コラム 外交・安全保障 2011.05.25
オサマ・ビンラディンが5月2日、米軍の特殊部隊によって殺害された。その場所はパキスタンの首都イスラマバードからわずか数十キロのアボタバードであり、隠れ家の近くにはパキスタン軍の施設があるそうだ。この作戦は事前にパキスタン政府の了解を得てなかったのでパキスタン国内では主権を侵害されたとして激しい反発が起こり、国会はそのことを非難する決議を採択した。事件から3週間余りになる現在もパキスタン人の怒りは治まっていない。日本の国際法の権威も、パキスタンの事前了解を得ていない米軍の行動は国際法に違反している可能性が大きいと指摘している。
今回の米軍の行動については、他国が何と思うかなど構わない超大国らしいという印象を持つ人もあろうが、米国内では非常に高い支持を得ている。米国民の9割以上が今回の行動を支持しているのは9.11事件を起こしたビンラディンを憎む感情が混じっているからだとしても、米国の報道なども米政府に批判的なものはほとんどなさそうである。国際法上の問題などに関して米国にはどのような反論があり、またどのように対応しようとしているか。推測を交えてではあるが考えてみたい。
ザルダリ・パキスタン大統領は事件の翌日、ワシントンポスト紙に投稿した。大統領としての声明と考えてよいものである。その趣旨は、テロリストと断固戦うことが国際社会にとって重要であること、パキスタンとしてもそのためにこれまで非常な努力を払ってきたこと、今後もテロ対策の手を緩めてはならないことなどであり、今回の米軍の行動については、パキスタンと共同でなかったが、かねてから情報収集のためにパキスタンと協力してきた結果であるなどと説明するだけで、非難めいたことは一言も言わなかった。これはパキスタンが事後的には了承したと受け取られうる内容である。
事件後時をおかずこのような内容の声明が発表されたのは、オバマ大統領がザルダリ大統領に電話し、パキスタンの事前了解を得なかったことについて理解を求め、ザルダリ大統領がこれに応じた結果であった可能性がある。これは推測にすぎないが、米国としてもパキスタン国民が激しく反発することは百も承知しており、それをなだめるためにできる限りのことをしようとするのは当然であろう。
事後的な了承が国際法的にどのように解されるかはともかくとして、国際法違反の批判に対して米側にはさらにつぎのような反論がありうる。順不同であるが、第1は、作戦を絶対的に秘密裏に実行しなければならなかったことである。情報収集の段階でパキスタンと協力しつつ作戦実行の段階ではそうしなかったことは一貫性を欠くと言われるかもしれないが、米側がどうしても秘密にしておく必要があったと主張すればパキスタンとしても反論しにくい性質のことである。
第2は、ビンラディンがパキスタン国内に入り込むのを阻止し、あるいは逮捕しなかったのはパキスタンの怠慢だということ、さらに露骨に言えば、国際社会の責任ある一員としての義務を果たしていないパキスタンに米国の行動を批判する資格はないということである。怠慢の問題については、パキスタン側からすれば、「言うは易く、行うは難し」のような面があり、かりにある程度自覚していてもすんなりと認めてしまうわけにはいかない厄介な問題であろう。
第3は、ビンラディンの存在が非常に危険でありそれを緊急に取り除くことが国際社会にとって必要であり、そのためには通常の状態では許されない行動を取らざるをえなかったという、いわば緊急避難的な論理もあるかもしれない。
以上のように、米側にはいくつかの反論がありうるが、実際にどのような物言いをするかは別問題である。表だって議論できることばかりではない。米国の議会やプレスなどはパキスタンの怠慢についてもかなりずけずけと言っているが、米政府は国際法違反問題に関する反論もパキスタン政府に対する批判もしていない。網羅的に調べたわけではないが、そのように抑制した対応をするのは当然だと思われる。
パキスタンの立場は非常に複雑であり、伝統的に中国との友好関係を維持しつつ、アフガニスタンとの関連で米国に協力している。また、ライバルであり、宿敵でもあるインドとの間にも未解決の大問題があり、さらに、アフガニスタンとの関係も複雑である。国内では従来からイスラム原理主義者の活動が活発である上にビンラディンが率いるアルカイダが入り込んできた。ただでさえこのように困難な状況にあるパキスタンにとって、ビンラディン殺害作戦の処理は大変な難問であろう。
今回の作戦とは直接関係ないが、万が一、パキスタンの政治状況が変化してイスラム原理主義者の勢力が強くなり、軍においても極端な勢力が強くなってくると核兵器の安全な管理にも問題が生じるおそれさえあるだけに、パキスタンの政治的安定は国際的にきわめて重要である。
米国の作戦のすべてが称賛できるのではなく、素手のビンラディンをその場で射殺したのは何ともおぞましいことであり、どんな申し開きができるのか想像もできないが、そのことを別にすれば、米政府として困難きわまる作戦を成功させ、また、パキスタンとの関係にも細心の注意を払っていることは大いに評価したい。