メディア掲載 財政・社会保障制度 2011.06.14
「リフレ政策はゼロサム・ゲーム
世界的な金融危機を契機に、国家の役割が大きく意識されるようになったのは、世界の経済政策がゼロサム・ゲームにみえるようになったからではないか。マクロ経済政策の結果、一国の利益が他国の損失となるならば、マクロ経済政策は政治学の主題である。
政治は、すでに決まった利益や損失を関係者間で再配分することが主題であり、配分によって全体の利益が増えることはない。この意味で政治はゼロサムの世界といえる。一方、経済取引は分業などによって取引に参加する者たちの厚生の総和を増やす。つまり経済はプラスサムの活動である。
マクロ経済政策は、経済システムのなかにある非効率を取り除くことによって経済厚生を改善するという意味で、「プラスサム」の活動だと思われている。一部の政治家や評論家には、政府や中央銀行が大胆に行動しさえすれば、コストをかけずに一国の経済厚生を改善できるという、一種の「マクロ経済政策=フリーランチ(ただ飯)」という認識が共有されていた。
ところが、リーマンショック後は、欧米諸国の金融緩和で為替が下落し、新興国からは欧米の経済運営は通貨安戦争と受け取られるようになった。
経済政策が、ゼロサム・ゲーム(政治)化しているのである。見方を変えれば、次のようにいえるかもしれない。これまで隠されていたマクロ経済政策の本質が政治性であり、それが危機をきっかけに露わになりつつある、と。このことが「国家が経済運営においてもっと大きな役割を果たすべきだ」という感覚につながっているのである。
マクロ経済政策でプラスサム(経済厚生の全体量が増えること)が可能だとみる見方は、ケインズ経済学に典型的な考え方である。国家または中央銀行が財政出動や金利引下げを行えば、自国民にも外国にも損害を与えずに自国の経済状態を改善できる。これがケインズ経済学の考え方である。最近の代表例は、日本のリフレ政策論である。デフレから日本経済が脱却し、経済成長を実現するためには、日本銀行があらゆる手段で貨幣供給を増やし、「インフレ期待」を作り出すことが必要かつ十分である、という議論が90年代末から論じられている。この議論の底流にも、コストなしで国家が経済状態を改善できるというフリーランチの思考がある。
流動性の枯渇などの短期的な金融危機においては、金融緩和や財政出動は大きな効果があると考えられる(次回で詳しく述べる)。しかし、日本のデフレ不況のような長期的な問題をコストなしで改善できるという議論には大いに疑問がある。
日本のリフレ論は、現実問題として煎じつめれば、金融緩和によって円安を誘導し輸出を増やして経済成長を図る、という「外需依存の成長戦略」だ。これなら経験的にも理論的にもわかりやすい。02年から07年の日本は円安下で外需主導の成長を実現した。マンデル・フレミング・モデルも外需主導の成長を予測する。リフレ政策は国内の地価や株価を上昇させ、内需を増やすといわれたが、外需を経由せずに内需が拡大できるかどうかは神学論争が続いている。
外需主導の成長は、当然ながら外国に自国の成長のコストを押しつける政策である。2000年代前半のように、日本だけが不況なら外需主導の経済回復も容認されたかもしれない。しかしリーマンショック直後のように世界中が不況のときには、リフレ政策のゼロサム・ゲーム的な本質が露わになる。
金融政策の理論と現実
マクロ経済学が大恐慌を契機にして誕生したことは有名な話である。アダム・スミス以来、経済学は重商主義などの国家介入に批判的だった。しかし、大恐慌に対して有効な処方箋が打ち出せない従来の経済学に対して、国家による政策介入で経済厚生を顕著に改善できるという新しい理論(マクロ経済学)をケインズが提唱した。
ケインズ経済学は「国家介入でフリーランチが可能だ」という主張であり、「介入によるフリーランチはない」という古典的な経済学の通念と対立した。また、ケインズ理論は個々の消費者や企業の行動を積み上げて導き出されたものではなかったため、ケインズ理論の結論をどこまで信用できるのか疑義があった。
ケインズ理論の信頼性を確認するために、消費者や企業の個々の経済行動を基礎にしてマクロの理論を導き出す「マクロ経済学のミクロ的基礎付け」を行うことが、1970年代以降のマクロ経済学の主要な作業となった。ミクロ的基礎付けを行った結果わかったことは、マクロ経済政策(財政政策と金融政策)は理論的にほとんど効果をもたない、ということである。
財政政策は「リカードの中立性」命題によって有効性が否定された。公共事業や減税を行っても、国民はその財源が将来の増税で穴埋めされる、と予想し、増税に備えるために貯蓄を増やす。政府が財政政策で公需を増やしても、国民はそれに見合う量の民需を減らすので、財政政策は無効になる。
金融政策の有効性も、ミクロ的基礎付けから自然には出てこない。情報の非対称性や金融市場の仕切りなどさまざまな要因で金融政策の必要性が説明されたが、どれも現実を説明するインパクトに欠けた。現在、金融政策分析の標準的な枠組みとなっているニュー・ケインジアン理論では、物価と賃金の硬直性が経済の非効率の主要因と仮定されている。そしてこの非効率を除去することが金融政策の目標である、とされる。
しかし、価格の硬直性が現実にもたらす非効率は小さいという研究も多い。08年の金融危機において、一般物価や賃金の下方硬直性が最も重要な非効率だったとは考えにくい。ところが、金融政策は危機の収束に向けて現実に大きな役割を果たした。
金融政策の理論と現実には相当なギャップがあるように思われる。価格硬直性による非効率を取り除くことが、一国経済の長期的な繁栄を生み出すとは、なかなか合点がいかないのである。