コラム  外交・安全保障  2011.09.05

「どじょう」発言

 野田新総理大臣は、8月29日の民主党代表選挙における演説で「ルックスはこのとおりです。どじょうはどじょうの持ち味がある。金魚の真似をしてもできない」と語ったそうである(8月30日付朝日新聞夕刊からの引用)。この発言はその他の邦字各紙も報道しており、いずれも好意的に、あるいは少なくとも中立的に伝えている。学者の中には、よい演説であったとはっきり評価している人もいる。私も、このたとえは野田氏の飾りけのない人柄と地道に努力していこうとする姿勢を巧みに表しており、面白い表現であると思う。

 しかし、この発言を報道するのに海外の新聞はかなり難渋したらしい。たとえば、ワシントン・ポスト紙は「どじょう」の英語訳である「loach」の後に、「魅力のない(unattractive)、水の底でえさを取る魚」という説明を加えている。ニューヨーク・タイムズ紙もこれに近いが、「水の底でえさを取るうなぎのような魚で、ひげがある」としている。

 英語の新聞がそのような説明を加えるのは、そもそも「loach」は、英米人が日常的に、あるいは身近に見かけるものではなく、その言葉に馴じみがないからである。私は、試みに二、三の英米人に直接確かめてみたが、いずれもそのような言葉は知らない、という返事であった。

 したがって英字紙の報道が追加説明をしたのはよく分かるが、それでも残念ながら、日本語の「どじょう」の意味は正しく伝わっていない。

 「どじょう」にはそれが指し示す魚自体だけでなく、一定の雰囲気がこもっている。それは日本人が生活の中で体得することであり、たんなる言葉の意味を超えるので正確に表現するのは容易でないが、「親近感」、「大衆性」、「泥臭さ」、「田舎」などの感じが含まれている。さらに一種の「愛嬌」もあるかもしれない。

 しかるに、英字紙の「魅力のない、水の底でえさを取る魚」ではそのような雰囲気は伝わってこない。ロイター電は各国の英字紙がよくキャリーする世界に冠たる素晴らしい通信社であるが、その追加説明は「inhabitant of the deep」である。これは「深いところに住むもの」、あるいは「水底に住むもの」という意味かもしれない。しかし、これは「深海にすむもの」と日本語に翻訳されている。つまりロイター電は「深海にすむもの」と訳していると日本のメディアが報道しているのである。これはもう混乱状態と言うほかない。

 「loach」の追加説明が英語の辞書に基づいていることは容易に想像がつく。しかし、そのような辞書的説明では「どじょう」発言はピンと来ないはずである。そうであれば、日本の新総理大臣が公の場で自分自身のことを説明するために使った重要な言葉との間にどうしてズレがあるのか、追及し、勉強した上で報道してもらいたかった。英字紙の報道は実際には何故にそのような言葉を使ったのか分からないというところで止まっている。なかには、「どじょう」発言を日本の混乱した政治状況と二重写しにして見下すような報道をしているのもあるようだ。

 日本のことを外国に伝えるのに、報道や教育に携わる人の責任は大きい。しかも、ここに引用した報道記事を書いた記者の中に日本人らしい名前もいくつかあり、とくにその人たちには「親近感」、「大衆性」、「泥臭さ」、「田舎」などの雰囲気も含め正確に伝えてもらいたい。「どじょう」を知らなければ、「どんぐり コロコロ ドンブリコ」の歌でも習ってほしい。何が愛嬌か分からなければ安来節を見てほしい。「魅力のない」などと付加説明するのはとんでもないことである。

 最後であるが、中国にも「どじょう」がおり、中国人は日本人と同様それをよく知っているので、感覚的なことも含めその意味を伝えるのは困難ではない。しかし、それでも安心はできない。中国語で「どじょう」は「泥鰍」であるが、それはヌルヌルしていてつかみにくいので、中国では「ずるい」という感じをもたれる危険がある。中国最大のインターネット「新浪網」は、野田総理の発言を伝えたときに、「泥鰍」は「地道に行なうこと。「ずるい」という意味ではない」と付け加えた。これでは「愛嬌さ」が伝わらないのでやや物足りないが、基本的には正しい解説である。

 文化が違うとコミュニケーションには細心の注意が必要であることを再認識させられた「どじょう」発言であった。