メディア掲載  グローバルエコノミー  2010.11.23

「?」マークの事業仕分け

WEBRONZA に掲載(2010年11月23日付)

 農業改良普及員という人たちがいる。農業の現場で農家に経営指導や技術指導などを行っている。この人たちの活動についての予算(協同農業普及事業交付金)が事業仕分けによって「予算計上見送り」と判定されたという報道に驚いた。
 私が知っている農業改良普及員の人たちは、都道府県の地方部局に所属し、農家に指導を行いながら、農政の現場で苦労している人たちである。数年前、規制改革会議がJA農協から信用・共済事業を分離するよう提案しようとしたことがあった。JAは自民党農林族を使い官邸に圧力をかけてこれを葬った。表向きJAは信用事業・共済事業の利益がなければ農家への無償の営農指導は行えないと反論した。
 しかし、JA内部では、営農指導は"赤字部門"とか"ぜいたく事業"とか言われて冷遇され、合理化の対象にされてきた。中山間地域のように農産物販売額の少なく、メリットのないところからは、JAは真っ先に撤退している。このような地域で活動しているのが農業改良普及員である。また、矛盾をはらんだ減反政策参加についての農家への説得も、減反によって実現する高米価の恩恵を受けるJAの職員ではなく、農業改良普及員や市町村の職員が夜中の集落の集会に出向いて行ってきた。
 「予算計上見送り」の理由として、「国が交付する合理的な説明になっていない。都道府県がその予算で行うべきであり、一括交付金の中で検討すべき。 都道府県自体の優先政策基準の中で実施すべき。自治体の裁量に委ねる。」などが挙げられていた。要するに地域農業の振興のための活動は都道府県に任せればよいというようである。
 これまで事業仕分けについて真剣に考えたことはなかった。改めてその役割や意義を調べてみると、地方自治体でこのやり方を始めた加藤秀樹行政刷新会議事務局長は、「事業仕分けは、政策を議論する場ではない。事業目的の是非を議論するのは政策論であり、事業仕分けはその事業についた予算が目的通り実際の現場で有効に活用されているのかを調査するものである。」と説明しているようであり、また、行政刷新会議は5つの基本原則(現場に通じた外部の視点の導入、全面公開、同一フォーマットの事業シート作成、明確な結論、プロセス重視)を示している。さらに、枝野幸男行政刷新担当大臣(当時)は「事業仕分けは、事業の政策目的の是非を議論するものではなく、個々の事業が政策目的の手段として合理的で有効かどうかを判断するものである。」としている。
 これらの原則に照らして、農業改良普及員関係予算の仕分けについて考えてみよう。
 事業目的は農業の振興なのだろう。その手段として国(農水省)が予算を計上してきた。「予算計上見送り」として挙げられた理由は、枝野氏のいう「政策目的の手段」として国ではなく都道府県の予算で対応すべきだということのようである。しかし、農業の振興は都道府県だけの業務なのだろうか?国として食料を確保するためには、地方に任せるだけでは十分ではない。海外からの輸入が途絶えるという食料危機が起こったとき、例えば、福島県が県民の食料さえ確保すればよいのだと考えると、東京都民の食料はどこから確保すればよいのだろうか。福島県の農地は福島県民のためだけではなく東京都民のものでもあるのだ。だから、国が農業を振興してきたのだ。食料安全保障とはそのようなものだ。都道府県の裁量や予算に任せてしまうと国全体の食料安全保障は達成できなくなる。
 そもそも事業仕分けでこのような政策手段の是非について検討すべきなのだろうか。予算事業という政策手段は与党と行政府の間で検討された結果要求または計上されたものだろう。与党と行政府が目的だけ議論してさえいればよいはずはない。
 また、事業仕分けによる民間人を含めた組織が、手段の是非について判断するのにふさわしいのだろうか?国の政策についておかしな政策が多いことは認めるが、それなりの専門家の間で議論されてできた結果である。高度な専門的な知識に基づく議論が必要なものが多い。それを事業仕分けの組織が担当できるのだろうか?現在、与党出身の政府3役と行政刷新会議が対立しているのは、この点だろう。
 実は、民主党が政権をとる前に頼まれて、農水省の二つの事業の仕分け会議に参加したことがある。私は一つの事業は廃止すべきだが、もう一つの事業は合理性があると主張した。私以外に農業や農政の専門家はいなかった。メンバーには農業にそれほど詳しいとは見えない地方自治体関係者が多かった。今回の農業改良普及員関係予算の仕分け理由と同じような理由で両事業とも反対の結論が出された。地方の関係者からすれば、農水省に計上するのではなく、その予算を地方に持ってくるべきだと主張するのは当然だろう。このような仕分けは公正といえるのだろうか?
 加藤氏の発言では、手段について事業仕分けが判断するのではなく、実際の現場で有効に活用されているのかを調査するにとどまるものだとも受け止められる。これは事業仕分けの場で現実に行われている議論の多くとは異なるようだが、事業仕分けがこれまでずさんな予算の活用に鋭く切り込んできたことは評価する。しかし、有効活用に事業仕分けの領域を限定したとしても、5つの基本原則の最初に掲げられた「現場に通じた外部の視点の導入」が適切に行われているのだろうか?農業改良普及員関係予算の仕分けを見る限り、地域農業の「現場」を踏まえた判断とはとても思えない。
 事業仕分けというやり方は、専門的な知識が必要とされない、市民生活に密着しているような地方自治体の事業、つまり誰もが是非を判断できるような事業についてはふさわしいものかもしれないが、国の事業を判断する組織としては、(少なくとも政策手段に関しては)個別の行政分野についてより専門的な知識を有する人たちと現場の経験を持つ人たちで構成される組織に判断や評価を仰いだ方がよいと思われる。もちろん、それらの組織のメンバーに従来行政の判断に都合のよい専門家たちを集めてきたことの弊害は除去されるべきであろう。
 最後に、あまたの国の事業の中で、事業仕分けの俎上に上る事業をだれがどのような基準で選択しているのかが明確ではなく透明性を欠くことである。財務省が裏から操作しているのではないかという批判がでるのはこのためだろう。 
 私が農水省の事業の中で事業仕分けの対象としてもらいたい事業は、5千6百億円の「戸別所得補償」である。この事業の目的が農家の「所得補償」にあるというのであれば、なぜ、派遣切りされた人たちやシャッター通り化した中小商店主には「所得補償」はなく、一般国民を上回るような所得を挙げている兼業農家にまで納税者の負担によって「所得補償」するのか。手段としても、現場での効果としても「予算計上見送り」すべきものではないだろうか?農業改良普及員の事業をやり玉に挙げたのは、この事業に政治的な応援者がいないため、取り上げやすかったからではないだろうか?
 政治ショー化した舞台で細かい事業を攻撃し、大きな矛盾を抱える巨大事業を野放しにしているようでは、いずれ行政刷新会議自体が「政策目的の手段として合理的で有効ではない」として事業仕分けの対象となりそうである。