メディア掲載  グローバルエコノミー  2011.12.06

TPP交渉の行方と農業

NHK 『視点・論点』(2011年11月21日)出演の放映内容

 日本のTPP交渉参加表明にカナダ、メキシコが追随しました。APECの場で久々に日本が存在感を示しました。TPP地域が拡大し、参加するメリットが増加する一方で、逆に参加しなければ、広大な地域のサプライ・チェーンから排除されてしまいます。さらに参加を表明する国が続くと思われます。

 震災で自動車部品工場の生産が中断しました。その結果、アメリカ、ミシガン州の自動車工場も生産が困難となりました。東北の部品企業は広い地域のサプライ・チェーンに組み込まれているのです。以前は、貿易の多くは、自動車やテレビなどの最終製品でした。しかし、今では中間財といわれる素材や部品が広範囲に貿易され、それらを集めて最終製品を組み立てる形が多くなりました。日本の中小企業が得意なのは、この部品などの生産です。もし、日本がTPPに参加しなければ、東北の部品企業は世界のサプライ・チェーンから排除されてしまいます。TPP参加国は関税がかからない他のTPP参加国から部品を輸入しようとするからです。大企業なら海外のTPP参加国に移転できますが、中小企業にとって海外立地は困難です。TPPに参加しなければ、被災地の復興も困難となります。

 参加表明の過程で、日本の交渉力を心配する声がありました。しかし、日米の協議では、米国の力に押されることはあっても、TPPのような多国間の協議では、他の国と連携できます。2002年、アメリカはAPEC加盟国の貿易大臣の連名で、EUの厳しい遺伝子組換食品の表示規制を止めさせる文書を出そうと提案しました。日本の表示規制は、アメリカとEUの中間的な制度です。交渉責任者だった私は日本の規制に影響を与えかねないと判断して、同様な制度を持っていたオーストラリアとニュージーランドを抱き込み、アメリカを孤立させ、提案を断念させました。TPP交渉でも、薬価、食の安全規制については、同じような対応が可能です。逆に、米国と連携して、途上国に、投資についての厳しい規制の撤廃、CDなどの海賊版の取り締まり強化、日本企業の公共事業への参入、工業製品の関税撤廃を要求できます。こういうときは、アメリカは強い味方です。

 公的医療保険や地方の公共事業の開放などの問題は、そもそも提起されないか、されても容易に撃退できるものばかりです。日本の唯一最大の弱点は、農業です。米国、オーストラリア、ニュージーランド等が農産物の関税撤廃を求めてきます。これまでのように、高い価格、高い関税で農業を保護するという政策を採る以上、日本政府はまず米、乳製品や牛肉など多くの例外品目を要求し、最後は「せめて米だけでも」と主張するのでしょう。

 前例があります。私が参加したガット・ウルグァイ・ラウンド交渉では、輸入数量制限を、関税に置き換えるという関税化が大問題でした。国内では関税化反対の声が渦巻く一方、アメリカや主要国から例外は一切認めないと主張されました。そのなかで、我々は米を例外扱いすることに成功しました。針の穴を通すような勝利でした。宮沢喜一元首相は、交渉結果を報告に来た私の上司に「これはパーフェクト・ゲームですよ。」と評価したそうです。しかし、農業にとっては名を採って実を捨てた結果となりました。関税化すれば消費量の5%ですんだ最低輸入量という低関税の輸入枠を8%に拡大されたのです。例外には代償が求められます。今回も米は例外、輸入枠の拡大で決着するのでしょうか?そうなると、米生産は縮小します。

 日本農業は米国や豪州に比べて規模が小さいので、競争できないという主張がなされます。農家一戸当たりの農地面積は、日本を1とすると、米国100、豪州1902です。

 しかし、この主張が正しいのであれば、世界最大の農産物輸出国アメリカもオーストラリアの19分の1なので、競争できないはずです。この議論は、各国が作っている作物の違いを無視しています。アメリカは大豆やとうもろこし、オーストラリアは、牧草による畜産が主体です。米作主体の日本農業と比較するのは妥当ではありません。米についての脅威は主として中国から来ますが、その中国の農家規模は日本の3分の1に過ぎません。また、品質に大きな差があります。国内の同じコシヒカリでも、新潟県魚沼産と一般の産地では、2倍近い価格差があります。香港でも、コシヒカリの卸売価格は、キログラム当たり日本産380円、カリフォルニア産240円、中国産150円です。

 品質の劣る海外の米と日本米の価格を比較して、TPPに参加すると米は壊滅的な打撃を受けると主張するのは誤りです。ベンツのような高級車は軽自動車のコストでは生産できません。高品質の製品に、それなりのコストがかかるのは当然です。 減反を段階的に緩和し、米価を徐々に下げていけば、コストの高い零細な兼業農家は耕作を中止し、農地をさらに貸し出すようになります。そこで、全農家を対象とする今の戸別所得補償政策をスクラップし、一定規模以上の主業農家に面積に応じた直接支払いという補助金を交付し、地代支払能力を補強すれば、農地は主業農家に集まり、規模は拡大しコストは下がります。今でも15ha以上の規模の農家のコストは米価の約半分の1㎏当たり100円です。

 農産物1kgのコストは面積当たりのコストを面積当たりの収量で割ったものです。だから、コストを下げるには規模拡大などで面積当たりのコストを下げるか収量を増やせばよいのです。しかし、1970年から減反を導入して生産量を抑える政策をとるようになってから、収量増加のための品種改良はタブーになりました。今ではカリフォルニアより面積当たりの収量は4割も少ないのです。カリフォルニア米並みの収量となれば、100円のコストは70円へと低下します。これは日本米よりも品質の劣る標準的なカリフォルニア米の現地価格67円と同じ水準です。日本に輸出されているカリフォルニア米は143円です。現在の価格でも、台湾、香港などへ輸出している生産者がいます。世界に冠たる品質の米が、生産性向上と直接支払いで価格競争力を持つようになると、鬼に金棒です。

 米の生産は1994年の1200万トンから2011年には840万トンへ30%も減少しました。これまで高い関税で守ってきた国内の市場は、今後高齢化と人口減少でさらに縮小します。日本農業を維持、振興しようとすると、輸出により海外市場を開拓せざるを得ません。

 しかし、国内農業がいくらコスト削減に努力しても、輸出しようとする国の関税が高ければ輸出できません。農業界こそ貿易相手国の関税を撤廃し輸出をより容易にするTPPなどの貿易自由化交渉に積極的に対応すべきなのです。

 守るべきは農業であって、関税という手段ではありません。アメリカもEUも関税ではなく直接支払いで農業を保護しています。国内で正しい政策をとれば、例外の要求という苦しい交渉をする必要はなくなります。守りの要素をなくせば、投資や海賊品のとりしまりなどの攻めるべきところを攻めることができます。これが日本のリーダーが語るべきこの国の国益ではないでしょうか。