コラム  外交・安全保障  2011.04.26

政治任用制度の研究(7):9・11テロの際の米国の対応

シリーズコラム『政治任用制度の研究:日本を政治家と官僚だけに任せてよいのか』

  前回宮家研究主幹は、3月11-12日の首相官邸における初動対応を取り上げました。今回は、国家緊急事態対応につき、「未曾有の事件」と言われた2001年9月11日の連続テロ事件を題材に検証するとともに、米国の政治指導者に求められる資質について考えてみたいと思います。


「最悪の事態」を初動から想定
 2001年9月11日にニューヨークとワシントンDCで発生した連続テロ事件は、発生から10年が経過しようとする今も、人々の記憶に強く刻まれています。米国の富と繁栄の象徴ともいえる存在だったニューヨークの世界貿易センターが崩壊していく様子や、黒煙が立ち上る米国防省の映像を覚えている方も多いでしょう。
 9月11日の朝、ボストン、ワシントンDC,ニューアークで計4便の航空機がイスラム教過激派からなるテロリスト集団アル・カーイダ構成員によりハイジャックされました。ハイジャックされた航空機は、午前8時46分、ニューヨークの世界貿易センター南側タワーにアメリカン航空第11便機が、それから約15分後の午前9時03分にユナイテッド航空175便機が同センター北側タワーに、午前9:43分にアメリカン航空77便機が国防省にそれぞれ衝突しました。この結果、乗客も合わせて3000人あまりが犠牲になりました。また、午前10時07分にはユナイテッド航空93機便が墜落し、乗客44名全員が死亡しましたが、この便はホワイトハウスか米連邦議会の議事堂を狙ったものが、乗客の抵抗によりピッツバーグ郊外の空き地に墜落したものであると言われています。
 この事件発生後、ブッシュ大統領(当時)が初めて報道陣と言葉を交わしたのは事件発生から45分も経っていない午前9時30分頃でした。この時点で既に大統領は世界貿易センタービルに航空機が突っ込んだことは知っており、世界貿易センターに対する攻撃の責任者を探し出して処罰する、と報道陣に対して述べています。
 その約10分後に国防省に航空機が激突したことにより、米政府はこの事件を「国家緊急事態」であるとみなし、次々と対応を講じていきます。連邦議会、司法省、ホワイトハウス、国務省、世界銀行などの主要省庁からは職員の緊急避難措置が取られます。連邦航空局は米国領空封鎖という史上初の決定を下し、この結果、午後12時15分頃には米領空を飛行する民間機は一機もなくなりました。その後しばらくは、米軍の戦闘機が米領空を、沿岸警備隊と海軍が海域の警戒を行いました。
 米政府の対応で注目すべきは、この事件の全容がまだ不明であった初動の時点で、米政府は軍を核兵器使用の可能性も含み、警戒レベルを最高まで引き上げたことです。つまり、既にこの時点で米国が核兵器による攻撃を受ける可能性という「最悪の事態」を想定していたことになります。


ブッシュ大統領の対応
 このような緊急事態に米国が直面したとき、ブッシュ大統領はどのような行動を取ったのでしょうか。事件当日、ブッシュ大統領はフロリダ州で小学校を訪問していましたが、事件発生を受けて直ちに残りの日程を全てキャンセルし、大統領専用機に乗り込み、午前9時50分には訪問先のフロリダを後にします。その後、いくつかの地点を経由してワシントンDCには午後7時の到着となりました。午後8時30分には国民に対して、現時点の最優先課題は負傷者の救助とさらなる攻撃からの防衛であることを強調しながら「我々はテロの実行犯も、彼らをかくまう人々も区別しない」「米国民はこの日を決して忘れないであろう」と、短いながらもこのテロに対して米国が一つとなって立ち向かう決意を明確にした声明を発します。
 ブッシュ大統領からの国民に対するより明確なメッセージは事件発生から9日後の9月20日に、連邦議会の両院本会議における演説という形で発信されました。大統領が連邦議会の両院本会議で演説するのは、通常は年に一度、1月下旬の一般教書演説のみです。そのような特別な場を演説の場に選んだところに、この演説が政治的に特別な意味を持つことを示しています。そしてこの演説で、大統領は「わが国が負った傷と、その傷を負わせたものを私は忘れない。米国民の自由と安全のための戦いの中で、私はひるまず、休まず、屈しない」と述べ、国民は、このような強い意志を示したブッシュ大統領に高い支持率を寄せることになります。
 この事件が起こる前のブッシュ大統領は、前年に大統領選挙の結果が確定するまでに1ヶ月以上かかるなど、とても国民の大半の信任を得て就任したとはいえない状況であったこともあり、メディアの厳しい視線にさらされていました。しかし、決して難しい言葉を用いているわけではありませんが「9月11日のテロ事件は自由と民主主義という米国建国の精神に対する攻撃であり、米国は決してそれに屈しない」というテーマが貫かれたこの演説で、ブッシュ大統領は、それまでの彼の大統領の資質に対する疑いの目を撥ね退け、強いリーダーとしてのイメージを確立することになります。
 実は、事件当日の9月11日、事件発生からブッシュ大統領がワシントンDCに戻るまでに10時間余りを要したことが「弱腰」として批判の対象となりました。しかし、事件後の検証のために設置された9・11委員会の報告書によれば、この措置は国家の最高指導者であり米軍の最高指揮官である大統領の身体の安全を最優先に考えたチェイニー副大統領やライス国家安全保障担当問題大統領補佐官らからの強い勧めにより取られた措置であったということです。さらに報告書は午後7時にワシントンに戻る決定は、大統領の安全を案ずる側近の助言を覆してブッシュ大統領自らが決めたことである旨を明らかにしています。


9・11における米国の対応から得られる教訓
 本稿では2001年9月11日の米国に対する連続テロ事件発生直後の米政府とブッシュ大統領の対応を簡単に見てきました。ここから日本が「政治主導」を考えるとき、得られる教訓には何があるでしょうか。
 まず第一に、緊急事態が起こった場合に、常に最悪の事態を想定しながら対策を講じることの重要さです。9月11日に米政府が打ち出した数々の措置は、最悪の事態への対応を念頭においたものでした。米軍も最大限動員した、日本では「過剰反応」と取られかねないこれらの措置が、結果として、国民に「政府は自分達の安全を最大限考えている」という安心感をもたらしたことに注目すべきです。福島第一原発の事故後、時間が経過するごとに事態が拡大し、国民の不安が募っている現在の日本とは対照的ではないでしょうか。
 第二に、このような状況における政治指導者の発言はきわめて重いということです。ブッシュ大統領が議会で行った演説のトーンは冷静で落ち着いたものでしたが、その一方で、この未曾有の事態に決して屈しないという決意が、演説の言葉遣いにも表れていました。この大統領の姿勢に安心感を覚えた一般国民の数は多いでしょう。普段は反共和党の筆者の友人の中にも「あの演説は素晴らしかった」と絶賛する人が数多くいました。緊急事態の際に国家の指導者が口を開くときには、発言が国民にどのような心理的影響を与えるかを充分に考慮しなくてはなりません。現在の日本の状況を見るとき、その思いを改めて強くします。