メディア掲載  財政・社会保障制度  2011.02.15

第五回 市場の自律的行動と「調整の失敗」

ゲーデルの貨幣-Ⅲ-政策篇(5) 『週刊金融財政事情』 2011年2月14日号に掲載

ビジョン行政でリスクマネーを誘導
 リーマンショックで一時落ち込んだ対外投資は回復傾向にあるが、円高が進むなかで阻害要因もある。投資家の内向き志向と為替リスクである。 日本には大量の資金があるにもかかわらず、きわめてリスク回避的な内向き志向の投資が行われている。家計は銀行預金に資金を投資し、銀行は国債に投資している。
 金融機関は不良債権処理のトラウマや、強化された金融規制、横並び意識などのために、リスクをとれない状況にあるのではないかと推察される。
 企業へのリスクマネーの供給が細っているため、企業の対外直接投資も少なくなってしまう。これは金融業のあり方そのものについての構造問題を反映していると考えられる。
 内向き志向の横並び行動が、リスクマネー縮小の原因であるならば、「ビジョン行政」が対外投資を増やすために有効性をもつかもしれない。ビジョン行政は、産業界に望ましい投資の方向性のビジョンを政府が示すことで、民間の行動を一定の方向に誘導しようとするものであった。民間が調整の失敗を起こして閉塞状況に陥っているときには、官が方向性を示すことで、民間の調整の失敗が解消する可能性がある。
 ビジョン行政は1970年代から80年代にかけて、通商産業省(現在の経済産業省)が製造業などを対象に行ってきた。もともと政府に規制されない製造業については、ビジョン行政の効果はなかったという見解もあるが、金融機関は90年代まで護送船団行政の下で政府の強い統制下にあった。現在も金融検査等の厳しい規制を受けて横並び行動に陥りやすい環境におかれている。金融セクターは、理論的には、ビジョン行政によって調整の失敗を解決することができる条件を備えているといえそうである。
 ビジョン行政のようなソフトな政策手段によって、民間の金融セクターの行動に影響を与えることができるならば、公的金融機関(国際協力銀行、政策投資銀行、産業革新機構など)の政策金融をシグナルとして活用することによって、リスクマネー供給の望ましい方向性や姿を提示して民間の内向き志向を変えられるかもしれない。
 たとえば、公的資本を利用しながら、リスクマネー供給の新しいビジネスモデルを提案しようとしている産業革新機構が、スマートコミュニティ(環境配慮型都市)事業に投資するという報道があった(1月6日付日本経済新聞)。これはITを利用して環境対策や省エネルギーを進める都市のインフラ整備を一体的なプロジェクトとして海外に輸出する事業である。この事業で産業革新機構は、新しいタイプの商品(都市システム)を売る民間プロジェクトに対してリスクマネーを供給するモデルを提起している。こうした事業を通じて新しいリスクマネー供給のビジネスモデルを示すことができる。ビジョンの提示によって民間のリスクテイクの方向性を変える誘い水となることが期待される。

直接投資のネック為替リスクを吸収
 もう一つ在外資産(外貨建て資産)への投資を阻害する要因として大きいのは、今後も円高が続くという市場の予想である。日本の経常収支は黒字体質が続いているため、これからも当分の間は円高が続くという堅固な予想が形成されている。また、金融危機後の欧米経済の脆弱化によって、ドル、ユーロ、ポンドなどに比べ、日本円が高くなる傾向が続いている。
 円高が続くと予想されるなかで、日本と欧米の金利差が小さいため、ボラティリティーが大きな為替市場では、外貨投資は採算がとれない。とくに1年先や半期先の決算が目標の場合はそうである。
 こうした状況では、民間のイニシアティブだけで対外投資への資金フローを増やすことはむずかしい。一種の「調整の失敗」が起こっている可能性がある。円高予想のために対外資金フローが細っているため、そのこと自体が、過度な円高を促している、と考えられるからである。市場における調整の失敗によって日本企業のグローバル展開が進まない、という現状は、政策対応の必要性を示している。 過度な円高予想のために対外投資が阻害されているとすると、長期的な為替変動のリスクを政府が引き受ければ、民間の投資意欲を喚起して長期的に望ましい水準の対外投資を実現できる。たとえば為替リスクを官が引き受ける仕組みをつくることは対外投資の促進のために有効であろう。
 成長戦略に応じて現在政府が打ち出しつつある政策は、こうした方向性と合致する。たとえば前述の産業革新機構の対外投資支援は、対外投資のプロジェクトに対してエクイティを提供しているので、為替変動リスクもある程度は引き受けることになる。為替リスクが軽減されれば、民間セクターは対外投資のプロジェクトを積極的に増やすことになる。
 また日本貿易保険が日本企業の海外工場から別の外国への輸出に対して貿易保険を適用する制度を開始するとの報道があった(1月8日付日本経済新聞)。これも、対外ビジネス展開のリスクを公的セクターが吸収する政策であり、今後の対外直接投資を促進する大きな誘因となると思われる。
 このように政策対応によって対外投資を促進することは、新興国の高成長の成長を取り込み、日本企業のビジネスモデルの進化を促すことになる。これは日本の経済構造を強化し、経済成長を高めることになる。
 もっとも、市場経済システムの自律性に信頼をおく立場からは、政府介入は過剰な対外投資を招く、という懸念もあるだろう。しかし、日本は財政破綻リスクという市場経済の外側からのリスクにさらされている。そのリスクも含めて考えれば、いまの日本で、市場の自律的行動の結果が最適だとは必ずしもいえない。国債暴落が起これば大幅な円安になるので、円高トレンドが続くことを前提とした現在の市場の反応は、結果的に、円高への過剰適応となるかもしれないからである。