退する農業の傍らで、農協は日本第二のメガバンクに成長した。その原動力は政治米価だった。
 しかし、副作用は大きかった。零細農家が農地を出してこないので、専業農家に農地は集積せず、規模拡大は進まなかった。農業で生計を立てている農家らしい農家が、コストを引き下げて収益をあげようとする途を農政が阻んでしまったのだ。
 米価引上げによって、消費は減り生産は増えたので、コメは過剰になり、1970年から減反が導入された。食管制度が1995年に廃止され、政府によるコメの買入れ制度がなくなった今では、米価は生産量を制限する減反政策によって維持されている。農家に減反させるために税金から補助金が支払われ、消費者の負担となる高い米価を実現する。毎年国民は高い米価による4,000億円に相当する消費者負担と2,000億円(累計総額7兆円)の減反補助金、さらに減反参加を条件として交付される4,000億円の戸別所得補償という納税者負担、合計1兆円の負担をしている。もちろん農協は利益を得る。
 総消費量が一定の下で単収が増えれば、コメ生産に必要な水田面積は縮小し、減反面積を拡大せざるをえなくなり、農家への減反補助金が増えてしまう。このため、単収向上のための品種改良は、行われなくなった。今ではカリフォルニアのコメ単収より日本米の平均単収は4割も少ない。減反政策がコメの競争力を奪ったのである。

価格支持から直接支払いへ
 減反を段階的に廃止して米価を下げれば、コストの高い兼業農家は耕作を中止し、農地をさらに貸し出すようになる。そこで、一定規模以上の主業農家に面積に応じた直接支払いを交付し、地代支払能力を補強すれば、農地は主業農家に集まり、規模は拡大しコストは下がる。
 減反がなくなり、カリフォルニア米並みの単収となれば、15ヘクタール以上の農家のコストは4,000円程度へ低下する。これは、現在中国や米国から輸入しているコメの価格の半分以下である。日本のコメは世界でもっともおいしいという評価がある。香港では、同じコシヒカリでも、日本産は米国産の1.6倍、中国産の2.5倍の価格で取引されている。現在の価格でも、台湾、香港などへ輸出している生産者がいる。品質の良さに価格競争力がつけば鬼に金棒である。主業農家のコストが下がり収益が増えれば、地代が上昇し農地の出し手の兼業農家も利益を受ける。
 消費者は関税や課徴金が課されている外国産農産物に対しても内外価格差部分を負担している。小麦では、消費者は、消費量の14%を占める国産小麦と同様の負担を、86%の外国産小麦についても負担している。国産農産物についての消費者負担を財政負担に置き換えるだけで、外国産農産物に対する負担は財政負担に置き換える必要なく消滅する。

農地改革
 農地法は、農地改革の成果としての「所有者=耕作者」である自作農が望ましいとするので、農地の耕作は従業員が行い、農地の所有は株主という、株式会社のような農地の所有形態は認められない。やっと株式会社にも賃貸借による農地利用は認められたが、所有権がなければ、誰も土地に投資しようとはしないし、短期間で農地の返却を求められるのであれば、農業者の地位はきわめて不安定となる。「農地法」は農地改革の成果を固定するだけの立法だった。
 自作農主義は生きている。
 農業に新しく参入しようとすると、機械投資などで最低500万円は必要である。しかし、農業と関係のない友人や親戚などから出資してもらい、農地所有も可能な株式会社を作って農業に参入することは、農地法上認められない。
 このため、新規参入者は銀行などから借り入れるしかないので、失敗すれば借金が残る。自然に生産が左右されるというリスクがある上、農地法によって、農業は資金調達の面でも参入リスクが高い産業となっている。事業リスクを株式の発行によって分散できるのが株式会社のメリットであり、失敗しても友人等は出資金がなくなるだけである。これは認めないのに、農家の子弟だと、農業が嫌で都市に住んでいても、相続で農地は自動的に取得できるし、耕作放棄してもかまわない。後継者不足と言いながら、現在の農業政策は意欲のある農業者の参入を自ら絶っている。
 農地を守りたいのなら、EUのように、都市地域と農業地域を明確に分ける「ゾーニング」さえしっかり行えば、農地価格が宅地用価格と連動して高い水準にとどまるという事態も防止でき、新規参入者も規模拡大の意欲を持つ農業者も農地の所有権を取得しやすくなる。宅地への転用期待が実現した時に農地を返してもらえなくなることを恐れて、農地の所有権だけでなく利用権も渡さないという農家の行動パターンを抑えることができ、賃借権による規模拡大も容易になる。将来的には「ゾーニング」を確立したうえで、農地法は廃止すべきである。

農協改革
 一地域一農協という原則により農協の地域独占が守られているため、農家は不満でもJA農協を利用せざるをえない。農協法制定当初は農協の設立は自由だったが、現在の農協法には、生産者が農協を設立しようとすると、県のJA農協中央会と事前に協議しなければならないという規定が設けられている。このため、コメの専門農協を作ろうとして、JA農協に反対されて設立できなかった例がある。生協法にはこのような規定はない。自由設立主義という協同組合の基本理念に反するからだ。
 この規定の削除を2010年度中に措置することを盛り込んだ制度・規制改革の対処方針が閣議決定された。しかし、農林水産省はこれを無視し国会に農協法の改正法案を提出しなかった。
 強大な政治力を持つJA農協は農政に影響力を行使してきた。現在のJA農協を解体し、金融・保険事業は地域協同組合に、農業部門は一旦解散させ、農業は農家が自主的に作る協同組合が担当するというシステムに変更すべきである。


真の食料安全保障のために
 自由貿易の下での農産物輸出は、人口減少時代に日本が国内農業の市場を確保する道である。人口減少により国内の食用の需要が減少する中で、平時において需要にあわせて生産を行いながら食料安全保障に不可欠な農地資源を維持しようとすると、自由貿易のもとで輸出を行わなければ食料安全保障は達成できない。しかし、国内農業がいくらコスト削減に努力しても輸出しようとする国の関税が高ければ輸出できない。農業界こそ貿易相手国の関税を撤廃し輸出をより容易にするTPPなどの貿易自由化交渉に積極的に対応すべきなのである。