コラム 外交・安全保障 2010.10.15
9月初め、尖閣諸島周辺で起こった中国漁船と海上保安庁巡視艇の衝突に起因する船長らの逮捕事件 は日中双方で激しい反応を惹起した。船長はすでに釈放され、両国政府は事態の沈静化に向け動き出しているようだが、この事件は今後かなりの期間尾を引く可 能性がある。私は一国民としてつぎの諸点に関心を持つ。
まず、意見の相違や紛争が生じた場合に、いずれの側に正当な理由があるか確かめようとするのは人 間社会においてきわめて重要なことであり、この姿勢がなければ歴史は争いに満ちたものとなり、人類はすでにこの世から姿を消していたかもしれない。こんな ことは今更言うまでもないことだと思うが、今回の事件に端を発する争いを見ているとこの基本的なことが欠けているのではないかと疑いたくなる節がある。
私は、中国側から「尖閣諸島は中国の領土である」という主張しか聞いたことがない。つまりその主張にどのような根拠があるのか聞いた覚えがないのである。もし、私の知識が不十分なためにそう思うだけのことであれば、お詫びとともに即刻訂正したい。
日本政府の主張は、明治時代以来尖閣諸島をわが国が実効支配してきたことを法的に、かつ、歴史的 に説明しているので根拠が示されている。ただし、尖閣諸島について「領土問題はない」という説明には違和感を覚える人は少なくないであろう。中国が領有を 主張しているという事実がある限り、それがいかに無体な主張であっても問題があると感じるからである。
わが国民の多くはこの厄介な紛争に関して双方の主張に正当な理由があるか確かめようとしている。 少なくとも私が接触する人たちはそういう姿勢であり、冷静であるが、国民自らが正当な理由の有無を確かめるには限界がある。通常、二国間で領有が問題にな る場合には双方に根拠としたいことがあり、かつ、それは複雑であり、国民には正確に理解することさえ困難な場合が多い。尖閣諸島の帰属についても同じこと であり、どのような根拠があり、国際法に従ってどのように解釈するか、国民としてはある程度まではわかるが、究極のところは政府に頼るほかない。国民とし ては政府の主張を聞いて自分の意見を決める。日本人は日本政府の、また、中国人は中国政府の主張を基にして行動する。
ところが、中国には現在、政府以上に強硬に尖閣諸島は中国の領土であると主張し、圧力を加えてい る人がいる可能性がある。各紙の報道を見る限りそのような気がするのであるが、もしそれが事実であるとすればやはり問題である。このように政府以上に強硬 な主張をし、政府の姿勢を弱腰だと批判することはけっして中国人の専売特許でなく、世界の歴史において何回も繰り返されたことである。日本人もかつてその ような幣に陥ったことがあり、今もその危険がなくなったわけではない。中国人だからどうだとか、日本人だからこうだとか言うのでなく、そのように根拠を確 かめずに領土主張をするのは偏狭なナショナリズムであり、危険である。今回の事件で尖閣諸島について、中国人として中国政府よりさらに強硬な意見を主張し たいのであれば、政府以上に根拠の有無を調べ上げ、より正確に国際法を適用してからにすべきであろう。
第二に、私は、国民はつねに政府に従えと言っているのではなく、国民として政府に要求し注文をつ けておかなければならないこともある。なかでも、問題を解決するのに日中双方がルールは守って対処することはきわめて重要であり、日本国民は日本政府に対 し、また、中国人は中国政府に対し、ルールをよく調べ、それを守って問題を処理してもらいたいと要望しなければならない。ルールとしては国際法のみなら ず、国内法もあるし、2国間で合意したこともあろう。
しかるに、尖閣諸島の紛争に関して次世代での解決への期待を述べた鄧小平の発言がよく引用される が、これは合意でないものを合意とみなすこと、つまりルールでないことをルールとして扱おうとするのに等しいのではないか。この傾向は中国人のみならず、 残念ながら一部の日本人にも見かけられることがある。
中国船船長の釈放もルールの点で疑問がある。検察当局は釈放決定を発表した記者会見で、「わが国 国民への影響と今後の日中関係を考慮して」釈放することとしたと説明したが、これはルールに従った対処ではないのではないか。日本の司法が法律を厳正に適 用してきたのは誇ってよい伝統であり、われわれはそのことを教えられて育ってきた。しかしながら、今回の検察当局の判断は法律に従った処理を政治的考慮に より歪曲したおそれがある。もし、今後も日中関係を考慮して法的結論に調整が加えられるならば、中国でビジネスを行なう人は片時も安心できなくなるであろ う。
第三に、今回の事件はルールだけの問題でない。中国側によるガス田交渉の中止、閣僚級交流の中止、レアアースの対日輸出の停止、日本人の逮捕など立て続けの一方的措置、さらに船長釈放後の謝罪と賠償の要求などは、多くの日本人にとって嫌がらせと映った。
しかし、ここには注意すべきことがある。嫌がらせをされてもどのように対応するか、なかなか難し い。問題となる行為がルールに違反していると明確に判断できないすれすれのところで止まっていることが多いのと、嫌がらせをされていると感じている人がつ ねに正しいとは限らず、思いすごしもあるからである。尖閣諸島に関しても同じことではないか。
嫌がらせは残念ながら人間社会のいたるところにあり、誰もが多かれ少なかれ体験している。した がってまた、国民は微妙な問題であることを心得ており、大体の場合は深刻さに応じてうまく対応している。今回の事件についても、日本国民も政府も日頃鍛え たカンと智恵で対応できるはずである。
今回の事件によって日本人も中国人も、同じ状況ではないが、心の平静さを乱されたのは残念なことであった。常態に復するまでにはまだいろいろなことがありうるが、私は一国民として両国は必ず建設的関係を取り戻すことができると確信している。