コラム  外交・安全保障  2012.01.18

政治任用制度の研究(13):駐日アメリカ大使に見る政治任用者に求められる専門性

シリーズコラム『政治任用制度の研究:日本を政治家と官僚だけに任せてよいのか』

 1月12日、外交評議会が主催したある元駐日アメリカ大使を囲んでのディスカッションに参加してきた。出席者や議論の内容は完全オフレコという規則なのでご紹介できないのが残念だが、このディスカッションに参加して、政治任用制度について改めて考えさせられた。
 どうも日本では、アメリカの政治任用制度について理想化しすぎる傾向があるようだ。特に、政治任用者は外交、安全保障、通商問題など個別の政策問題についてある程度専門知識がある人が任命されるというイメージがあるようだが、これはとんでもない誤解である。例えば、共和党陣営での日米同盟関係の親玉のような存在になっているリチャード・アーミテージ元国務副長官は、海軍時代にベトナム戦争で戦った経歴はあるものの、別に大学で東アジア地域や日本研究を専攻していたわけではない。クリントン政権期に一躍日本での知名度を上げたジョセフ・ナイ元国防次官補も、元はといえば国際安全保障理論の専門家だ。現在、国務省で東アジア太平洋担当国務次官補を務めているカート・キャンベル氏も、もとは旧ソ連を専門にしている。歴代の駐日アメリカ大使でも、エドウィン・ライシャワー元大使のように大学で日本研究を専門にしていたような人はごく僅かだ。専門知識があればそれに越したことはないが、専門知識の有無が必須条件ではないということだ。
 それでも、アメリカで政治任用される人々は、その任が終わるころには、かなり専門性の高い知識を身につけていることが多い。12日のディスカッションのスピーカーだった元駐日アメリカ大使もそうだ。大使として日本に赴くまで、日本との接点は殆どなかった人である。しかし、たまたま席が近かったので見えたのだが、冒頭発言は、明らかに自筆のものと思われる走り書きのメモを見ながらしていた。さらに、その後の質疑応答では、日本の政治状況からTPP、中国情勢、北朝鮮の核から拉致問題まで、実に多岐にわたる質問が出たのだが、何も見ないで、内容の面でもしっかりとした受け答えをしている。かつてワシントン詣でをする日本の国会議員の通訳を数多くしてきたが、外務大臣や防衛庁長官などを経験している日本の国会議員であっても、ワシントンで米国でさまざまな人と会うのに、役所が提供した資料を手元に一切おかずに意味のある会話を成立させることができていた人は数えるほどしか記憶にない。正直なところ、数年前にワシントンのある大学で、手元に一切の資料を持たずに2時間半の講話をした中曽根康弘元総理ぐらいしか思い浮かばない。
 一体この違いはどこから来るのだろう。日本の場合が分からないので断定的には言えないが、大使などの職に指名されてから職を全うするまでの期間の情報のインプットの密度、またインプットを受ける側の姿勢が大きく違うのではないかと推測する。
 大使を含め、大統領が指名する政治任用者の一定よりも上のレベルの人事が議会による承認プロセスにさらされることは、指名されるまでド素人であっても、政治任用者が短期間に一定の専門知識を身につけていく大きな理由の一つだろう。例えば駐日アメリカ大使の場合、指名承認の公聴会の場では日米関係に関するあらゆる問題について議員から質問がある。議会の側では、議員の立法補佐官や委員会のスタッフが、議会図書館のアナリストなどから情報収集しながら、議員に質問すべき事項をインプットしていくので、公聴会では、沖縄の基地問題、国際結婚でできた子供の親権に関するハーグ条約をめぐる問題、など政治的に微妙な問題についても容赦なく質問が飛ぶ。したがって、この公聴会の準備に大使に指名された人はしっかりと時間をかける。当然、その際に国務省や国防省などの役人からのブリーフも受けるので、そこで重要政策事項に関する基本的な情報は叩き込まれていくのだ。日本では、「自分は安全保障については素人」と、防衛大臣に着任した人が言ってしまっても、それが理由でクビになったりはしないが、アメリカでそんなことがあったら、まず公聴会を切り抜けられないし、結果、人事は議会で承認されない。しかも、議会の公聴会は日本の国会テレビに相当するC-SPANで録画・放映されるので、公聴会で無様な姿を見せると、それがテレビで放映されてしまう。なので、情報のインプットを受ける政治任用者も、しっかりと当事者意識をもってブリーフを受けざるを得なくなるのだろう。
 さらに、無事に議会の承認を得た後も、実際の赴任前には国務省が大使を迎えて「日本に関するエグゼクティブ・セミナー」なる1日がかりの会議を開催する。そこには経済・安保、社会問題などあらゆる分野の在野の専門家が集められ、赴任前の大使の前で今、日本で旬な話題、重要政策問題の背景などをブリーフし、ディスカッションが行われる。ここで、政府の公式見解だけではなく、在野の研修者の間で提起されている論点や考え方もインプットされる。ここまで準備をして、日本に向けて出発するのだ。そして赴任後も、大使館のスタッフから常に情報を吸い上げ続ける。大使であれば、よっぽどのことがない限り、いったん赴任すれば、大統領が交代するまではそのポストを動かない。ということはすくなくとも2-3年は大使ポストにとどまることとなり、大使ポストにある以上、さまざまな形での情報のインプットは続いていく。それだけ集中的に一つの分野に取り組めば、職を終えた後はにわか仕立てではあるものの、かなり専門家らしくなる、ということなのだろう。
 実はこの日のディスカッションには、この元大使が東京で勤務していた時期に一等書記官として勤務していた私の友人も参加していたのだが、なんと元大使は彼のことをしっかりと覚えており、ディスカッションがお開きになった後、親しく会話をしているのである。また、やはりこのディスカッションに出席していた、別の大使の下で次席公使を務めたベテラン外交官数名とも、昔からの知り合いのように話をしていた。職を退いた後もこうなのだから、任期中に自分を支えた次席公使をはじめとする当時の在日アメリカ大使館の幹部とはおそらく、今でももっと密接に連絡を取っているのだろう。ここにも「役人との安定した関係の上に初めて効果的な政治任用制度が成立する」一例を垣間見た思いだった。