コラム 外交・安全保障 2012.01.19
1月14日投票の台湾総統選挙を現地で見る機会を得た。投票日前、日本では「中台関係や経済政策を巡り、馬英九氏と蔡英文氏が大接戦、僅差の勝負となり票の再集計の可能性もある」などと報じられたが、結果は事前の予想をはるかに超える80万票の差で馬英九現総統の再選となった。
あれだけ予想が外れたのに、日本のマスコミにそれに対する反省や検証がなかったのは残念である。そこで本稿では、実際に現地で感じた「日本での報道」と「台湾での現実」とのギャップに焦点を当てながら、なぜ日本のメディアの事前予想が外れたかにつき検証を試みたい。(文中敬称略)
1.世論調査への過度の依存
確かに、今回の選挙で主要紙世論調査の数字は拮抗していた。国民党系「中国時報」ですら1月2日の支持率の差を3%(馬英九39.5%、蔡英文36.5%)と伝えたことも大きかったようだ。しかし、実際の得票率差は6%(馬英九51.60%、蔡英文45.63%)である。拮抗した世論調査の数字が正しかったとすれば、最終段階で馬英九に票が流れたか、もしくは蔡英文の票が予想通り出なかったことが考えられるだろう。
2.投票率と投票日の天候
天気予報では各地とも雨の予想だったが、投票日の北部、中部の天気は曇りで、比較的高い投票率が予想されていた。しかし、最終投票率は74.38%に止まり、当初予想された80%以上を大幅に下回った。特に、台北など北部で国民党が予想以上に善戦した反面、民進党の牙城といわれた南部における投票率が低かったことが蔡英文に対する票の伸び悩みの最大の理由ともいわれる。
3.民進党動員力の過大評価
今回特に目立ったのは民進党の動員力に陰りが見られたことだ。同党関係者によれば今回は特に動員を掛けなかったそうだが、実際には動員したくても、思うように動員できなかった可能性が高い。中国大陸からの台湾南部農産物大量買付けなどの効果が出ているのかもしれない。そうだとすれば、従来南部などで熱狂的な支持を得てきた民進党は今後その選挙戦略を根本から見直す必要があるかもしれない。
4.エリートと庶民のギャップ
今回は台北市と台中市を駆け足で回ったが、そこで最も強く感じたのは政治経済エリートと一般庶民のギャップの広がりだった。こうしたギャップは単なる経済格差だけでなく、政治意識の面でも見られる。具体的には、政治エリートが「統一か、独立か」といった形而上学的議論を繰り返す間に、庶民の経済的苦境は深刻化し、「統一も独立も関係ない、望むのは経済的安定」という声が高まっているように思えた。
5.台湾有権者の成熟
5度目の総統直接選挙を経て、台湾の人々の政治意識が成熟しているのだろう。選挙毎に住民が国民党と民進党に割れ、いがみ合う時代は終わりつつあるのかもしれない。今回の得票率の差は、この有権者意識の変化にいち早く気付き、「統一問題」を巧みに封印して経済問題に集中した馬英九と、最後まで「独立」の御旗を封印できず、有権者の「政治離れ」を理解できなかった蔡英文との違いではなかろうか。
6.過渡期的現象
国民党の優位は永遠ではなく、現状はあくまで過渡期的現象に過ぎないだろう。現在大陸中国の経済的優位は圧倒的だ。当面台湾経済の大陸依存が続くと思われているからこそ、台湾の人々は中国経済を強く意識したのだろう。しかし、将来中国経済が「中進国の罠」に嵌まるなどして台湾に対する影響力を低下させれば、台湾人を中心に本省人の嫌中感情が再浮上する可能性は常にあるだろう。
7.中台関係の行方
今や台湾の住民の8割が統一でも独立でもない「現状維持」を望んでいることは各種世論調査等で明らかだ。馬英九は今回の勝利により台湾の人々が中国との政治分野での関係改善まで望んでいると誤解すべきではない。今回の選挙中、馬英九が「中国との和平協議」の可能性に言及した途端、支持率は急降下した。このことは台湾の民意が今も中国大陸に対して強い懸念を抱いていることを示している。
以上の通り、台湾の民主主義が各種選挙を行うたびに成熟の度を高めつつあることは実に喜ばしい。今回派遣された国際選挙監視団が「2012年の選挙は、一部不公平も見られたが、概ね自由であった」と総括したことも特記に値しよう。こうした事実が中国大陸の人々に与える影響を過小評価すべきでない。
今回の選挙で事前の予想が大きく外れたことは残念だったが、それは台湾民主主義の瑕疵ではなく、むしろその成熟を暗示するものだ。今回の誤算は観察者たちが現地世論調査と一部政党関係者の希望的観測に過度に依存し、台湾政治エリートと一般庶民との意識のギャップ拡大を見落とした結果なのかもしれない。いずれにせよ、今後の台湾情勢分析の更なる精緻化が強く望まれるところである。