コラム  外交・安全保障  2011.06.29

北方領土問題とヤルタ協定

 6月5日、シンガポールで開催されたアジア安全保障会議でロシアのイワノフ副首相は「我々は平和条約なしでもやっていける」という趣旨の発言をした。北方領土問題は現状のままでかまわないと言っているに等しい。日本側は反発し、伴野外務副大臣はそのような発言は「非常に残念だ。日ロ首脳間の了解とは相いれない非建設的なものだ」と批判した。また、ロシア側に対し、従来からの基本的方針どおりこの問題を解決して平和条約を結ぶことが重要であると外交ルートを通じあらためて強調したそうである。
 北方領土問題は日本外交にとって最大の難問である。イワノフ副首相の発言を機会に、数ある論点の一部に過ぎないが、ヤルタ協定をめぐる日本とロシア、それに米国の主張の相違を私見を交えつつ確認しておきたい。
 主張の対立は第二次世界大戦から発生したのであり、それ以前においては、日ロ両国は考えの違うことはあっても合意を重ねてきた。国後・択捉両島で古くから日本人が活動あるいは支配してきたこと、国後・択捉両島は日本の領土で、ウルップ島以北がロシア領であると確定すること(1855年の日露通交条約)、千島と樺太(サハリン)を交換して樺太全土をロシア領、すべての千島列島を日本領とすること(1875年の千島・樺太交換条約)、日露戦争の結果南部樺太を再び日本が領有すること(1905年のポーツマス条約)などである。
 現在、ロシアは日本に対し、北方四島問題は「戦争の結果を踏まえて」解決すべきであると主張している。2009年の日ロ外相会談でもそうであったが、第二次大戦直後はむしろ「ヤルタ協定を踏まえて」と主張していた。この協定は戦争から平和条約に至る間の諸国際合意の中で「千島列島」をソ連に引き渡すという趣旨を明確に述べている唯一のものなので、ロシアにとって都合がよいのである。
 一方、日本政府は「この協定は条約でなく、米英ソの首脳が共通の目標を述べたものにすぎず、領土移転のような法的効果は持たない。また、日本はそれに参加していないのでロシアはそれを日本に対して引き合いに出せない。日本が拘束されるのは受諾したポツダム宣言とサンフランシスコ平和条約である」という立場であり、「ヤルタ協定を踏まえて」北方四島問題を解決することは受け入れない。ちなみに、外務省の解説資料『われらの北方領土』では、ヤルタ協定に関する説明は少し小ぶりの文字になっている。
 実は、このヤルタ協定はとんだ代物であり、第二次大戦後の最大の政治問題はここから発したと言っても過言でない。1945年2月、戦後ヨーロッパの秩序再建を協議するために米英ソ首脳がヤルタで会談し、ソ連は東欧諸国で自由選挙を実施することなどを約束し、また「千島列島」を引渡されることを条件に日本との戦争に参加することを承諾したのがそれである。
 しかるに、ソ連は東欧各国で自由選挙を実行せずに共産党政権を樹立させ、冷戦の原因を作りだしたが、日本との関係ではヤルタ協定どおり参戦したので、その条件であった「千島列島」の引渡しは実行されなければならないと米国に対して主張した。
 これに対し米国は戦後領土を確定するのは連合国と日本との平和条約であるという考えから、その交渉中「千島列島」の帰属について態度を明確にしなかった。細かいことを言えばこの間の米国の対応はかなり複雑であったが、そこには踏み込まない。米国政府がこのような態度を取った背景には、ヤルタ協定の重要な部分は無視しておいて都合のよいところだけ米国に履行せよと要求するのは認められないという国内の強い反発があった。
 戦後冷戦の様相を急速に強めつつあった国際情勢は日本と連合国との平和条約交渉にも反映され、結局出来上がったサンフランシスコ平和条約では「千島列島」については樺太の一部などとともに日本が「放棄」することだけが明記された。どの国が「千島列島」の引渡しを受けるかは後に決定すべきものという考えである。ソ連はこのことを含め条約の内容に不満で参加しなかった。
 平和条約は理論的にはヤルタ協定と同じ内容にすることもありえたが、戦後の状況はすでに変化しており、結局異なる内容となったのである。しかし、ヤルタ協定がなくなったとか、平和条約で書き換えられたわけではなく、米ソの間では依然としてヤルタ協定があり、それと並行してソ連が参加していない平和条約が存在することとなった。
 両方の当事者である米国は、1956年日ソ両国が平和条約締結交渉を進めていた最中に、「ヤルタ協定は三首脳が共通の目標を述べたにすぎない」という現実的な解釈を示すようになった。また、その際に米国は国後・択捉両島は「日本の領土として認められるべきである」という見解も示した。これは「千島列島」のすべてを引渡すのでないことを意味している。つまり、米国としては、ヤルタ協定についてこのような解釈と見解を示すことによって、「千島列島」のソ連への引渡しをヤルタ協定の文言どおりに実行しなくても法的な問題にならないと主張したのである。前述の日本政府によるヤルタ協定の性格に関する言及はこの米国の説明に基づいている。
 さらに厄介な問題は、ソ連による「千島列島」の「占領」である。これは法的帰属とは関係ない、終戦時の連合国の行動の一環であったが、米国は、国後・択捉両島を含め、ソ連による「占領」を認めていた(戦後日本に対し発出された一般命令第一号)。
 この一連の経緯をロシアの側から見れば、「千島列島」の「引渡し」については、ヤルタ協定では限定なく認められていたが、後の米政府見解では国後・択捉両島が引渡しの対象から除外され、「占領」については連合軍の行動の一環として限定なく承認されていたということになるであろう。ただし、米国の態度を変えさせた原因がソ連の行動にあったことを別問題とすれば、の話である。
 この「占領」に対し日本として言えることは限られている。ソ連の対日参戦は法的に認められないという議論を戦わすことはできても、「占領」は連合国の行動の一環であり、戦争に負けた日本としては法的立場を越えた、抗うことのできない現実であった。現在、日本がロシアと平和条約を締結すれば、この「占領」は終了すると米国を含め各国が想定しているであろう。その意味では「占領」問題も日本がロシアと解決することと思われているが、「占領」はほんらい連合国の行動であったという性格がなくなったのではない。連合国としても第二次大戦が終了してから66年も未解決のままになっている「占領」状態を解消するのに無関係ではおられないはずである。
 日ロ間で交渉されることに連合国としての関与がありうるのは「占領」だけでない。日ロ間の平和条約により「千島列島」の法的帰属も決定されることになるが、それで最終的に確定されるのではなく、かりに、日本がロシアに対してサンフランシスコ平和条約で他の連合国に与えた以上の利益を与えれば同条約上問題が生じるおそれがある。この点はかつて実際に議論されたことであるが、再び浮上してくることがないとは言い切れない。
 このように考えれば、日ロ間の平和条約締結問題を解決するには米国によるこれまで以上の関与が不可欠なのではないかと思われる。
 もちろん、日本としても、法的問題はもちろん、政治的問題にも無関心でおられない。ヤルタ協定の解釈が問題となってもその議論を門前払い的に拒絶するのでなく、米国とともに妥当な解決を模索する努力が必要である。
 そしてロシアも、「第二次大戦の結果を踏まえて」北方領土問題を解決するという主張を実現するには、日本とのみならず米国との間でも折り合いをつけるべく交渉することが必要であると考える。