メディア掲載  財政・社会保障制度  2011.02.03

第二回 政府のバランスシート問題

ゲーデルの貨幣-Ⅲ-政策篇(2) 『週刊金融財政事情』 2011年1月24日号に掲載

危機対応の損失は政府に集約
「バランスシート」の観点から金融危機とその後の展開を模式的に整理すると、次のようになる。
①まず、資産バブルが発生し、経済全体の資産総額と負債総額が両方とも増加する。
②バブル崩壊によって、資産価値が激減し、経済全体で負債総額が資産総額を超過する状態になる(バランスシートに穴があいた状態)。
③危機発生後、財政出動や公的資金注入などが行われ、政府が資源を民間に投入して、民間のバランスシートの穴埋めを行う時期が続く。
④バランスシートの穴は、民間から政府に移転され、政府が巨大な債務を抱え込む。
⑤最終的に、増税やインフレーションというかたちで国民から政府への所得移転が行われ、政府の巨大な債務が穴埋めされる。こうして経済が正常な状態に復帰する。
 この形式で金融危機を理解すると、現在の日本は④の段階、現在の欧米経済はまだ③の段階にあるといえそうである。
 アメリカでは、住宅ローン債権の処理が遅々として進んでいない。住宅の差押え問題は政治的に泥沼化して動きがとれない。また関係者の間では、アメリカの金融機関にはまだ数十兆円規模の損失が出るおそれがあるというような未確認の情報が出回っている。こうした噂が流れること自体が、民間部門にまだ相当量の不良債権が隠れていて、市場に疑心暗鬼が広がっていることの証左といえる。隠れた不良債権(民間のバランスシートの穴)を政府部門に集約するプロセスは道半ばである。
 ヨーロッパでは国家財政の破綻懸念が注目されているが、アイルランドやスペインの財政問題は、明らかに不動産バブル崩壊による民間のバランスシート問題が原因である。民間のバランスシートの穴を一国の政府だけでは抱えきれないために財政危機が起こる。民間の「バランスシートの穴」をヨーロッパ全体として集約する「財政当局」が必要であるが、その役割を果たす主体が存在しない。これが、ヨーロッパが抱える問題の本質であるといえる。
 今後の展開を予想するには、1930年代の大恐慌の顛末が参考になるかもしれない。29年のニューヨーク株式大暴落から始まった大恐慌では、アメリカ経済が本格的に回復したのは41年に第二次世界大戦に参戦してからだった。30年代のアメリカでは多数の銀行が破綻し、不良債権処理が行われたが、個々のケースの債権回収や倒産処理には平均で7年程度の時間がかかっていた。そこに戦争が始まった。軍需生産が開始され、民間企業の収益が改善し、完全雇用が実現した。軍需生産という公共事業を通じて、民間のバランスシートの穴が政府部門に移転された、とみることができる(④の段階)。
 戦時中、戦争遂行のためにアメリカでは高率の所得税が導入され、戦争が終わっても減税されなかった。戦後も高い税収が続いたので、軍事支出が減ると政府債務の縮小に寄与した。さらに、戦後はインフレが続いたため、これも政府債務の縮小に寄与した。戦後の米国経済と世界経済の高成長も政府債務の縮小を助けた(⑤の段階)。
 アメリカの政府債務が正常化したのは戦後10年程度が経過してからである。大恐慌によるバランスシート問題を民間と政府の両方を合わせた経済全体として解決するのに、29年のバブル崩壊から四半世紀を要したことになる。

日本は政府部門のバランスシート調整進まず
 この時期の日本のバランスシートも大まかには同様の経路をたどった。
 20年のバブル崩壊(第一次世界大戦の反動恐慌)と23年の関東大震災のあと、日本は長期不況と不良債権問題に悩まされ、27年の昭和金融恐慌、30~31年の昭和恐慌で不況はピークに達した。民間経済のバランスシートはこの間に相当程度の悪化が進んでいたと思われる。31年からの拡張的な財政政策(高橋財政)と満州事変のための軍事費増大によって、民間は好況になった(金本位制離脱による円安効果も大きかった)。こうして民間のバランスシートの穴は政府に移転されることとなった。戦争で政府債務は膨張を続け、第二次大戦直後の日本政府は巨額の債務を負ったが、「悪性インフレ」のためにその実質価値は暴落した。国債保有者(国民)への高率の「インフレ課税」で事実上の債務削減が進んだことになる。
 日本の90年代も、戦間期から第二次大戦にかけての時期の日米のバランスシートの推移と途中まではよく似ている。株価は4分の1に、不動産時価総額は約半分になり「不良債権処理」に使われたとされる金額は約100兆円で、官民が半分ずつ出し合った(官が金融機関に注入した公的資金は多くが返済されたので、最終的な国民負担は約10兆円となった)。
 しかし、現実に失われた資産価値からすれば、潜在的には数百兆円の債権が不良化していたと考えるべきだろう。国と自治体が借金をして、公共事業と減税で民間企業に資金を提供したからこそ、不良債権化せずに回収できた債権も多いはずである。つまり、日本の90年代の景気対策も、民間のバランスシートの穴を政府部門に移転するプロセスだったと理解することができるだろう。政府負債(国と地方の長期債務)は、90年代初めの約250兆円から現在の約850兆円までこの20年で増えている。そのかなりの部分は、バブル崩壊で民間のバランスシートにあいた穴(過剰債務)を政府がかき集めて肩代わりしたものだとみなすことができよう。
 現時点で日本の民間部門に深刻なバランスシートの不均衡問題は存在していないので、バブル崩壊の後始末は民間部門についてはほぼ完了したといえる。
 日本の問題は、政府部門のバランスシート調整がいっこうに進んでいない点である。過去の例からみれば、最終的には増税・歳出削減とインフレによって政府の債務を削減するしか方法はない。その際、債務削減の痛みを緩和するには、海外部門の役割を考慮する必要があるのではないだろうか。